まだ1ヶ月前の話。
成田のリサーチも済んで(建前)あとは帰るだけ。
帰るというか、時間調整も済ませて次の街へ。
実は、一昨年の11月に訪れた時にも、3400形は都営車と並んでいる。
しかし都営浅草線は、昨年の今頃には世代交代を完了。
京成電鉄で、平成初期の登場でありながらどことなく昭和感も覗かせる稀有なグループ。
しかしそれも、いよいよ終わりが近づいてきたのであろうか。
とはいえ、まだ3500・3600形という昭和を駆け抜けたグループもいる。
なかなか絶妙な気難しさが介在する京成界隈、これからどうなっていくのだろうか?
すっかり年季の入ったワンハンドルが、今日も輸送を支える。
通い慣れた道を、奇を衒わずただ真っ直ぐに。
津田沼、船橋と乗客を入れ替えながら、西へ。
信頼できる安定した走りっぷりは、まだまだ健在だった。
まだまだ乗っていたかったが、タイムリミットの関係もあって押上線に乗り換えるため、今回は
青砥で乗車を打ち切り、ここで見送って終了とした。
京急の蒲田、京成の青砥。
2駅もの二層構造の駅を日常的に通過する電車は、他になかなかいまい。
…そして、この時と真逆のような動きを、今度は約1週間後の2月18日に。
今度もいつもの墨田区に赴くタイミングで、今回は京成押上線を直通運用で通過するためだ。
押上駅を出て地下から高架に駆け上がる、唯一の踏切で一昨年9月以来の撮影。
とにかく、誰も狙う人はいない。
粛々と、日常を。
それはイベントが終わり、成田空港から帰ってくるタイミングも同じ場所で迎撃する。
一日で2度美味しい。
墨田の商店街と同じように、大満足で帰路についたのだった。
が…
この後から体調を崩し、最高39.6℃の高熱で丸2日寝込むという憂き目に。
年齢も着実に重ね、だんだんと無理が利かなくなってきているようで…
それはこのブログ執筆スピードにも、少なからず影響し始めているようである。
そして、周囲もなかなか動かないであろうと(勝手に)思っていた山が動き始めた。
今度はあれが?!と、毎週のようにてんやわんやしながら記録蓄積を続けている。