今回は、残念ながら去る令和6(2024)年3月16日ダイヤ改正で廃止となってしまった石北本線の愛山(あいざん)仮乗降場について調べてみたいと思います。


以前、留萠本線桜庭仮乗降場を取り上げた際のこちらの記事↓

この中の「ダイヤ」の項で下記のような一文を載せました。


<以下引用>

…(上略)仮乗降場由来の新栄野、伊奈牛、旧白滝、東雲、愛山、将軍山、北日ノ出も、平成13年に廃止となった天幕にも停車していました。

それにしても路線は存続しているのに、上に記した駅の中で現存するのが愛山駅ただ1つというのが寂しい限りです…。

<引用終わり>


ということで、石北本線の旭川近郊に多数あった仮乗降場由来の駅としては、記事を書いた令和5(2023)年時点でただ一つ、奇跡的に残っていたのが愛山駅でした。

もはや残っているのが奇跡的な状況でしたが、令和6年のダイヤ改正で宗谷本線初野駅、恩根内駅、石勝線滝ノ上駅、函館本線中ノ沢駅とともについに廃止となりました。


なお、この改正によって石北本線では仮乗降場に出自を持つ駅は柏陽駅と西女満別駅(西女満別は昭和25年に旭野仮乗降場から正駅化)のみとなりました。

また北海道全体で見ても宗谷本線初野駅(昭和34年に正駅化)と、この愛山駅の2駅がこのほど廃止となった元仮乗降場の駅ですので、現存するものは21駅から19駅に減少したことになります。

現存率はすでに10%を下回って久しいですが、今回改正では約8%となりました。

詳細は以前取り上げた以下の記事もご参照下さい。 


今回は初野仮乗降場のご紹介ではありませんが、ダイヤ改正の時期ということで初野駅の廃止についても簡単に触れますと、初野駅は「線路班」がおかれ乗降の便を図った地点でもあった地で、今回改正まで、北永山とともに、かつて線路班があって停車場以外で乗降の便を図った地点として、貴重な生き残りでした。

北永山駅は民営化後に移設を経ていますので、厳密に線路班があった地点での乗降を図った地点からスタートした駅としては初野が唯一の残存例でした。

「停車場」という括りでは、ほかに鷲ノ巣と古瀬に線路班が過去におかれており、これらは駅から信号場に降格したものとして現存しますが、いずれにしても線路班の面影を感じられる停車場が非常に少なくなっているのがお分かり頂けるかと思います。


話が逸れてしまいましたが、愛山仮乗降場について再びお話を進めたいと思います。


仮乗降場来歴

昭和35(1960)年5月2日

 石北線、中愛別駅〜安足間駅間に、愛山仮乗降場として開設


昭和36(1961)年4月1日

 石北線が、網走本線北見駅〜網走駅間とともに石北本線となり、石北線の部が起立、石北線は石北本線に昇格


昭和62(1987)年4月1日

 国鉄民営化により正駅化、JR愛山駅となる


令和3(2021)年3月13日

 北日ノ出、将軍山、東雲、生野駅が廃止、民営化時に正駅化した仮乗降場は愛山駅と柏陽駅のみとなる


令和6(2024)年3月16日

 ダイヤ改正により廃止



仮乗降場名の由来

愛山渓温泉からとって付けた地名で、かつて愛別村安足間(あんたろま)といっていた地域などから、昭和15(1940)年に愛別村字愛山が発足しました。

愛別町の町制施行は昭和36(1961)年です。

愛山渓は同じ上川郡でも上川町内の地名で、明治42(1909)年に直井藤次郎という人物が巨熊を追って温泉を発見、大正15(1926)年に直井温泉として開業したものを村上某(なにがし)という人物が権利を譲り受けて開発し、愛山渓温泉としたものと伝えられています。

(角川日本地名大辞典 巻1 北海道上巻 P.28「愛山渓」の項より)


「愛別」の由来は、アイヌ語の「アィ・ペッ」すなわち「ay-pet」から来ていると言われるもののその解釈には諸説あり、「ay」が「矢」とも「イラクサ」(=hay)とも訳せるため、語義がはっきりしません。

「矢」説では「矢のように流れが速い」とも「戦の時に矢を射たが対岸まで届かず、川の中に落ちてしまった」とも言われ、これもどちらによるものかは明らかになっていません。

ただ、「愛山」は前述のとおり和人が付けた和語によるもので、「愛別」とは関係ないようです。


ダイヤ

今回も私の手持ちの時刻表からピックアップします。

開設から2年目の1962年5月号のダイヤでは下り9本、上り10本の普通列車があり、うち上下5本ずつが愛山仮乗降場に停車していました。

この時期のダイヤは非常に分かりやすく、通過するものは全て客車、停車するものは全て気動車による列車で、各々が交互に運行されていました。

気動車は基本的には旭川〜上川間の区間運用である一方で、客車列車は石北本線全線を走破するものがほとんどで、中には手宮発網走行きというロングラン列車もありました。

【昭和37(1962)年5月】

●下り

 10:06、14:13、17:56、21:03、22:49

註:全列車上川行き


●上り

 7:43、10:47、14:57、18:37、21:48

註:全列車旭川行き


このように、停車列車は全て区間列車で、上川を超えて走破するものはありません。

また下りの約40分後に上りが来るパターンが繰り返されていますが、これは下りが上川に到着後、概ね15分後に上りが出発して愛山仮乗降場を出るまでの所要時間に相当し、恐らく上川で折り返した同じ車両が上りとして来るパターンだったのではないかと推測されます。

なお、昭和37年、昭和59年のどちらのダイヤでも、旭川〜上川間にある仮乗降場の旭川四条、北日ノ出、将軍山、愛山、東雲は停車または通過する列車が原則として揃っていました。


上川を超えて運転される列車については上記の各乗降場を通過した上で、伊奈牛仮乗降場も同じく通過していましたが、旧白滝仮乗降場や野上(のちの新栄野)仮乗降場は停車するというものもありました。


次に、赤字ローカル線の廃止が白糠線を皮切りに始まった時代の1984年(昭和59年)2月号の時刻表を見てみます。

意外なことに、この時代はまだ、1962年(昭和37年)の号と比べて細かな変更はあれど、大筋のダイヤはほとんど変わっていません。

上り列車が1本削減されて上下とも9本となってはいますが、旭川〜上川間においては上川を超えて運行される列車と旭川〜上川間の区間列車が交互に運転されるパターンも変化なく、愛山仮乗降場に停車するものは全て上川発着の区間列車というのも同じです。

ただし下りの最終上川行きは愛山と東雲のみ通過に変更、上りの最終旭川行きは仮乗降場全通過へと変更した上で時刻が約1時間繰り下げが行われている他、一部の長距離列車で旭川四条への停車がなされています。

【昭和59(1984)年2月】

●下り

 10:06、14:40、17:53、22:01

註:全列車上川行き


●上り

 7:10、10:52、15:16、18:39

註:全列車旭川行き


この内、18:39の列車は上川で列車番号が変わるものの、遠軽始発の旭川行きという、全仮乗降場停車の列車ながらやや長い距離を運行されていました。

また昭和59年の時点でも、一部に客車列車は残存していました。

まだ車齢が若いながらも、この後10年経たずに廃車が進行してしまうことになる50系(51形)客車も使用されていたのでしょうか?


そして最後の掲載号となってしまった2024年2月号。

仮乗降場由来の駅がひとしきり整理された後で、愛山駅の「レ」印ばかりが目立つようになってしまっていますが、下りはかつて停車していた朝10時台の列車も通過になり、始発が午後(12時台)という、駅としては末期の状況になっています。

とはいえ、停車本数自体は意外にも増えています。

下りは3本の普通列車が通過、上りは2本が通過です。

【令和6(2024)年2月】

●下り

 12:44、14:37、17:21、19:29、21:54

註:全列車上川行き


●上り

 6:16、7:03*、7:42、10:48、14:27、16:17、18:52

註:*は休日運休。全列車旭川行き


蛇足ながら、石北本線で残り少ない仮乗降場由来の駅、西女満別駅については、下り最終が通過するほかは全普通列車停車、都市型の駅に生まれ変わった柏陽駅に至っては上下とも全普通列車が停車するという、国鉄時代の時刻表とは全く異なる様相です。




今回はダイヤ改正で廃止となった愛山駅の追悼企画のような記事になりました。
ダイヤを見るに、国鉄民営化後に、年月とともに停車本数が漸減して廃止という流ればかりではないことが見て取れ、「列車が止まれば利用者が増える」という単純な構図ではなく、北海道の鉄道がおかれた状況の厳しさを改めて垣間見たような気が致します。
こと石北本線については、時刻表を比較すると上川〜遠軽間の中間部分についてはかなり寂しくなってしまいましたが、両端部の都市圏ではJRも苦しいながらダイヤ上は比較的積極策を取っているように思えます。
それでも国鉄時代の消極経営がもたらした鉄道離れを巻き返すには至らなかった面や、少子高齢化、地域の過疎化という外的環境に加え、遠軽で接続していた本線である名寄本線までもが廃止になり、鉄道での移動に制約が大きくなっていったことも利用減に拍車をかけた遠因になっているのかも知れません。
素人考えですが。

一時のブームに乗るばかりではなく、鉄道を「乗って残す」ということの大切さを鉄道ファンとして私は心に刻みたいと思いますが、地域のあり方の中で「乗って残す」ことが口で言うほど簡単ではないことも感じられます。
ただ、それでも日々、安全に定時運行を守り続ける関係者の皆様には頭が下がります。

ここまでお読み頂き、誠にありがとうございました。