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テーマ:鉄道(21859)
カテゴリ:駅・操車場・施設
気仙沼線:津波に呑まれた志津川駅
東日本大震災から13年が経過しました。 復興はかなり進みましたが、地域が元通りになることはなく、まして亡くなった方が戻ることはありません。 原発の事故さえなければ、もう少し早く進んではいたと思うと、なんともやるせないです。 乗り鉄ではないので、東北のローカル線には殆ど訪問した記録がなく、石巻線や仙石線までは行ったことがあるものの、三陸は未開の地です。クルマでは通ったかもしれませんが・・・。 そんな三陸で、バスで行った唯一の地域が南三陸町の志津川でした。平成23年4月、東日本大震災の発災から1か月弱のことです。 ただ、被災地への緊急支援のため、どこに何をしに行くかも告げられず、しかも、1日前倒しで出発するように命令されました。そんなことで、自分の行った場所が理解できませんでした。 昭和50年7月号 交通公社時刻表より 場所を把握する手段として、手元にあった時刻表路線図をスキャンしてみました。しかし、海岸沿いに志津川駅が見つかりません。良く見ると、気仙沼線がまだ完成していないのです。 気仙沼線は、昭和52年12月に全通、国鉄最後に完成した地方交通線だったそうです。 平成26年6月号 交通公社時刻表より 近場にあった時刻表の路線図で、震災発生後となりますが、路線図はそのまま掲載されています。 志津川駅は内陸部に入っているような表示ですが、これはデフォルメで、もっと海に近いですね。そのため、町の中心部を含め、大津波に襲われてしまいました。 支援先である志津川小学校から町の中心部方向を撮った写真です。 見渡す限りの更地になっていますが、家の基礎だけは残っており、かなりびっしりと家が建っていたのではないかと思われます。 中学校へ作業用のレンタカーを返却した徒歩での戻り道、川もないのになぜか陸橋があるのでここを昇ってみて愕然としました。 知識のある者なら分かる、線路の路盤にしか見えない光景。ケータイしか持っていないので見易い写真ではないのですが、直線の奥のほうには土台のような残骸が残されており、ここが駅だったんであろうということも想像するに難くなかったです。 無くなってしまった街、そこら中に散らかった瓦礫・残骸ももちろんショックな光景でしたが、路盤流失でも大概は残るはずである線路が枕木ごと流され、全く残されていなかったのは衝撃でした。津波がこれほどまでのパワーを持っていること。 あれから13年。支援に行った当時は、復興したらもう一度行ってみようと思っていましたが、なかなか再訪問する気にはなれませんでした。 この間、この時期が巡るごとに被災地の復興の様子が気になりますが、整備はかなり進んだようです。 しかし、また災害に襲われる危険のある気仙沼線は再建が断念され、BRT化により区間廃止となってしまいました。 こんな辛い気持ちで迎える廃線は初めて。この機会を最後と願います。 時間が取れたら、またこの地域を訪れてみようという気持ちが強くなってきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.11 06:00:11
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