浦幌町立博物館で「浦幌・十勝の鉄道120年」という展示を行っています(4月14日まで)。
昨年の12月25日で浦幌駅と厚内駅が開業120年でした。
過日、関連講座があったので、この冬初めて遠出しました。
写真撮影は可ということなので、覚えているお話の中身と共に紹介します。
◎上厚内駅
解体の時に寄贈された、駅舎の柱などもありました。
◎上厚内駅・直別駅・尺別駅の駅名標
3駅とも今は信号場です。
直別駅は直別川左岸(音別側)ですが、右岸が浦幌町で浦幌町民も利用したそうです。
尺別駅は、浦幌炭鉱から尺浦通洞・尺別鉄道とつながっていました。
○クイズ1 これは浦幌町のどこの駅の時刻表。
◎ふるさと銀河線の本別駅
浦幌町北部は本別駅の方が近いのです。
◎北海道拓殖鉄道関係の展示
◎郵袋
青森鉄道郵便局で使用されたもの。
浦幌駅に停まっている写真で郵便車のお話がありました。
郵便車の話を聞いたので、思い出してさがしました。1973年に上野駅からゆうづる-青函連絡船と乗りました。郵便の趣味の人からいわれて、上野駅と連絡船から自分に葉書を出しました。上野駅からの消印は下谷局でした。
松前丸(たぶん)からの葉書の消印です。鉄道郵便日付印というのでしょうか。
◎鉄道関係の物の一部
○クイズ2 これは浦幌町のどこの駅の時刻表。
◎幻の十勝太駅の予定線
釧路線は、釧路から海岸を十勝太まで行き、池田方面に向かう計画でした。実際は、白糠丘陵を越え、浦幌駅経由になりました。
◎浦幌炭鉱鉄道の新浦幌駅の計画図
うまく撮れませんでした。このような図があるということは、具体的な計画があったようです。SLも3輌入手してあったそうです。
完成しなかったので、入手していたSLは雄別鉄道・尺別鉄道へ渡ったそうです。
殖民軌道・浦幌線(未成線)の計画が本別から中浦幌までありました。上の鉄道が浦幌から中浦幌(留真)を経由する予定だったので、中浦幌止まりだったようです。
どちら軌道も完成しませんでした。
・その他、鉄道の歴史、地元に関する細かな鉄道関連の文化の話を伺いました。
・1枚の写真から、時期など様々ことを読み取ることができることを知りました。
詳しい説明をしていただき、ありがとうございました。