JR西日本の車両工場・下関総合車両所。最近は2月中旬に岡山電車支所から廃車回送されてきた115系300番台D-24編成の姿が目立ちます。かつては中央東線、東北本線などを走った国鉄末期の広域転配車両でした。一方で、先に留置されていた113系B-15編成は解体作業が進んでいます。2月28日に現地周辺を訪れてみました。

 

 

下関総合車両所に留置されている115系D-24編成。手前はクモハ115-323

 

 

 

 

115系D-24編成は新製冷房車グループの300番台で構成されていて、3両とも国鉄末期に広域転配された車両でした。

 

クモハ115-323は1976(昭和51)年に製造され三鷹電車区(現三鷹車両センター)に配置。「山スカ」の一員として中央東線などで活躍。国鉄末期の86年4月に岡山に移ってきました。

 

モハ114-316とクハ115-326は74年に小山電車区(現小山車両センター)に配置され、東北本線や高崎線などで運行。86年3月に下関運転所(現下関総合車両所運用検修センター)に転属してきて、その後広島、岡山へと移りましたが、35年以上にわたって山陽本線を中心に走ってきました。

 

 

クモハ115-323。乗務員室ドアには立ち入り禁止のテープが見られます。D-24編成の3両は今のところ、回送時から変化はなさそうです

 

 

 

モハ114-316(上写真)とクハ115-326。下関運転所時代は山口県内の山陽本線を走り、個人的にも乗車経験のある車両でした

 

 

 

 

現在のD-24編成は2015年の踏切事故で損傷した車両の代わりに、モハ114-316とクハ115-326を組み込んだものです。製造から半世紀近く、3両とも役割を十分全うして「終着駅」を迎えました。

 

 

 

そのほか現地では113系B-15編成の解体が進んでいました。私が訪れた日には、スリット式タイフォンなどからクハ111-2149と思われる車両が作業中で、クハ111-2053とモハ112-2080は内装解体中のようでした。

 

 

北側の陸橋から見た下関総合車両所。左から115系D-24編成、113系B-15編成の2両(奥)とキハ120 9、解体中のクハ111-2149

 

 

 

 

濃黄色の115系はどれも同じに見えてしまいますが、車番を見てみると、その経歴から「国鉄」を感じ取ることができます。今回走り終えた115系D-24編成も、そんな車両たちでした。