(2/23追記あり)
黒船電車(2010年八丁畷にて)
今日、京急バスの大減便プレス発表第1弾が、しれっと公開
細かく書くのが嫌となるほど、減便の嵐
個人的に印象深かったのは、浦賀と久里浜を結ぶ系統「久10」
とうとう毎時2~3本にまで縮小、時間帯によっては30分もの間隔!
90年代は少なくとも日中毎時5本以上あった記憶があるのだが
戦前戦後は本線の終点浦賀と三崎や剱崎、ペルリ記念碑を結ぶバスなど多数の系統が走っていたそうだ。
久里浜線開通後も、昭和30年頃までは三崎観光ルートは本数の少ない久里浜線を使わず、昼間に特急があった浦賀からバスに乗る選択肢もあったそうだ。
浦賀にて(2010年撮影)
この路線「久10」、朝、京急が急に止まった時は凄く大活躍する
浦賀駅ホームに朝の始発電車の行列が出来てから、人身事故の一報が入った場合、民族大移動が起こることがある。
現在、朝は10分間隔なので、バスに乗り切れなくても10分待てば次が来て、久里浜駅で同じ横須賀線の便に間に合うこともあろうが、3月以降の15分の間隔は致命傷だ。
私の脳内では、もしも、「久里浜台・光風台」循環が新設された場合なら、一部競合する「久10」が毎時3本程度に減便はあるだろうとは想像していたが、どういうわけか、地域紙を見てもそのようなバスが新設される動きはずっとない、むしろ浦賀から徒歩圏の浦賀丘にバスが出来てしまった。こちらは安泰のようだ。
浦賀~久里浜は軽い山越えで坂道も多く、朝夕はそれなりの利用がある「久10」減便は「苦渋」の決断だったのかな?
そして、紺屋町~浦賀駅の区間系統を新設とのこと
腐るほと走っている回送便の一部営業開始かと期待したら、朝イチの京急久里浜発の短縮だけだった、何だよ~
(紺屋町行きは設定無し)
単に浦賀~久里浜の移動なら、今後は堀ノ内経由の電車一択だな、快特が堀ノ内に停まらなかった昭和の頃は、実質20分に1回しか乗車チャンスが無かったから、10~12分に1回来るバスが優勢だったなあ。「国電久里浜」行きも少数派ながらあった。
こんな時間の投稿すいません。今日は疲れたので、京急バスネタはまた時間をおいてから・・・