旅の終わり | 旅一郎のブログ

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国鉄(日本国有鉄道)が、最後の全盛期を迎えた昭和47年ー53年までをテーマにした、汽車旅のブログです。

旧型客車亡き後、日本の鉄道旅行は本当につまらなくなりました。そのため海外ネタも載せています。

当時の雰囲気を伝えるものは鉄道にかかわらずアップします


豊岡に到着。この角度から見るとテルハが跨線橋に変わったくらいでさほど変わってないかな。

豊岡駅3〜4番ホーム。昔は蕎麦とキオスクがあったけどAI時代の今は自動販売機というハイテクマシンが飲料を販売してくれる。

技術が進んだので昔は8両だった列車も2両で収まるようになったのだ。人口爆発で困っているインドなどに輸出したらどうだろうか。

特急「はまかぜ」は相変わらず長い編成6両。

もっと短くしないと株主に申し訳が立たないだろう。とブラックジョークは置いといて。

国府。この駅は柵を除いてほとんど変わらない。

旧客時代もこんな夕日を見ていたな。

途中交換の特急が遅れ5分遅れで和田山へ。

ちょうど折り返し寺前行きとなるキハ41が来た。

相変わらず混雑する播但線。

特にこの寺前ー和田山は朝の2本を除いてキハ41か40の単行。国鉄時代はキハ47でも最低4両、客車は6〜8両だった。

8両→1両なんて、維持率12.5%

おそらく全国でも1、2を争う減少となる。

長い列車が短編成になったパターンとして東北本線の13両→701系2両(途中クッション期間があるにせよ)があるが、減少率でいうと15%でなんと播但線よりマシ!



列車本数自体と増発された東北本線とは異なり、客車時代とほぼ同じなので編成の減少は輸送力の純減となる。

混雑するのは当然といえよう。

残っていた、但馬の誇り「香住鶴」と鳥取の「豆腐ちくわ」

生野で半分くらいの客が下車。

ようやくボックス占有するところもチラホラ。正しい乗り方ができるようになった。

19:19 寺前。

19:23発姫路行き電車。

通勤気分で姫路へ。