播但線から山陰本線 | 旅一郎のブログ

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国鉄(日本国有鉄道)が、最後の全盛期を迎えた昭和47年ー53年までをテーマにした、汽車旅のブログです。

旧型客車亡き後、日本の鉄道旅行は本当につまらなくなりました。そのため海外ネタも載せています。

当時の雰囲気を伝えるものは鉄道にかかわらずアップします


昔の山陰本線の動画を見ていたら、ボックスシートに乗りたくなったので旅に出ます。

京都を朝に出るとずっと混むので姫路に最終で到着。ネットカフェ快活クラブの鍵付き個室2,570円で1泊しました。

円安、物価高、インバウンド熱によりホテル代はコロナ前の倍が基準価格となったので快活クラブは助かります。全国同じ設備で強力な乾燥機付きのランドリーがあるので着替えを減らせます。

姫路始発5:42の寺前行きは221系。ボックスにして寺前まで。寺前から和田山行きに乗り換え。嬉しい2両編成。このまま乗って行きたい誘惑に駆られます。

しかし、寺前発城崎行きに乗りたいので長谷で下車し、反対側の列車で寺前に戻ります。

長谷の駅舎は撤去されていた。いつまであった?

駅本屋からトイレの脇を通って地下道でホームに行く構造

こんな地下道も国鉄標準でよく見た。

待合室に暖房は期待してなかったけど、やはりなかった。駅ノートに書き込みました。

この日朝の気温は摂氏1℃。春仕様で出てきたので寒くて死にそうな20分でした。

やっと来た。生野で交換の寺前行き。これが寺前から城崎行きになります。


寺前からそのまま城崎行きになっていると「旅一郎さんですか」と声をかけられました。

高砂に住む青年で、18きっぷは中学生末期から使い出したとのこと。

東京方面にも行ったというので宿はどうしたのか聞くと「ネットで予約し親に支払ってもらった」そうだ。

カードが持てる年齢まではネット予約のハードルは高いことが伺える。

この日は長谷で下車し、岡山方面を攻めるそうだ。

生野で交換の2両編成。かつては気動車4両、客車は5〜8両あった播但線も寂しい限り。

2両編成は寺前始発と2本目、その折り返しのみ。

単行にも関わらず生野高校生が下車したら空きボックスが出た。この列車は以前にも乗っており、和田山から先はそれほど混まないのが助かります。

新井。7:58着

はまかぜと交換のため8:04まで停車。

和田山。8:25着。

交換の福知山行きは113系4両だった。

和田山を出ても空いていました。

架線下のDCの旅を楽しめます。

61.11でほとんどの列車が113系に置き換えられ、朝1本だけキハ58の急行間合い運用の普通が残されていました。それに乗っている気分で。