2月25日は、東京から錦糸町まで、東日本旅客鉄道(JR東日本)総武快速線のE217系のY-37編成(クハE217-37F)+Y-133編成(クハE217-2033F)による、成田空港(成田第1ターミナル)✈️行き🚃に乗りました。

今回乗った列車は、土休日17運用(1216S→1217F)で、JR横須賀線の久里浜駅(神奈川県横須賀市)を12時44分に発車し、途中、衣笠、横須賀、田浦、東逗子、逗子、鎌倉、北鎌倉、大船、戸塚、東戸塚、保土ケ谷、横浜、新川崎、武蔵小杉、西大井、品川、新橋の各駅に停車してから東京駅の横須賀・総武地下ホームへと向かい、ここから快速運転(途中、新日本橋、馬喰町、錦糸町、新小岩、市川、船橋、津田沼、稲毛、千葉、都賀、四街道、物井、佐倉、酒々井(しすい)、成田、空港第2ビル(成田第2・第3ターミナル)✈️の各駅に停車)で、成田空港(成田第1ターミナル)駅(千葉県成田市)✈️へと向かうことになっています。

本日(3月16日)のダイヤ改正では、1288S→1289Fに変わっています。

逗子〜横須賀〜久里浜間は、11両編成までしか入れないので、逗子駅で、増1〜4号車の4両(付属編成)が分割・併合されます。

今回乗った車両は、後方のY-133編成(付属編成)側だったので、逗子駅で増結された車両であることが分かります。

折り返しは、成田空港(成田第1ターミナル)駅✈️を15時58分に発車する東京経由の久里浜行きで、前の4両が逗子駅で切り離されることになっています。

錦糸町駅では、留置線でのE217系やE235系を撮影することも出来ました。

この時は、E217系が3編成、E235系が1編成留置されていたけど、やがてE235系で埋め尽くされることになります。

こちらの留置線は、15両編成を6本収容することが出来ます。

横須賀線は、東京駅と久里浜駅の間を武蔵小杉、大船、鎌倉、逗子経由で結ぶ路線であり、一部の列車が総武快速線と直通運転が行われています。

東京都心と三浦半島を結ぶ路線は、横須賀線と京浜急行電鉄の京急本線、久里浜線であり、京急で横浜駅から横浜市南部を通った後に三浦半島入りするのに対し、大船、鎌倉方面へと迂回しながら三浦半島に入ることになっています。

横須賀線が開業したのは、1889(明治22)年6月16日の大船~横須賀間のことであり、非電化で、途中駅が鎌倉、逗子の両駅のみとなっていました。

開業当初の横須賀線は、蒸気機関車🚂牽引による客車列車で、大船~横須賀間、1日4往復しかなかったので、電車が頻繁に行き交う現在と比べて想像出来ない状態でありました。

1925(大正14)年7月に電化され、1944(昭和19)年4月1日に久里浜駅まで延長されていました。

総武快速線が開業したのは、1972(昭和47)年7月15日の東京~津田沼間のことであり、錦糸町~津田沼間が複々線化され、総武本線の始発駅が両国駅から東京駅に変更されていました。

快速の運転区間は千葉駅までだったけど、当時は稲毛駅を通過していたのであります。

東京~錦糸町間は、国鉄初の都市内トンネル(地下トンネル区間)であり、途中に新日本橋、馬喰町の両駅(地下駅)が設けられているので、京葉線の地下トンネル区間(東京~潮見間)と同様に、地下鉄風味の区間となっています。



この地下トンネル区間はATCが使われていたので、長大トンネル通過のA-A基準にも適合していた113系の1000番台や183系0番台が導入されていました。

1976(昭和51)年10月1日には、東京駅地下通路の混雑緩和により、総武快速線の東京~品川間が先行開業し、新橋駅の地下ホームが設けられていました。

1980(昭和55)年10月1日には、横須賀線の東京~大船間が東海道線と分離されて品鶴(ひんかく)線経由となり、東京~品川間の地下トンネル区間が横須賀線に編入された上での総武快速線との直通運転が開始されたことにより、横須賀線と総武快速線が1本で結ばれるようになっていました。

1980年9月30日以前の横須賀線は、東京駅地上ホーム発着で、東京~大船間が東海道線と共用となっていたので、混雑が激しくても増発することが不可能となっていました。

東京~大船間で、東海道線と横須賀線が分離されたSM分離となったことにより、増発させることが可能となったのであります。

この時に開業した駅は、新川崎、東戸塚の両駅であり、保土ケ谷駅が横須賀線のみの停車となっていました。

1979(昭和54)年10月1日に東海道貨物線(横浜羽沢貨物駅経由)が出来たのは、貨物線だった品鶴線を旅客線化させ、横須賀線に転用させる為でありました。

1981(昭和56)年10月1日には、総武快速線の複々線区間が千葉駅まで延長され、稲毛駅にも快速が停車するようになっていました。

この日は、中央・総武緩行線の東船橋駅と幕張本郷駅が開業した日でもありました。

1986(昭和61)年4月2日に西大井駅、2010(平成22)年3月13日に武蔵小杉駅(横須賀線、湘南新宿ライン)がそれぞれ開業したことで、現在の形となっています。

1991(平成3)年3月19日に、成田線の空港支線(成田~成田空港✈️間)が、京成電鉄の京成成田~成田空港✈️間の新線と共に開業し、JR東日本が成田空港アクセスに参入した当時、成田発着の快速列車(当時はスカ色の113系が使われていた)が成田空港✈️まで延長されていました。

2001(平成13)年12月1日に湘南新宿ラインが出来てからは、横須賀線の列車を新宿経由で宇都宮線と直通させることが出来るようになったので、横須賀線の新宿乗り入れが実現したと共に、東京駅や品川駅の混雑が緩和されていました。

成田空港✈️行きの快速は、2018(平成30)年3月16日までエアポート成田号と呼ばれていたけど、成田エクスプレスと紛らわしいということにより、無名の快速(側面表示は成田空港 NARITA-AIRPORT)となっていました。

1991年3月19日の成田線空港支線(成田~成田空港✈️間)が開業した当時、113系による無名の成田空港行きが運転されていたので、当時に逆戻りしたような感じとなっていました。

エアポート成田の愛称名は、1991年5月1日から2018年3月16日までの間に、成田空港行き✈️の快速だけに使われていたので、成田空港✈️発は当初から無名の快速となっています。

E235系近郊バージョンによる成田空港✈️行きの場合は、Narita-Airport Terminal 1と表示されています。

1991年4月26日から1992(平成4)年11月29日までの間、113系による特別快速エアポート成田号(東京~成田空港✈️間で、途中、錦糸町、船橋、津田沼、千葉の各駅に停車していた)が運転されていたこともありました。

横須賀・総武快速線の路線(久里浜、逗子~東京間は横須賀線、東京~千葉間は総武快速線)

久里浜~衣笠~横須賀~田浦~東逗子~逗子~鎌倉~北鎌倉~大船~戸塚~東戸塚~保土ヶ谷~横浜~新川崎~武蔵小杉~西大井~品川~新橋~東京~新日本橋~馬喰町~新小岩~市川~船橋~津田沼~稲毛~千葉→(一部の列車のみ、成田空港✈️、君津、上総一ノ宮、成東、鹿島神宮まで直通運転)

ナンバリングはJO01~28で、久里浜駅から千葉駅まで繋がっています。

総武本線、成田線の快速停車駅

千葉~都賀~四街道~物井~佐倉~酒々井(しすい)~成田~空港第2ビル(成田第2・第3ターミナル)✈️~成田空港(成田第1ターミナル)✈️

成東発着、鹿島神宮発着は、佐倉駅より先は各駅に停車扱いとなります。

内房線の快速停車駅

千葉~本千葉~蘇我~浜野~八幡宿~五井~姉ヶ崎~長浦~袖ヶ浦~木更津~君津

外房線の快速停車駅

千葉~本千葉~蘇我~鎌取~誉田~土気~大網~茂原~上総一ノ宮

横須賀・総武快速線直通の快速列車は、総武線の東千葉駅、内房線の巌根駅、外房線の永田、本納、新茂原、八積の各駅を通過することになるので、途中駅での乗り換えが必要となります。

外房線の快速は、2004(平成16)年10月15日まで、大原駅発着も設定されていました。

一昨年3月11日まで、平日の朝の上りと夜の下りに2本ずつ運転されていた総武快速線の通勤快速は、新小岩、市川、津田沼、稲毛、物井の各駅を通過していたことに加え、下り列車の場合は、市川駅で通勤快速が快速を追い抜くシーンが見られていました。

乗換駅🚃🔃🚃

久里浜 京急久里浜線(京急久里浜駅)

逗子 京急逗子線(逗子・葉山駅、徒歩連絡)

鎌倉 江ノ島電鉄線(江ノ電)

大船 東海道線(平塚、小田原、熱海方面)、根岸線(京浜東北線に直通)、湘南モノレール江の島線

戸塚 東海道線⇔横須賀・総武快速線、横浜市営地下鉄ブルーライン

横浜 東海道線⇔横須賀・総武快速線、京浜東北線(一部横浜線に直通)、根岸線、東急東横線、横浜高速鉄道みなとみらい線、京急本線、相鉄本線、横浜市営地下鉄ブルーライン

武蔵小杉 横須賀・総武快速線⇔湘南新宿ライン(東海道線⇔高崎線直通)、南武線、相鉄・JR直通線、東急(東横線、目黒線)

西大井 横須賀・総武快速線⇔湘南新宿ライン(横須賀線⇔宇都宮線直通)

品川 山手線、京浜東北線、上野東京ライン(東海道線、宇都宮線、高崎線、常磐線)、東海道・山陽新幹線、京急本線

新橋 山手線、京浜東北線(日中は快速運転の為に通過)、上野東京ライン(東海道線、宇都宮線、高崎線、常磐線)、東京メトロ銀座線、都営浅草線、新交通ゆりかもめ

東京 山手線、京浜東北線、中央快速線、上野東京ライン(東海道線、宇都宮線、高崎線、常磐線)、京葉線、東北・北海道・山形・秋田・上越・北陸新幹線、東海道・山陽新幹線、東京メトロ(丸ノ内線(東京駅)、東西線(大手町駅))

新日本橋 東京メトロ(銀座線、半蔵門線(三越前駅))

馬喰町 都営新宿線(馬喰横山駅)、都営浅草線(東日本橋駅)

錦糸町 横須賀・総武快速線⇔中央・総武緩行線、東京メトロ半蔵門線

新小岩、市川、稲毛 横須賀・総武快速線⇔中央・総武緩行線

船橋 横須賀・総武快速線⇔中央・総武緩行線、東武アーバンパークライン(野田線)、京成本線(京成船橋駅)

津田沼 横須賀・総武快速線⇔中央・総武緩行線、新京成電鉄新京成線(新津田沼駅)

千葉 総武本線(佐倉、成東、八日市場、銚子方面)、成田線(成田、成田空港✈️、佐原、銚子、鹿島神宮方面)、内房線(木更津、君津、館山方面)、外房線(茂原、上総一ノ宮、安房鴨川、東金方面)、千葉都市モノレール(1号線、2号線)、京成千葉線(京成千葉駅)

東京駅と新橋駅は、横須賀・総武快速線の地下ホーム発着となります。

横須賀・総武快速線から半蔵門線への乗り換え(或いはその逆)は、新日本橋(三越前)駅よりも錦糸町駅のほうが便利であります。

E217系🚃は、近郊型車両初の4ドア車(当時導入が進められていた通勤型車両の209系がベース)で、209系にサロ124(113系の一部に連結されていた2階建てグリーン車)を入れたような感じの車両であり、1994(平成6)年から1999(平成11)年までの5年間に、スカ色の電車として親しまれていた113系の置き換え用として、11両基本編成51本561両、4両付属編成46本184両の計745両が、川崎重工業兵庫工場(川崎車両、Kawasaki)、東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)、新津車両製作所(現、総合車両製作所新津事業所)、大船工場(のちの鎌倉総合車両センターで、現在は工場地区が廃止されて鎌倉車両センターとなっている)で製造されていました。

E217系がデビューしたのは、1994年12月3日(プレイステーション(PlayStation、PS1(元祖プレステ))📺🎮の発売日でもあった)のことであり、当初は逗子~東京~成田空港✈️間での15両編成の固定運用となっていました。

E217系が209系(通勤型車両)ベースの4ドア車であることにより、2000(平成12)年にデビューしたE231系から通勤型と近郊型の共通設計となったきっかけとなり、それがE233系やE235系に受け継がれています

これによって、E217系の後継の近郊型車両が、E219系ではなく、E231系の近郊バージョンとなったのであります。

中央快速線のE233系がトイレ🚻付きとなり、今後グリーン車が組み込まれた12両編成へと進化し、通勤型車両から近郊型車両に格上げされることになるのは、通勤型と近郊型の共通設計だからこそであります。



E217系は、近郊型初の4ドア車(普通車のみ)であるので、導入線区に比較的混雑が激しい横須賀・総武快速線が選ばれていたけど、その置き換え用として導入されているE235系の近郊バージョンにも4ドア車が受け継がれています。

国鉄時代までは、近郊型車両は3ドアが当たり前だったけど、国鉄末期の1986(昭和61)年から民営化(JR化)後の1991(平成3)年までの間に導入された211系も普通車が3ドアとなっていました。

もしも横須賀・総武快速線の113系が211系によって置き換えられていたら、混雑に対応出来ないどころか、総武快速線の錦糸町~千葉間や横須賀線での120Km/h運転に対応出来なかったところでありました。

東海道線(東京~熱海間)で活躍していた211系では、国鉄時代に導入された初期型が10両の基本編成がセミクロスシート、5両の付属編成がロングシートとなっていたけど、混雑が激しくなった為に基本編成の普通車をロングシートに変えたことで凌いでいました。

やはり3ドアということで、乗り降りに時間が掛かっていたのも言うまでもないです。

総武快速線は、最高130Km/hである成田エクスプレス(NE'X)との競合区間であるので、遅延回復対策により、100Km/hまでしか出せなかった113系が、120km/hまで出せる4ドア車のE217系に置き換えられたのもそのはずであります。

E217系とE235系1000番台(近郊バージョン)の運転区間は、横須賀線(東京~逗子~久里浜間)、総武快速線(東京~千葉間)、総武本線(千葉~佐倉~成東間)、成田線(佐倉~成田~香取間、成田~成田空港✈️間)、外房線(千葉~蘇我~上総一ノ宮間)、内房線(蘇我~君津間)、鹿島線(香取~鹿島神宮間)であり、E235系1000番台(近郊バージョン)の初日の2020(令和2)年12月21日は、大船~東京~君津間と千葉~佐倉間で運転されていました。

E235系1000番台(近郊バージョン)は、現在までに基本編成26本、付属編成が23本が営業運転入りしていたけど、一時期、JR相模線、JR宇都宮・日光線へのE131系(同じ総合車両製作所新津事業所製)の導入が優先された為に導入が中断されていたことがありました。

E235系1000番台の導入により、廃車となったE217系は、11両基本のY-1〜14,16〜21,25,36,38,43〜51編成の32本

4両付属のY-103〜108,110,111,112,114,115,118,119,121,123〜127,134〜139,142,143,144,146編成の29本となっています。

今後廃車となるE217系は、インドネシア🇮🇩に輸出される計画があったけど、残念なことに、新型車両の導入により中止となってしまいました。

1999年12月に113系からE217系への置き換えが完了した時点では、E217系が大船電車区→鎌倉総合車両所と幕張電車区(現、幕張車両センター、千マリ)に分散配置されていたけど、鎌倉所属編成は、F編成、幕張所属編成は、R編成となっていました。

2006年3月18日には、鎌倉車両センターに集中配置されるようになり、Y編成(11両基本編成は0番台、4両付属編成は100番台)に変更されていました。

F編成は、E235系1000番台の11両基本編成、R編成は、E131系0番台(内房線、外房線の木更津~安房鴨川~上総一ノ宮間のUの字運用と、成田・鹿島線の成田、佐原~鹿島神宮間用)に受け継がれています。

E217系🚃は、2001(平成13)年12月1日から2004(平成16)年10月15日までの間、215系(2021(令和3)年)3月12日まで湘南ライナー(特急湘南号の前身)に使われていたオール2階建て車両、DDL)と共に、湘南新宿ラインの新宿折り返しの列車(新宿~横須賀、久里浜間)にも使われていました。

現在運用中のE217系は、11両基本編成、4両付属編成共に16本と少なくなっており、E217系による固定運用だった鹿島神宮発着の直通列車が、今回のダイヤ改正でE235系に置き換えられていました。

E217系の座席は、1~3,6~8号車(基本編成)と増1~4号車(付属編成)がロングシート、9~11号車がセミクロスシート、4号車と5号車(グリーン車💺🍀)が回転リクライニングシート💺であるけど、E235系では、9~11号車もロングシートとなっているので、普通車全車ロングシートとなってしまいました。

セミクロスシートが廃止されてしまったことによる不満の声があるけど、混雑率や付属編成がオールロングシートであることを思うと納得いく状態であります。

中央快速線のE233系も、普通車がオールロングシートとなっているので、グリーン車組み込み後には、横須賀・総武快速線のE235系みたいな編成となります。

中央快速線のグリーン車サービスは、来年春に開始される予定となっています。

E217系のトイレ🚻は、1号車が車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽、11号車と増1号車が和式トイレ、5号車(グリーン車)が通常幅の洋式トイレ(化粧室付き)🚻🚽となっているけど、E235系では、普通車(1,6号車と増1号車)のトイレが全て車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽となり、付属編成側(増1号車)のトイレが初の洋式🚽となっています。

113系のトイレのほうは、グリーン車を含めて全て和式であった為に、かつて183系によって上野~成田空港間(常磐線、成田線経由)で運転されていたエアポート常磐号(こちらも和式トイレしかなかった)と同様に、成田空港アクセス列車には適していない状態でありました。

それだけでなく、バリアフリー非対応ともなっていました。

1994年12月3日にデビューした当時は、バリアフリー法が施行される前だったことにより、普通車が和式トイレ、グリーン車が洋式トイレ🚽となったけど、1997(平成9)年に導入された編成からは1号車のトイレ🚻が車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽となり、Y-21編成以前の編成では、1号車が車椅子対応トイレ(だれでもトイレ)🚻♿付きの新造車に差し替えられ、捻出された先頭車が、増1号車に回されていました。

E235系近郊バージョンのトイレ🚻のほうは、E231系の後期型やE233系と同様にグリーン車を含めて全て洋式🚽となっているけど、E217系とは異なり、11号車にはないので、注意が必要⚠️であります。

E217系が導入された当初は、東京トンネル区間(品川~東京~錦糸町間)を通る時に、地下鉄と同様に貫通ドアを取り付けることが義務付けられていたけど、法改正により、1999年1月に導入された編成から貫通ドアが廃止され、貫通ドア付きと同じ外観の非貫通車となっています。

東京トンネル区間がATCからATS-P化されたのは、2004年2月29日のことであり、地上信号機🚦が取り付けられるようになったので、その後にATC化された井の頭線を含めた京王電鉄の路線全線や東武東上線の池袋~小川町間とは逆の現象となっていました。

これにより、ATCなしの車両(非ATC車)を横浜方面から千葉方面(或いはその逆)に直通させる時に新宿駅を経由させる必要が無くなっています。

E217系の1,11号車と増1号車にATC装置が取り付けられていたのはその為であり、E235系近郊バージョンではATC装置が省略されています。

横須賀・総武快速線の付属編成が12~15号車ではなく、増1号車~増4号車となっている理由は、東京駅発着列車で有楽町(品川)寄りに来る車両を1号車とする決まりがあり、逗子駅での留置線の配線の関係により、東京・千葉寄りに付属編成を連結することが出来ない為に反対側の1号車の隣に連結されているからであります。

11両基本+4両付属のスタイルは、2006(平成18)年3月17日まで存在していた東海道線の113系でも見られていました。

2006年3月18日から2015年3月13日までの間、E217系の初期型編成(3編成)が東海道線の東京~熱海間(湘南帯)で活躍していたこともあったけど、E231系やE233系と揃える為に10+5編成に組み替えられ、15両固定で扱われていたので、比較的狙いやすかったです。

総武快速線で120km/hが行われる区間は、線形の良い市川~船橋間(特に下総中山駅付近)が中心であり、E259系による成田エクスプレスなどの特急🚃💺✈️も、130Km/hで快走することになっています。



今回のダイヤ改正では、普通列車のグリーン車の料金が改定され、事前料金と車内料金から、Suicaグリーン料金と通常料金となりました。

これにより、平日料金とホリデー(土休日)料金が廃止され、年間を通じた同額となっています。

横須賀・総武快速線の東京駅地下ホームは、丸の内側の地下にあり、地下1階が改札口、コンコース、地下5階がプラットホーム(2面4線)であり、成田空港行き✈️の成田エクスプレスは、総武地下ホーム4番線(Track No.4)、成東、銚子方面の特急しおさい号は2番線、成田空港✈️からの横浜、新宿方面の成田エクスプレスは1番線または2番線からの発着となっています。

こちらのトイレ🚻は、地下1階と地下4階にあります。

南側にある京葉線の東京駅地下ホームも、2面4線で似たような構造となっているけど、京葉線地下ホームのほうが深いです。

しおさい号は、東京駅2番線からの発車なので、成田エクスプレスと間違えることはないけど、油断は禁物であります。

新日本橋駅は、東京メトロ銀座線、半蔵門線の三越前駅との乗換駅であり、日本橋三越とも地下で繋がっているので、雨の日☔の買い物にも便利であります。

こちらからは、山手線、京浜東北線、中央快速線の神田駅まで歩いて行けるので、輸送障害があった際の振り替え乗車の時に活用されています。

新橋駅の横須賀・総武快速線ホームは、東口(汐留側)の地下にあり、平日朝に小田原→東京(総武地下ホーム)間運転されている特急湘南8号と10号(E257系2000番台(9両編成、踊り子号の車両)による運転)も到着することになっています。

これらの列車は、湘南ライナーの時代には、215系で運転されていたので、215系にATC装置が取り付けられていたことがありました。

新橋駅に定期の特急列車が停車するのは、湘南8号と10号の2本だけであります。

湘南8号は、東京駅の総武地下ホームに到着した後、前述の錦糸町駅の留置線まで回送されます。

JR総武快速線の馬喰町駅、都営新宿線の馬喰横山駅、都営浅草線の東日本橋駅は、トライアングル状に配置されており、そのうちの馬喰町駅に繋がる地下通路では、その北側にある中央・総武緩行線の浅草橋駅に出ることが出来るので、こちらも輸送障害があった際の振り替え乗車の時に活用されています。

これらの3駅のうち、最も深い場所にホームがあるのは、西側の馬喰町駅であり、国鉄時代には、最も深い駅となっていました。

1990年3月10日に開業した京葉線の東京駅は、それよりも深い場所にあるので、馬喰町駅が最も深い場所にある駅でなくなっています。

京葉線の地下トンネル区間の中間にある八丁堀、越中島の両駅も、新日本橋、馬喰町の両駅と同様の地下鉄風味の地下駅だけど、越中島駅は単独の地下駅であります。

東日本橋駅(東側)は地下1階、馬喰横山駅は地下3階、馬喰町駅(こちらは島式ホームとなっている)は地下5階にプラットホームがあります。

馬喰町駅の改札口は、西口(新日本橋、東京寄り)と東口(錦糸町、千葉寄り)に分かれており、西口の地下4階部分に都営新宿線の馬喰横山駅との連絡改札があり、馬喰横山駅のプラットホーム(地下3階部分にある2面2線の相対式ホーム)の新宿(岩本町)寄りと繋がっています。

こちらでの乗り換えの時には、平日の朝ラッシュ時に都営新宿線の西行(新宿、京王線方面)の先頭車が女性専用車🚃🚺️となっているので、注意が必要⚠️となります。

馬喰町駅のトイレ🚻は、西口側の地下1階と地下4階、東口側の地下1階にあり、西口側の地下1階には、車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽が併設されています。

馬喰横山、馬喰町駅付近には、繊維系製品が扱われている問屋街があり、そのアクセスにも使われています。 

錦糸町駅は、北側に快速線、南側に緩行線ホームがあり、ホームから北側に聳える東京スカイツリーを眺めることが出来ます。

錦糸町駅前及び周辺にテルミナ(ヨドバシカメラも入っている)、アルカタワーズ、アルカキット錦糸町、オリナス錦糸町、丸井錦糸町店、東京楽天地(錦糸町パルコ(PARCO))、錦糸公園などがあります。

錦糸町テルミナ(TERMINA)は、1961(昭和36)年11月28日に、駅ビルきんし町として開業したものであります。

アルカキット錦糸町は、かつて錦糸町そごうだった場所となっています。

南口には、歌人伊藤左千夫氏の歌碑があるけど、こちらには、昔住居や牧場🐄があったので、説明書きがあります。

錦糸町に牧場🐄があったのは、本当のことであり、明治時代に遡っています。

詳細は、「錦糸町テルミナ」、「ヨドバシカメラ錦糸町」、「アルカキット錦糸町」、「オリナス錦糸町」、「東京楽天地」、「錦糸町パルコ」、「丸井錦糸町店」、「錦糸公園」で検索。

昨年4月1日には、タワレコ(TOWER RECORDS)の錦糸町パルコ店で行われた、きみにYORISOERU(きみより)の「ひとひらのキセキ」の発売記念のリリースイベント(リリイベ)に行ったので、当時のことを思い出しました。

タワレコ(TOWER RECORDS)の錦糸町パルコ店は、錦糸町駅の東側(道路を渡った場所)にある錦糸町パルコ(PARCO)の5階にあり、駅から近いので便利であります。

錦糸町のタワレコは、2018(平成30)年2月12日まで、錦糸町オリナスにあったけど、翌年の2019(平成31)年3月16日に錦糸町パルコに移転された上で復活していました。

物井駅と佐倉駅の間の撮影には、モノサクと呼ばれている有名撮影ポイントがあり、撮影する人たちで賑わっています。

こちらは、Googleマップに登録されているほど有名であり、物井駅(快速停車駅)から20分程度歩いて行くことになります。

JR宇都宮線の東大宮~蓮田間の撮影ポイントは、ヒガハスと呼ばれるほど有名であり、モノサクとの共通点があります。

このような有名撮影ポイントで撮影する時には、ゴミを捨てない、植物を荒らさないなどのマナーを守ってもらいたいです。

市川駅の南側にある「I-linkタウンいちかわ」は、商業施設や住宅などが入った市川駅前のランドマークであり、ここに無料展望台があります。

こちらの夜景🌃🌉✨は、日本の夜景百選や日本夜景遺産に認定されています。

千葉県で日本の夜景100選に認定された場所は、木更津市の太田山公園にある「きみさらずタワー」、旭市の刑部岬(こちらも日本夜景遺産である)も挙げられています。

大船駅は、神奈川県鎌倉市と横浜市栄区に跨がる、東海道線、横須賀線、根岸線(京浜東北線の延長部分)、湘南モノレール江の島線(みちのりホールディングス系)が乗り入れているジャンクション駅であり、1,2番線が東海道線上り(上野東京ライン、湘南新宿ライン、横浜、品川、東京、新宿、大宮、高崎、宇都宮方面)、3,4番線が東海道線下り(平塚、小田原、熱海、伊東、沼津方面)、5,6番線が横須賀線上り(湘南新宿ライン、横浜、品川、東京、千葉、成田空港✈️、新宿、大宮、宇都宮方面)、7,8番線が横須賀線下り(鎌倉、逗子、横須賀、久里浜方面)、9,10番線が根岸線(関内、桜木町、上野、大宮、八王子方面)から成っています。

大船駅の駅ビルであるルミネウィングは、1992(平成4)年9月18日に開業した駅ビルであり、JR東日本グループのルミネ(LUMINE)と京浜急行電鉄(京急)の共同事業であることが、ルミネウィングの由来となっています。

詳細は、「ルミネウィング」で検索。

湘南モノレールの駅は、東口側にある2面1線の駅であり、乗車ホームと降車ホームに分かれています。

湘南モノレールでは、2018年4月1日からPASMOやSuicaなどのICカードが使えるようになっています。

湘南モノレールの時刻、運賃、運行情報等の詳細は、「湘南モノレール」で検索。

東口側には、2000(平成12)年6月30日まで、松竹大船撮影所があったことで有名でありました。

1995(平成7)年10月10日から1998(平成10)年12月15日まで、その敷地内に鎌倉シネマワールドがあったけど、たった3年間で閉鎖されてしまったのが惜しまれます。

ここにあった男はつらいよシリーズ(寅さん映画)のオープンセットの一部は、葛飾柴又にある「葛飾柴又寅さん記念館」に移設された上で展示されています。

その跡地は、鎌倉女子大学と鎌倉女子大学短期大学部の鎌倉キャンパス🏫となっています。

大船軒(駅弁メーカーの老舗)による鯵(あじ)の押し寿司は、1913(大正2)年4月に発売された大船駅の名物駅弁であり、漁港料理の鯵の押し寿司を駅弁に仕立てたものであります。

1899(明治32)年には、日本で初めて駅弁にサンドイッチが取り入れられたサンドイッチ弁当(大船軒サンドウヰッチ)が発売されていたことで話題になっているけど、こちらも大船駅の名物駅弁となっています。

当初は輸入もののハムが使われていたけど、のちに鎌倉ハム富岡商会が設立され、国産品のボンレスハムが用いられるようになっています。

ボンレスハムとは、骨(Bone)のないハム(ボーンレスハム)のことであり、豚ロース肉が使われているロースハムに対して、骨なしの豚もも肉が使われています。

詳細は、「大船軒」、「鯵の押し寿司」、「サンドイッチ弁当 大船駅」、「鎌倉ハム」で検索。

大船観音寺は、大船駅の西側にある大船のシンボルであり、白衣観音像は、全長約25mあります。

詳細は、「大船観音」で検索。

北鎌倉駅は、古都鎌倉の雰囲気が漂っている2面2線の相対式ホームの駅であり、鎌倉寄りの構内踏切で結ばれています。

改札口は、駅舎、上りホーム側の西口、下りホーム側の東口(円覚寺側)があり、下りホームの中程には臨時改札口(6時30分~21時30分)から成っているので、下りホーム側から構内踏切を渡らずに駅の東側に出られるようになっています。

周辺に鎌倉学園中学校・高等学校(男子校)🏫、北鎌倉女子学園中学校・高等学校🏫、神奈川県立大船高等学校🏫があることにより、通学時間帯に賑わうことになるので、臨時改札口が設けられているのもそのはずであります。

鎌倉学園の近くにある建長寺は、けんちん汁発祥の寺と言われています。

こちらは、精進料理であるので、昆布や椎茸から取った出汁が使われています。

精進料理は、仏教の教えに基づいている、肉類や魚類を使わない植物性の食事のことであり、鎌倉でも味わうことが出来ます。

詳細は、「建長寺」、「けんちん汁」、「精進料理」、「精進料理 鎌倉」で検索。

鎌倉駅は、JR横須賀線と江ノ島電鉄線(江ノ電)が乗り入れている鎌倉市の中心となる駅で、JRの駅が東側にある盛り土式の簡易高架駅(1面2線の島式ホーム)、江ノ電の駅が西側にある地上駅(2面2線で、3番線が乗車専用ホーム、4番線が降車専用ホーム、5番線が臨時ホーム)となっています。

鎌倉駅の駅舎は、1984(昭和59)年10月に改築されたものであり、古都鎌倉に相応しいデザインとなっています。

西口の駅前広場にある時計塔🕰️は、東口旧駅舎(先代の駅舎)にあったものが移設されたものであります。

鶴岡八幡宮⛩️は、鎌倉源氏の氏社であり、有名な神社⛩️であり、本宮に至る階段横に銀杏の木が植えられています。

こちらには、大銀杏が植えられていたけど、2010(平成22)年3月10日の強風により倒状してしまい、その後に植え替えられていました。

ここにある池は、平家池、源氏池であり、その間には、太鼓橋があります。

境内の平家池の前にある鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムは、2016(平成28)年3月に惜しまれて閉館した神奈川県立近代美術館鎌倉館の建物がリニューアルされたものであり、2019(令和元)年6月8日に再開館されていました。

こちらのミュージアムカフェ棟には、倒状した大銀杏の幹の下部が移植されています。

鎌倉国宝館には、鎌倉市の国宝、重要文化財が展示されています。

詳細は、「鶴岡八幡宮」、「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」、「鎌倉国宝館」で検索。

鎌倉の銘菓である豊島屋の鳩サブレーは、鶴岡八幡宮の鳩がイメージされた看板商品(ロングセラーでもある)であり、鎌倉土産に最適だと言われています。

詳細は、「鳩サブレー」、「鎌倉豊島屋」で検索。

鎌倉駅から行ける海水浴場🏖️は、由比ヶ浜海水浴場🏖️と材木座海水浴場🏖️であり、2015(平成27)年8月23日には、友人と一緒に由比ヶ浜海水浴場🏖️に海水浴に行ったことがあります。

詳細は、「由比ヶ浜海水浴場」、「材木座海水浴場」で検索。

江ノ電の稲村ヶ崎駅付近にある稲村ヶ崎温泉♨️は、鎌倉唯一の天然温泉で、海を見ながら入ることが出来るけど、大人の同伴であっても、13歳未満は入館することが出来ないので注意が必要⚠️であります。

詳細は、「稲村ヶ崎温泉」で検索。

江ノ電の長谷駅付近は、鎌倉大仏でお馴染みの高徳院や長谷寺(長谷観音)があり、どちらも長谷駅付近の名所となっています。

詳細は、「鎌倉大仏」、「長谷観音」で検索。

長谷駅にある「定食屋しゃもじ」は、しゃもじのイラストもある評判の定食屋であり、海鮮丼やしらす丼も味わうことが出来ます。

このことで、自分(しゃもじ)のしゃもじスタイル🐰を思い出します。

詳細は、「定食屋しゃもじ」、「定食屋しゃもじ鎌倉」で検索。

江ノ電の路線、時刻、運賃、運転状況等の詳細は、「江ノ電」で検索。

江の島、鎌倉の観光地等の情報については、江の島・鎌倉ナビや鎌倉市観光協会のホームページを見れば分かります。

吉川美南〜鎌倉間(武蔵野貨物線経由)で運転されているJR東日本の臨時特急鎌倉号(旧、ホリデー快速鎌倉号、全席座席指定)🚃💺は、E257系5500番台(モノクラスの5両編成)が使われていたけど、3月16日からはE653系の7両編成(グリーン車付き)で運転されるようになっています。

特急鎌倉号の運転日、時刻、料金、運行状況などの詳細は、JR東日本のホームページを見るか、「特急鎌倉号」で検索。

逗子駅は、逗子市の中心にある2面3線の駅(湘南新宿ライン(横須賀線⇔宇都宮線系統の折り返し駅))であり、前述の通り、逗子~横須賀~久里浜間が11両編成が最大となる為に、分割・併合作業が行われています。

1番線が駅舎(東口改札)と直結した単式ホーム、2,3番線が島式ホームとなっているので、静岡県伊東市にあるJR伊東線と伊豆急行線の伊東駅に似ているところがあります。

逗子駅は、跨線橋での連絡となっており、東口改札とも結ばれています。

総合車両製作所横浜事業所からの出場(への入場)の拠点駅となっており、京急逗子線の神武寺駅から出ている非電化の連絡線を通っていくことになるので、ディーゼル機関車による牽引が行われています。

逗子駅(Zushi)の駅名は、JR線で唯一「ず」から始まる駅名と共に、JRの駅でアルファベット順で一番最後に来る駅となっています。

日本の鉄道駅全般で、アルファベット順で一番最後に来る駅は、周辺にある京急逗子線の逗子・葉山駅(旧、新逗子駅)であり、逗子駅から徒歩5分程度で行くことが出来ます。

因みに、日本の鉄道駅全般で、アルファベット順で一番最初に来る駅は、北海道網走市にある、JR北海道の石北本線と釧網本線の網走駅(Abashiri)であります。

横須賀線の横須賀駅は、2番線と3番線があり、2番線は横須賀折り返しの上り列車(逗子、大船、東京、千葉方面)専用、3番線は下り列車(久里浜方面)行きと、久里浜方面からの上り列車で使われています。

JR横須賀駅の駅舎は、2番線のエンド側、トイレ🚻♿はホームの入口側にあることにより、階段がない構造であることから、関東の駅の百選に選ばれていました。

1番線は、側線として使われているので、欠番となっています。

こちらは、バリアフリー♿対応の駅であることも評価されています。

横須賀線の横須賀~久里浜間は単線であり、その中間にある衣笠駅が交換駅となっています。

横須賀駅と京浜急行電鉄京急本線の汐入駅の間には、ヴェルニー公園(バラ🌹の名所でもあるフランス風の公園)があり、その周辺には、横須賀港や在日アメリカ軍による横須賀海軍施設、海上自衛隊の横須賀基地があることにより、艦船を眺めることも出来ます。

ヴェルニー公園のバラ園🌹は、横浜の山下公園と同様に、港の見えるバラ園となっています。

汐入駅前にある横須賀芸術劇場、ヨコスカ・ベイサイド・ポケットやCoaska Bayside Stores(コースカベイサイドストアーズ)も、JR横須賀駅から歩いて行くことも出来ます。

詳細は、「ヴェルニー公園」、「横須賀芸術劇場」、「Coaska Bayside Stores」で検索。

横須賀中央駅やJR横須賀駅のある神奈川県横須賀市は、1907(明治40)年に横須賀町の市制施行により出来た市であり、1933(昭和8)年に衣笠村と田浦町が、1943(昭和18)年に浦賀町、北下浦村、長井町、武山村、大楠町、逗子町がそれぞれ横須賀市に編入されていました。

1950(昭和25)年には、旧逗子町地域が分離されて再び逗子町となり、1954(昭和29)年4月15日に市制施行により逗子市となっています。

横須賀のどぶ板通りは、アメリカと日本の文化が融合した和洋折衷(日米折衷)の商店街であり、スカジャンの発祥地としても有名であります。

詳細は、「どぶ板通り」、「スカジャン」で検索。

横須賀市街から最も近い駅は、快特やウィング号の停車駅でもある横須賀中央駅であり、横須賀市にある駅で最も栄えています。

駅前及び周辺には、横須賀モアーズシティ(横浜岡田屋の系列)、横須賀プライム、リドレ横須賀(元西友横須賀店)、さいか屋横須賀店などがあり、横須賀市役所へは横須賀中央駅が近いということになります。

横須賀中央駅付近にある、さいか屋横須賀店は、2021年2月21日をもって一旦閉店となり、同年3月6日には現在の位置のまま、SAIKAYA YOKOSUKA SHOPPING PLAZAというショッピングプラザに転換されてリニューアルオープンしていました。

こちらは、長年親しまれていたさいか屋の名前を残す為に、SAIKAYAから始まっています。

さいか屋は、1872(明治5)年に横須賀に出来た雑賀屋呉服店がルーツであり、三越(MITSUKOSHI)や伊勢丹(ISETAN)と同様に呉服店から始まった老舗デパートでもあります。

さいか屋は、川崎店(川崎日航ホテル内)、藤沢店もあり、藤沢店の屋上からは、江ノ島・湘南の海を一望出来ると言われています。

藤沢駅前には北口にさいか屋、南口にODAKYU湘南GATE(小田急百貨店藤沢店)があるけど、かつて南口に藤沢西武店(西友による運営で現在のLIVINに当たっていた)もあったことを思い出しました。

詳細は、「さいか屋」で検索。

横須賀中央駅の接近メロディーには、いい日旅立ちでお馴染みの山口百恵氏(横須賀市出身でもある)による「横須賀ストーリー」が使われているので、横須賀らしさを感じます。

横須賀中央駅の接近メロディーには、いい日旅立ちでお馴染みの山口百恵氏(横須賀市出身でもある)による「横須賀ストーリー」が使われているので、横須賀らしさを感じます。

横須賀ストーリーは、1976(昭和51)年6月21日にリリースされた曲であり、前年の1975(昭和50)年4月20日にリリースされ、大ヒットしていたダウン・タウン・ブキウギ・バンドによる「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」ど同様に、阿木耀子氏による作詞、宇崎竜童氏による作曲となっています。

周辺にある三笠公園は、日本の都市公園100選や日本の歴史公園100選に選ばれており、そこには、戦艦三笠が記念艦として展示されています。

そこにある三笠桟橋からは、船⛴️で猿島という無人島🏝️に行くことも出来ます。

猿島では、バーベキューを楽しむことが出来、夏場には、海水浴場🏖️も開設されます。

猿島航路の乗船料(往復)は、1400円(小学生は700円)であり、別途猿島の入園料(200円(小中学生は100円))が掛かることになっています。

詳細は、「三笠公園」、「戦艦三笠」、「猿島」、「猿島航路」で検索。

横須賀海軍カレー🍛は、大日本帝国海軍の糧食に由来するものであり、海上自衛隊では毎週金曜日にカレーを食べることが習慣となっています。

1908(明治41)年に発行された、海軍割烹術参考書に書かれたレシピには、「ルーは、カレー粉と小麦粉を炒って作る」、「牛肉か鶏肉、人参、玉葱、馬鈴薯(じゃがいも)を入れる」、「チャツネを付け、牛乳とサラダを添えて提供する」と書かれています。

横須賀海軍カレー🍛は、そのレシピが生かされたものであります。

横須賀市では、1999年5月20日に、カレーの街🍛となり、横須賀のグルメの一つとして注目されています。

横須賀海軍カレーの店のうちの横須賀海軍カレー本舗は、横須賀中央駅から徒歩2分の場所にあり、横須賀海軍カレー、牛乳、サラダ、チャツネ、コーヒーのセットにより、明治時代の味わいそのものとなっています。

ヨコスカネイビーバーガー(YOKOSUKA NAVY BURGER)🍔は、米海軍内で食べられていたネイビーバーガー(NAVY BURGER)のレシピが生かされた横須賀独自のハンバーガー🍔であり、長崎県佐世保市の佐世保バーガー🍔などと並ぶご当地ハンバーガーの一つとなっています。

こちらのビーフパティは、つなぎが使われていないのが特徴であり、肉本来の味を楽しむことが出来ます。

発売開始されたのは、2009(平成21)年1月30日のことであり、よこすか海軍カレー🍛10周年を期に、ネイビーバーガー🍔をアレンジして売り出して活性化させようという狙いがあったことが分かります。

ヨコスカチェリーチーズケーキは、米海軍横須賀基地によってプロデュースされたニューヨークスタイルチーズケーキ(アメリカンスイーツ)であり、日本とアメリカ🇺🇸(日米の友好)である日本の象徴である「桜=Cherry」がトッピングされているのが特徴であります。

もう一つの特徴は、チーズがふんだんに使われていることであります。

詳細は、「横須賀海軍カレー」、「ヨコスカネイビーバーガー」、「ヨコスカチェリーチーズケーキ」で検索。

横須賀市の観光情報は、横須賀の観光情報サイトであるここはヨコスカで調べることが出来ます。

横須賀市には、横浜DeNAベイスターズの選手寮である、青星寮があり、青星寮カレー🍛が名物となっています。

このことは、埼玉西武ライオンズの選手寮である若獅子寮で、若獅子カレー🍛が名物となっていることと同様であり、どちらも学校給食のカレー🍛として提供されています。

横浜DeNAベイスターズの本拠地である、横浜スタジアムで、青星寮カレーを味わうことが出来るので、ベルーナドームでの若獅子カレー🍛との共通点があります。

横須賀市の追浜公園にある横須賀スタジアムは、二軍の球場であり、追浜駅が最寄り駅となっています。

詳細は、「横浜DeNAベイスターズ」、「青星寮カレー」、「埼玉西武ライオンズ」、「若獅子カレー」で検索。

1998年は、プロ野球で横浜ベイスターズ(現、横浜DeNAベイスターズ)が日本一(総合優勝)、高校野球では、横浜高等学校(横浜市金沢区、能見台駅付近にある私立高校)が優勝していたので、横浜の野球が熱い年でありました。

カレーの本場は、インド🇮🇳であるけど、ヒンドゥー教の国で、牛肉を食べてはいけないことになっているので、インドにはビーフカレーがないです。

このことは、イスラム教の国で豚肉を食べてはいけないことと同様であります。

ビーフカレーは、18世紀にインドからイギリス🇬🇧にカレー文化が伝わった時に出来たものであり、日本の京都府と同様に牛肉を好むイギリス🇬🇧らしさが表れています。

ローストビーフは、代表的なイギリス料理であり、日本でも有名であります。

JR久里浜駅は、1面2線の島式ホームの駅であり、ホームと駅舎を結ぶ跨線橋にエレベーターやエスカレーターがあります。

京急久里浜線の京急久里浜駅がすぐ近くにあるので、区別する為にJR横須賀線の久里浜駅のことをJR久里浜駅と呼んでいます。

このことは、JR成田線の成田駅(JR成田駅)の近くに京成線の京成成田駅があることに似ているところがあります。

横須賀線の衣笠駅付近にある、佐野天然温泉のぼり雲♨️は、衣笠駅から徒歩15分で行ける美人の湯を楽しめる日帰り温泉施設であります。

こちらには、佐野ゴルフガーデン⛳も併設されているので、ゴルフ⛳の後に温泉♨️に入ることも出来ます。

こちらへは、京急本線の横須賀中央駅から徒歩18分で行くことも出来ます。

詳細は、「佐野天然温泉のぼり雲」、「佐野ゴルフガーデン」で検索。

錦糸町の楽天地ビルの9階にある、天然温泉 男性専用 楽天地スパ(スパ&サウナ)♨️🚹️は、錦糸町駅近くにある温泉施設で便利であるけど、男性専用♨️🚹️である為に、女性🚺️並びに小学生以下(男女を問わず)が入ることが出来ないので、注意が必要⚠️であります。

ホームページには、女性のお客様、お子様は姉妹店 楽天地天然温泉法典の湯をぜひご利用ください。と書いてあります。

楽天地天然温泉法典の湯♨️は、JR武蔵野線の船橋法典駅付近(千葉県市川市)にあり、美肌効果があると言われています。

船橋法典駅から楽天地天然温泉法典の湯までは、徒歩5分と便利であります。

昨年4月29日に行ってみて良かったな❗と思いました。

詳細は、「楽天地天然温泉法典の湯」、「楽天地スパ 錦糸町」で検索。

自分(しゃもじ)のブログで温泉♨️をよく話題にする理由は、温泉が好きだからだけでなく、美肌効果があることを紹介したいからであります。

東武鉄道では、3月31日から、200系りょうもうによるりょうもうカルピスEXPRESSが運転される予定となっています。

こちらを撮影した時に、カルピスのことも話題にする予定であります。

3月8日には、緑亀編成だった8568Fが北館林荷扱所(渡瀬北留置線、群馬県館林市)まで廃車回送されていました。

西新井→館林間では、団臨となっていました。

東急線と相鉄線が新横浜駅に乗り入れてから、3月18日で1周年を迎えるので、東急3020系、相鉄20000系列(20000系と21000系)によるラッピング電車の運転が予定されています。

そのうちの東急3020系のラッピングは、JR東海とのコラボによる新幹線風(3123F)であり、3月4日から運転されています。

2月23日は、高円寺HIGHで行われたMONSTER PARADEに行き、1学期の前髪(まえがみちゃん)を見ることに成功しました。

2月18日は、代々木のLIVE STUDIO LODGEで行われていたほののんこと永井穂花氏の生誕祭に、諸事情により行かれなかったのが残念でありました。ほののん推しのしゃもじが欠席したことで大変申し訳ありませんでした。

2月10日は、上野水上音楽堂で行われた、スーパーライブに行き、たまプリのメンバーを見ることに成功しました。

2月3日の東新宿のバトゥール東京にも行けて良かったです。

1月21日は、上野水上音楽堂で行われた、超アイドルの日に行き、HIGHSPIRITS(ハイスピ)を見ることに成功しました。

この時に新メンバーの泉いろは氏と初めて会うことが出来て良かったです。

この日に渋谷ONE5で行われたぶどう党の解散ライブに諸事情により行かれなかったことにより、しゃもじ欠席 となってしまったのが残念でありました。

本当は掛け持ちで行きたかったです。

本年3月16日には、255系(房総ビューエクスプレス)が定期運用から離脱されるなどの残念な話題があるけど、北陸新幹線が福井経由で敦賀まで延長されることや、山形新幹線にE8系が導入されるなどの明るい話題があります。

北陸新幹線の敦賀延長は、関東からの場合は乗り換えなしで行けるようになるけど、関西からの場合は敦賀駅での乗り換えが必要となってしまいます。

サンダーバード号としらさぎ号は、新幹線リレー号と同様の役割を果たすようになります。

3月10日は、恵比寿ガーデンルームで行われたPOP IN FESTIVAL 2024で、ぽけっとファントムを見ることや、新曲を聴くことに大成功しました。

昨年12月24日は、渋谷DAIAで行われた、『きみにYORISOERU×未完成のキャラメル~クリスマスイブの2マンライブSP~』に行き、きみよりと未完成のキャラメル(みかめる)を見てきました。

25日はきみよりの現体制最後の公演でありました。

きみよりの現体制の終了は、50000形VSEの完全引退と同様の寂しさを感じています。

昨年8月20日は、代々木公園で行われた、あーにゃこと伊藤蒼姫氏😸のオフ会であるもっふ会に行き、あーにゃ😸とデート気分を味わうことが出来ました。

この時に会話することはもちろんのこと、一緒に歩くことが出来たので、良い運動となりました。

あーにゃ😸は、しゃもじさん🐰に出会えて良かったと言っていたので、ご満悦の様子でありました。

同行していたあにゃママ(あーにゃの母親)🐈️ともお話することも出来たけど、当ブログをたまに見てると言っていたので、感謝しています。

あーにゃ😸は、スペーシアXも話題にしていました。

代々木公園での散策は、風が気持ち良かったです。

5枠あったうちの3枠が埋まったけど、自分(しゃもじ)も埋めておいて正解でありました。

日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。

このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。

当ブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。

過去の記事と同じような内容だけど、文章の一部を変えて投稿するようにしています。

こちらは飛ばしても構いません。

当ブログでは、お見苦しい点があるけど、見てくれたことで感謝しています。

横須賀線や総武快速線の時刻、運賃、運行情報等の詳細は、JR東日本のホームページを見るか、「横須賀線」、「総武快速線」で検索願います。

E217系の撮影には、マナーを守ってもらいたいと思っています。

今宵はここまでに致しとうござりまする。