「雷鳥」と北陸本線~特急街道の記憶

1985(昭和60)年5月、北陸本線のエースだった特急「雷鳥」に乗った。京都・新大阪駅と加賀温泉駅(石川県加賀市)を往復する約4時間。当時の国鉄を代表する「特急街道」を満喫した。

古くから関西圏と福井、石川、富山県を結んだ北陸本線は、64年の「雷鳥」運転開始以来、華やかな特急街道として鉄道ファンにも人気だった。大阪—金沢、富山、新潟を結んだ「雷鳥」は85年当時、定期列車だけでも毎日16往復走っていた。

食堂車が廃止された代わりに「だんらん」という、畳敷きで座卓・座椅子を設けたグループ客向けの和風車両も一部に連結。「雷鳥」は国鉄特急の「西の横綱」のような存在感だった。私が乗車したのは法事に参列するためだったが、親しいいとこたちに会う以上に楽しみだった。

名古屋から中央本線に入る381系特急「しなの」
(左)と並んだ485系特急「雷鳥」。ボンネット
形の先頭車も多く見られた=大阪駅、1991年

車内放送の聞き慣れない駅名、夕暮れ時で進むほど暗くなっていく車窓…初めての北陸本線はとても新鮮だった。当時の「雷鳥」は最速特急として知られ、2時間の乗車はあっという間だった。

帰りの「雷鳥」では駅弁を味わった。少年向けの鉄道書籍でも「宝庫」と紹介された北陸本線だけに、車内販売のワゴンにはいろいろな駅弁が載せられていた。私が選んだのは加賀温泉駅の「押寿司日本海」という箱入りの商品で、ます、たい、甘えびの3種類の押しずしが入った北陸らしいもだった。

俊足列車に身を委ね、非日常の車窓に接し、その土地の海の幸を頰張る…子どもながらに特急街道の醍醐味を満喫できた。

私が乗車した85年5月の「雷鳥12号」の特急券。
同列車には「だんらん」は連結されていなかった

2024年3月16日、北陸新幹線が敦賀駅(福井県敦賀市)まで延伸開業した。テレビに映し出された思い出の加賀温泉駅は祝福の人々にあふれ、駅舎も立派なものに変わっていた。一方で、経営分離され特急列車が走らなくなったこれまでの北陸本線の沿線住民からは「寂しい」との声も聞かれた。

北陸新幹線は首都圏との交流が活発化する一方、新大阪への延伸が見通せない現状は文化や人の流れを変え、古来より関係が深い関西圏と北陸地方のつながりを弱くする可能性がある。

485系などの国鉄形が往来し、駅弁をお供に京都・大阪へ直通した「特急街道」。個人的には一度きりの体験だったが、鉄道少年の原風景の一つとして今も心に刻まれている。

bonuloco
東海道・山陽線の寝台特急に親しんだ元ブルトレ少年です。子どもの頃から手作り新聞を発行するなど「書き鉄」をしてきました。現在はブログ執筆を中心に活動し、ファンの視点から見た小さな鉄道史を発表しています。
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