帝都高速度交通営団 永田町から80円区間ゆき片道乗車券

1980(昭和55)年8月に、帝都高速度交通営団(営団地下鉄。現・東京メトロ)有楽町線の永田町駅で発行された、80円区間ゆきの片道乗車券です。


   

緑色JPRてつどう地紋のB型金額式大人・小児用券で、山口証券印刷系列の帝都交通印刷で調製されたものです。
同駅では通常時での硬券による乗車券の発売は行われておりませんが、近隣にある国立劇場の催事による混雑時などに、硬券による臨発がおこなわれたことがありました。

本日は2月26日です。
いまから88年前の1936(昭和11)年2月26日未明、国家改造思想に影響をうけた陸軍皇道派青年将校20名が、陸軍の兵約1,500名を率いて重臣を襲撃し、首相官邸・陸軍省・参謀本部・警視庁・国会など永田町一帯を占拠した、歴史的な事件が勃発しています。 これが二・二六事件と言われるものでした。
このとき、斎藤實内大臣・高橋是清大蔵大臣・渡辺錠太郎教育総監がこの襲撃にあって殺害され、鈴木貫太郎侍従長は瀕死の重傷を負い、岡田啓介首相・牧野伸顕前内大臣は危うく難を逃れました。 青年将校達は陸軍大臣に面会を求め決起趣意を伝えるとともに、陸軍首脳に「国家改造」・「昭和維新」の断行を迫りました。
陸軍内では具体的な収拾策がまとめられなかったと言われていますが、昭和天皇は当初より武力鎮圧を命じ、海軍も決起軍に対して対決姿勢をとりました。
翌々の28日午後には決起軍を「反乱軍」と規定し、様々な方法で投降を勧告し、天皇の「奉勅命令」をたてに帰順を迫りました。青年将校達は1名が自決、残り全員が下士官・兵を原隊に復帰させたあと、帰順しました。 事件の首謀者は戒厳状態が続く中で弁護人なしの特設軍法会議の裁判によって死刑判決を受け、処刑されています。

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