番外 今はなき電車、鹿児島線及び日豊線の南九州地区で活躍した、717系電車の最後まで残った2編成 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 現在、JR九州の鹿児島地区の電車は、上の画像にもあります817系電車が運行されておりまして、鹿児島地区の乗客を裁いております。
 
 この817系電車に関しましては、鹿児島線の鹿児島・宮崎地区の区間でもあります川内~鹿児島中央間、日豊線の延岡~宮崎~鹿児島・鹿児島中央間を運行されておりまして、鹿児島地区に加えまして宮崎地区までと広範囲に渡りまして運行されているのが特徴となっておりますし、2両固定編成でありますので、鹿児島・宮崎地区では2両~6両と言ったパターンで運行されておりまして、時間帯によりまして需要にあった運行ができるようになっております。
 
 また、令和4年9月22日までは415系電車も運行されておりました。この415系電車に関しましても、4両固定編成でありますので、特に朝夕の通勤・通学時には本領を発揮していたと言ってもいいかとも思います。
 
 尚、その415系電車を追い込むべく、上の画像2のように、佐世保車両センターや熊本車両センターなどから転属した編成も見られておりますが、現在も前所属を表すような青CTではない編成も見られておりまして、画像2のVk025編成も現在も赤CTのままであるそうであります。
 
 
 さて、そんな鹿児島地区では、817系電車が導入されるまでの主力電車は717系電車でありましたし、415系電車が導入されるまでは475系・455系各電車でありました。このうち、今回ご紹介しますのは717系電車のうち、817系電車導入後も最後まで残りました200番台電車のうちのHk203・Hk204編成に関しまして皆様にご紹介してまいります。
 
 (Hk204編成)
 

 717系200番台電車は、JR化後の平成7年に457系電車から改造されました900番台のHk-901編成以外の7編成は、国鉄末期の昭和61年からJR化後の昭和63年にかけまして改造された編成でありまして、鹿児島車両所(→鹿児島総合車両所→鹿児島車両センター)・大分電車区(→大分車両センター)に配置されておりました。このうちの国鉄時代に改造されましたHk201~204編成が以下画像にありますような戸袋窓付きであるのに対しまして・・・
 
 JR化後に改造されましたHk-205~207編成は戸袋窓なしであるのが特徴でありまして、機器類は種車の機器をそのまま流用しまして、車体だけは新製と言う形であったのが特徴でありまして、今回ご紹介しますHk203・Hk204編成は上の画像の戸袋窓付きでありました。
 

 導入以降は、最終的に全車鹿児島配置の上、日豊線の亀川・大分~延岡~宮崎~鹿児島中央(←西鹿児島)、鹿児島線の銀水・大牟田~熊本~八代~川内~鹿児島中央(←西鹿児島)間の広範囲で運行されておりましたが、平成16年の九州新幹線の新八代~鹿児島中央間の開通、平成21年の日豊線佐伯~延岡間普通列車の気動車化、そして717系電車自体の老朽化による817系電車置き換えによりまして、徐々に両数は減らしておりました。
 
 
 そして、817系電車が導入されました平成24年のダイヤ改正時にはかろうじて残る事はできておりましたが、この時点では日豊線の国分~鹿児島中央間の運行にとどまっておりまして、ご紹介しておりますように以下の国鉄末期に改造されました2編成が残されておりました。
 
 (Hk203編成)
 
 (Hk204編成)
 
 こちらの画像は、同年鹿児島中央駅で撮影しておりました、Hk204編成の運行シーンであります。鹿児島地区も最後の画像でもありますように817系電車も導入されている中で最後の活躍を行っておりましたので、これらの画像の姿はもう過去のものになったのも残念でならない所ではないでしょうか。
 
 
 けれども、残念ながら平成25年3月のダイヤ改正時に運用を離脱、鹿児島車両センターにおきまして留置されておりました。

 画像は平成26年1月の鹿児島訪問時に撮影を行っておりました画像でありまして、この撮影時には残念ながらHk203編成のみしか留置されている姿を見ておりませんでしたが、その回でも述べましたように、もう本線上に入る事はもう廃車回送時しかないのでは?と述べておりましたが、それが現実となってしまった事が残念でならなかった時でもありました。
 
 (クモハ716-203側)
 
 (クモハ717-203側)
 
 
 また、このHk203編成では行先は「鹿児島中央」ではなく「西鹿児島」の行先が入っておりましたが、この「西鹿児島」の行先も廃車回送時には出したままで回送されていたそうでありました。この行先自体も、九州新幹線が部分開業しました平成16年に改称されるまで使用されていた行先であった訳でありますが、改称されましても「西鹿児島」の行先は残されておりましたので、懐かしい行先のままでの回送は本線に別れを惜しむ事を思えばよかったのではないかとも思います。
 
 
 その後、同年7月に、これら2編成は小倉総合車両センターへ廃車回送されました。それにしても、運用を離脱しましてからも、1年4ヶ月にわたりましてこの鹿児島車両センター内で留置されておりましたが、画像の隣の線路では指宿枕崎線が走っている訳ですが隣のキハ40系気動車にとりましても気が気ではなかったのかなと思ってなりません。何と言いましても車体自体はキハ40系気動車よりは若い訳でもありましたので、そう言った車両が先に引退してしまう事は残念な所だったのかなと思ってなかったようであります。
 

 今回は、717系電車の最後まで残りました2編成に関しましてご紹介しましたが、この717系電車自体も、国鉄末期~JR初期にかけまして急行型電車の車体更新と言う事で改造導入された車両ではあった訳でありましたが、それがJR化後20年を経過しまして、残念ながらお役御免の道へと進んでしまった事は残念でならなかった所ではなかったでしょうか。しかも当然の事ながら、この717系電車に関しましては既に全車解体されておりますので、現在はこうした画像でしか見る事ができておりませんが、ご紹介しましたように南九州地区ではなくてはならない存在であった事には間違いなかったのではないかと思う所ではあります。