さよなら北陸本線 | 旅一郎のブログ

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国鉄(日本国有鉄道)が、最後の全盛期を迎えた昭和47年ー53年までをテーマにした、汽車旅のブログです。

旧型客車亡き後、日本の鉄道旅行は本当につまらなくなりました。そのため海外ネタも載せています。

当時の雰囲気を伝えるものは鉄道にかかわらずアップします

北陸新幹線敦賀延伸で北陸本線の思い出を語るツイートが増えてます。

僕も昔の写真から何枚か貼って、その時の様子を語りましょう。

まずは急行列車から。北陸本線の急行といえば、小学生の頃から印象に深いのは475系「ゆのくに」「立山」。昼間時間帯に走り、愛称版をつけているので列車名を認知しやすかった。

同じ急行「ゆのくに」でも「越後」併結のキハ58編成のほうは鉄道に詳しい友達に教えてもらうまで認識は難しかった。※線路脇で通過列車を見ていてもサボを見ないと何の列車か分からなかったから。

同じ気動車急行だった「ちくま」と見分けが付かなかった。(急行「ちくま」は53.10で客車化し、上り列車も夜行に変更)


急行「立山」。「ゆのくに」と並んでよく見ていた列車。夜行「立山」は早朝深夜なので末期の頃しか知らなかった。


急行列車でいえば「くずりゅう」もあったが近所では見れなかったので「名前は知ってる」列車だった。しかし57.11以降も残った貴重な電車急行だったので60.3の改正前、米原→敦賀だけ乗った事がある。最後は全車自由席、マークもなかった。


急行「きたぐに」。言うまでもない大阪ー青森の長距離急行。新潟止めになった時は悲しかった。

北陸特急といえば485系「白鳥」「北越」(後の新潟雷鳥)「雷鳥」があり全ての列車に食堂車があったのでどれも風格があった。

白鳥は12連に現車されていたものの、M比が雷鳥より高く、より速達性を重視しているように感じた。


参考。

「白鳥」

クハ、モハ、モハ、モハ、モハ、サシ、サロ、モハ、モハ、モハ、モハ、クハ

「雷鳥」

クハ、モハ、モハ、サハ、モハ、モハ、サシ、サロ、サロ、モハ、モハ、クハ


周遊券を使うようなった高校生から「白鳥」はよく使うようになったけど、残念ながら食堂車は外された後だった。(食堂車は60.3まで)

そして忘れてはならないのが「北越」。もともとは大阪ー新潟だった。

「日本海」「つるぎ」写真は日本海4号

まだヘッドマークが復活する前。日本海1号、4号は当初季節列車だったが53.10で定期列車に格上げされた。

日本海も周遊券関連でよく乗った。


他にも客車の臨時列車も多くあった。EF81が12系(または14系)を引く急行「加賀」、14系の「雷鳥」などがあった。名古屋発青森行きの急行「あおもり」も青森直通のきたぐにの代わりに周遊券族に歓迎された。

客車鈍行。北陸の普通列車は急行車両475系と旧客によるものが多く、18きっぷ旅をするにも楽しかった。写真は敦賀駅。金沢発米原行き222レだったと思う。

こちらは224レかな。

北陸旧客は57.11までは米原発長岡行き523列車があり北陸本線全線を走破できたが、僕が旅行し出した頃はすでにラッシュ時のみに大幅削減された頃で非常に乗りにくかった。


その感覚は2016年頃の475系に乗りに来た時と同じだと思う。やはり通勤時間帯に運用が集中して頑張って乗っても金沢ー糸魚川などの区間利用しかできなかった。


他にも色々思い出せそうだけどこの辺で終わり。


大阪延伸の計画がはっきりしないままの見切り発車のような北陸新幹線敦賀延伸によって、かつての日本海縦貫線の栄光は全く感じられなくなる。

そして来年くらいから「大阪ー和倉温泉を乗り換え無しで走っていたカオスな特急」なんて動画が出ると予想しておきます。