山陰本線 江崎駅の記録 | 今日も まっ晴れ! 鉄道回顧録

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県境の駅:江崎を出て来たのは山陰本線西部の"さよなら列車"を牽いたD51720

山陰本線 江崎-須佐 1974年5月

 

こちらも長工式煙集装置を着けたD51581

山陰本線 江崎-須佐 1974年11月3日

 

現役蒸機の最晩年の頃になると長門機関区のD51も津和野から転配された長工式集煙装置をつけたままのD51が運用に就くことが多くなりました。曲線と直線が絶妙な調和を見せている蒸気機関車の前面に、直線を基調とした長工式集煙装置は自分的には不釣り合いに思え、山陰本線の撮影に長工式の集煙装置を付けたD51が来ると随分がっかりしたものです。

 

江崎駅は大きな田園風景の広がる中にあります

山陰本線 江崎 1974年11月3日

 

こんな長閑な田園風景が広がる江崎周辺に2013年7月28日、山口市で時間雨量143.0mm、江崎の隣町:須佐町では時間雨量138.5mm 3時間雨量351.0mmと言う記録的な大雨が降り、テレビからは「ただちに命を守る行動を取ってください」と言う今までに聞き馴れない異例の呼びかけが連呼されていました。

 

以下の写真がその日の様子です。

 

上の1974年11月3日の写真で、江崎駅に停車しているD51貨物の右側に写っている幼木は植わっている位置からして、下の写真の中央に写っている丸く茂っている樹木だと思われます。折からの豪雨で線路は冠水し始めているのが分かります。

江崎駅の右側(東側)に広がる田園は濁流に覆われ、画面の右下1/3の所では田万川からの濁流で内水氾濫を起こしているように見えます。1974年11月3日の写真では内水氾濫を起こしている付近に水路やポンプがあるように見えますが、その水の通り道を田万川の水が逆流したのかもしれませんね。

 

上の写真の右側には2級河川の田万川があり、いま溢れた田万川の水が堤防を越えて田畑のほうへ激流となって流れ込んでいます。(この写真は雨がようやく小康状態になったときのものです)

 

どうして こんな日に、こんな危険な場所に居たかと言うと、その何日か前から当地へ友人と旅行に出掛けていて、当日は朝から大雨が降っていたので田万川の日帰り温泉施設でのんびりしていたのです。それが昼頃になって現地にも緊急避難指示が発令されて施設からの退館を余儀なくされ、こちらは旅行者なので避難する安全な場所もなく豪雨の中に放り出された形になってしまったのです。

 

温泉施設から出ると田万川の流れは荒れ狂い、国道191号線は川と化して濁流が流れていてとても通れる状況でもなくて、そんな中で田万川の上流に山陰本線を跨ぐ陸橋の上に消防車が居るのが見えたので「あそこに行けばどうにかなるのでは?」と考えて、その陸橋の上に逃れ撮ったのが豪雨時の一連の写真です。

 

その陸橋と言うのが下↓の写真右にある建設途中の陸橋です。陸橋には水路が貫通しているのが分かると思いますが、大雨のこの日は足元のこの水路を濁流が"ごうごう"と音を立てて渦巻き生きた心地がしませんでした。

山陰本線 江崎-須佐 1974年5月

 

山陰本線の須佐側は完全に水没してしまっていて線路や道路・田圃の境が分からない状態です。

これは

D51貨物が走る少し先の辺りだと思われます

山陰本線 江崎-須佐 1974年11月3日

 

濁流から辛うじて水面に出ている線路の向こう側の家屋は一階の軒下まで浸水しています。

 

田万川が湾曲している箇所は、溢れ出た濁流が川の流れを無視して真っすぐに流れ、その場所に当たった村も濁流に吞み込まれていて、氾濫した田万川の流れは大きなドラム缶や太く大きな丸太など色々な物を巻き込み、さながら地獄絵図の様相を呈していました。そんな状況下で私たちは身動きすることも出来ず陸橋の上で立ち往生してしまいました。

 

 

上流の老人施設へ救出に向かう途中だったと言う消防の方々は既に自衛隊に救助要請を出したと言っておられ、このままでは私たちも陸橋の上で完全に孤立してしまい兼ねないので、雨が小康状態になったタイミングで浸水している川沿いの道を行けば何とか国道に出られるのではないか?と言われ強行することになりました。

 

浸水箇所は本来の田万川の流れと、堤防を越水してきた流れが合流して激流となっていますが、道の脇のガードレールが水面から出ているので水深は何とかなりそうな深さでした。 浸水箇所の手前で一旦止まり、上流から丸太やドラム缶などが流れて来ないタイミングを見計らって、一気に浸水した中を走り抜けます。しかし、濁流の中を走っている時にエンジンがプスプスと止まりそうになり、いま思っても冷や汗が出てくるような怖い思いをして命からがら脱出することができました。

 

こんな怖い思いをした江崎駅の思い出も もう10年以上前の話しとなりました。最後になりましたが、被災された住民の方々には心から豪雨災害のお見舞いを申し上げます。

 

最後まで御覧戴いて ありがとうございました。