1996年8月 北陸(前半)- 急行「能登」、京福電気鉄道、のと鉄道(蛸島・輪島)、白川郷

 令和6年(2024年)元日に発生した「令和6年能登半島地震」で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災された皆様にお見舞い申し上げます。

 この記事の公開時点で、能登半島地震から1か月近く経過しました。被害の様子が連日報じられているものの、この記事で訪れた各地がどうなっているのか、心配でなりません。鉄道は1月22日に七尾まで運転再開し、能登中島までは2月中旬頃の運転再開を目指しているとのことですが、七能登中島・穴水間の開通時期は1月末時点で未確定です。また、道路網や水道などのライフラインも各所で寸断しています。

 被災地の皆様の暮らしが一日も早く回復することを祈念いたします。

 令和6年能登半島地震被災直前ののと鉄道は和倉温泉・穴水間に縮小されていましたが、平成8年当時は和倉温泉・輪島間と穴水・蛸島間で、のと鉄道の営業区間が最大でした。

 この旅行前半は、489系電車で運転されていた夜行急行「能登」で北陸入りし、雨晴、東尋坊・京福電気鉄道に寄ってからJR・のと鉄道の七尾線・能登線を経由して能登半島先端の狼煙で宿泊。翌朝は木ノ浦回りで輪島へ。七尾線で金沢に戻り、城端線からバスに乗り継いで、白川郷に宿泊しました。


平成8年8月北陸旅行

平成8年(1996年)8月6日(火)

東逗子 2155→2302 東京 千葉行2108S  21711→15両編成  先頭11号車=クハE217-9

  横須賀始発のため、特に先頭車は空いている。東逗子発車時点での乗客2名。新川崎発車時点で3~4名?  品川から乗客が急増。新橋で席を立ち、東京で下車。上りエスカレーターの一部(B5B4、B11F)が止まっていた。

 

東京 2309→ 上野  大宮行  20910両編成  2号車=モハ208-64

  京浜東北線で上野まで移動。多少混んでいるので、リュックがぶつからないよう気を遣う。

 

上野 2358→621 高岡  能登 福井行急行601M 4899両編成 先頭9号車=クハ489-3

 2325の入線ぎりぎりにホームに入った。自由席には長い列ができていたが、座席を確保することができた。9号車(禁煙車)11D(進行方向左側)。荷物を置き、ホームから家に電話しておく。売店に行き、念のため予備のボールペンを購入。列車の正面写真を撮ろうとして、三脚を持参していないことに気付いた。今回の旅でバルブ撮影の予定はないが、記念撮影には多少不便になるだろう。もっとも三脚がない分、荷物は軽くなっている訳だが。

 車内では発車のかなり前から車掌が急行券を売って回り、早くも2347頃には車内検札が行われた。発車が遅い時間なのですぐに寝てしまう客が多いからだろう。2350頃に隣の席が埋まる。会社帰りの人と思われる。すぐにリクライニングシートを倒して寝てしまった。発車時には立客が9号車だけで20名くらい。

 2358定時発。車内放送のメロディーはオルゴールではなく、電子音とも少し異なるような音。口笛風の伴奏の入った音で、鉄道唱歌がフルコーラスで流れた。

 車内の乗客数は赤羽発車時が最大のようだった。車掌が再び回る。放送によるとこの列車の車掌は全区間JR西日本が担当。

 

平成8年(1996年)8月7日(火)

上野 前2358→621 高岡  能登 福井行急行601M 4899両編成 先頭9号車=クハ489-3

 大宮手前からうたた寝する。熊谷で隣席のサラリーマン氏が下車し、代わりに旅行者風の人が着席。

 高崎線の深谷駅は東京駅を模した赤煉瓦の駅舎に改築したところで、通過時にその駅舎の一部が見えた。ホームでは一部工事が続いているようだった。

 車内放送は熊谷発車後の午前1時で終了。0109に車内の照明が減光された。

 横川や軽井沢での補助機関車の連結・解放作業を撮影しようかと思っていたが、隣に人が座っているので、下車しての撮影は行わなかった。横川ではしばらく停車後、やや強い衝撃を伴って発車。軽井沢へ。軽井沢では新幹線の高架工事がかなり進んでいるようだった。軽井沢でEF63との協調運転は終了。ATSテストのベルが鳴っていた。現在着席中の席は運転席から4列目なので、警笛等もよく聞こえる。

 上田では多少の乗降があり、隣の席が空いた。セーターを着込んで本格的な睡眠に入る。

 次に目が覚めると既に直江津を過ぎ、進行方向を逆にして走行していた。右側に夜明けの日本海が見える。

 入善を定時発車直後の0530に車内灯が点灯し、同時に朝一番の車内放送が入った。夜はすっかり明けている。5時少し過ぎには車窓から親不知海岸等の日の出を撮影。列車は海岸に接近したり離れたりしながら高速度で走行している。0543魚津着。この時点で北陸本線を完乗した。(この旅行前の未乗区間は直江津・糸魚川間と黒部・魚津間。)高岡で下車。


高岡 628→650 雨晴 氷見行421D  4両編成先頭=キハ58 468

 恐らく折り返しの上りがラッシュの時間帯だったのだろうが、長い4両編成に乗客はまばらである。少し雲が出ているようだが、立山は見えるだろうか。途中の車窓に、十数人の小学生が広場に集合しているのが見えた。時間から見てラジオ体操と思われる。伏木までは沿線が工業地帯で、本格的な枝線が2つ程見られた。駅構内の配線も多い。越中国分から海岸線に出る。湾の対岸は立山連峰の筈だが、残念ながら遠景は靄がかかっていて立山は見えない。

 雨晴下車。観光協会の委託らしい駅員がいるが、集札は車掌が行っていた。高岡方へ7分程歩くと雨晴海岸。雨晴岩を中心に写真を撮るが、遠景に入るはずの立山は見えなかった。

 

雨晴 713→736 高岡  高岡行424D  同編成? 先頭=キハ28 2141

 ちょうど朝のラッシュにかかったところで、満席に近い。運転席後ろに立つ。途中からも上りの乗客が乗ってきており、高岡到着時には満員。

 

高岡 741→805 金沢 スーパー雷鳥(サンダーバード)2号 大阪行特急4002M  6819両編成7号車=モハ680-507

 高岡駅ではホームに長い列ができていたが、通路側に座れた。7号車の乗車率は65~70%。白いグリフォン(「機動警察パトレイバー」に登場したもの)といった顔立ちの681系新型特急電車。VVVFモーター。入り口の表示は列車名が方向幕、行先はLED表示。車内には電光案内板があり、車内の色はグレー系。

 走行中のモーター音は気にならない。適度に冷房が効いており、雨晴を歩いてかいた汗も引いた。

 

金沢 810→849 芦原温泉 L加越4号 米原行L特急34M  4817両編成最後7号車=クハ481-109

 平成2年の夏に金沢に来た時は高架工事が終了したばかりで、地上線跡が残っていたが、現在その跡は整地されているようだ。南側には高架増設用と思われる道床がある。

 加越4号は金沢始発で空いている。7号車の乗客は6名と思われる。車内で笹寿司と茶を購入して朝食。車窓には加賀100万石の田園風景。芦原温泉は橋上駅。

 

芦原温泉 855→934 東尋坊  京福電鉄バス 福井2215-21

 車内は空いている。途中まで道路のセンターラインに融雪用水の吹出口があり、北国らしい。30分余りで東尋坊着。 


 まずは東尋坊タワーに登り、眼下に東尋坊を眺める。今日は白山や能登までは見えない。

 タワーから出て、岩場を散歩する。絶景だが暑い。20分余りかけて一巡してバス停に戻り、10分近く土産物屋で涼む。

 


東尋坊 1024→1041頃 三国港 京福電鉄バス 福井2215-22

 発車時に急にバイクが進入してきてクラクションを鳴らして行った。海岸沿いから少し内陸に入る。三国港(みくにみなと)には1041頃着。

 

三国港 1047→1134 福井 福井行 252単行(昭和33年日本車両)

 バスが三国港を通ったので三国からの折り返しの手間が省け、予定より1本(30分)早い電車に乗れた。釣り掛け駆動の音を発する古懐かしい車両が1両のみ。がらがらに空いていたが、福井に近付くにつれて乗客が増えてきた。それでも満席には至らない。車内で少し寝た。

 福井駅裏口と表口の古本屋を見る。収穫はなし。駅付近に特に観光する場所も見当たらないので、周囲を散歩するのみ。日差しがとても強い。

 

福井 1233→1420 和倉温泉 スーパー雷鳥(サンダーバード)19  和倉温泉行 6819→6両編成(金沢で分割)5号車=サハ680-1(12A席=右窓側) 


再びサンダーバードに乗り、和倉温泉に向かう。先発の1209発予定の青森行特急「白鳥」が15分以上遅れていたようだが、この列車も約5分遅れ。

 5号車の車内は50%程度の乗車率。快適に高速走行する。しかし金沢着は5分遅れのまま。



 金沢は7番線の到着。ここで富山行と分割。後方の1~6号車のドアが1度閉まって、1m程後退し、再びドアが開く。少しして富山行が先に発車。続いて1328に和倉温泉行も発車した。依然として5分遅れのまま。なお、明日金沢まで乗って来る予定の急行「能登路4号」は隣のホームの端部4番線に到着したようだ。明日は1分接続でこの「スーパー雷鳥19号」に乗り継ぐ予定だがうまくいくかどうか。

 サンダーバードは津幡を通過して七尾線に入ると少し速度を落とした。やはり線路の規格が異なるのだろう。交換駅通過の際、一線スルーになっていない駅が幾つかあり、進入時には比較的高速でも、出発信号の辺りでは40km/h位に落ちるところがある。それでも駅間ではスピードを出し、羽咋発は定時よりも1分延位まで回復した。七尾近くになって初めて検札が来る。

 七尾線に入ってから4号車のミニカフェテリアに行った。列車の位置を示す電光マップがある。カフェテリアのスペースは小さいが、沿線の土産物(京都の八ッ橋など)もあるようだ。途中で通った指定席は赤系統の座席。(自由席はグレー)。

 羽咋とここで多くの客が下車。和倉温泉着の時点で5号車乗客は7~8人位。下車時に記念撮影を頼まれる。応じたついでに自分も列車の前で撮ってもらった。

 



和倉温泉 1427→1501 穴水  輪島行139D (のと鉄道) NT1002両編成 先頭=NT105

 車中ほぼ満席。先頭車の後部運転台デッキに立つ。和倉温泉で一度改札を出て買った蛸島までの乗車券は券売機で軟券。デッキにあるトイレのドアはすぐ開いてしまう。

 列車無線で、七尾駅での財布の忘れ物についてやり取りをしているのが、車内放送よりも大音量で聞こえる。この139Dが関係あるらしく、車掌が忙しく動き回っていた。

 穴水近くの海に鯔(ぼら)待ち櫓(やぐら)が見えた。 


穴水 1522→1653 珠洲 珠洲行335D  2両編成先頭=NT128(平成3年富士重工)

 同じホーム反対側の列車に乗り換え。発車まで時間があるので、車内に荷物を置いてホームを散歩し、ジュースを買って飲む。定時発車。車内は満席で、立客もある。確か穴水以遠では、のと鉄道は通票閉塞であった筈だが、タブレット交換をしている様子は見られない。しばらく車内で寝た。のと恋路号と交換。

 しばらく走って宇子津で多数の乗降。しかし満席に近い状態が続く。途中、長いトンネルが多い。トンネルの入口に「いろは・・・」と仮名が1つずつ振ってあるとのことで、それでもトンネルの方が1つ余るという。時刻表の路線図では海岸沿いを走るように見えて、実際は内陸を走る区間が多い。九十九湾小木で多数の乗客が降り、乗車率50%位になった。

 運転席の時刻表を見てみた。それによると通票区間は松波以遠のみに縮小されているようだ。1636松波発車。初めて通票"□"を受け取る。 


 1645
鵜飼着。多数の下車客。ワンマン列車なので運転手が集札。精算を行うが、その都度「はい、有り難う」と挨拶しているのは感心した。この駅には真新しいホームが対面に設置され、信号機も(使用開始前のため)横を向いた状態で並んでいる。恐らく近いうちにここが交換可能駅になるのだろう。利用率も良さそうだし、のと鉄道の意気も上がっているようだ。

 鵜飼発車時点で乗車率は30%弱。ようやく空いてきた。軍艦型で特徴のある見附島の近くを通った筈だが、内陸部分を通っていたため見えなかった。珠洲手前で最後のトンネルを通った。「い、ろ、は・・・」から余った最後のトンネルには「すず」と表示されている。

 

珠洲 1715→1720 蛸島  蛸島行1335D  2両編成 先頭=NT113(S63富士重工)

 発車間際になって学校(クラブ?)帰りの女子生徒10名くらい乗車。先頭車の乗客は1213名くらい。正院で3名下車。すぐに終点の蛸島着。珠洲-蛸島間はスタフ閉塞で、スタフは。蛸島駅前は民宿2~3軒と、豆腐屋など。駅前広場には最近(のと鉄道への移管時)まで使われていた腕木式信号機が置いてある。のと鉄道の他の幾つかの駅にも同様の物が置いてあった。 



蛸島駅前 1750→1824 狼煙  JRバス 石川2211-03

 蛸島~蛸島本町での下車が多く、1755現在の乗客は3名。祭があるらしく、沿道には時折とても小さな神輿が並んでいる。少し行くと七夕の立旗がある。今日は8月7日なので、旧暦の七夕なのかも知れない。子供の引く山車も所々に出ている。

 寺家付近から山道に入り、狭い道も通る。原発反対の立て看板が見える。

 狼煙口あたりから再び海が近付き、狼煙で下車。

 

 バス停の少し手前に今夜泊まる禄光旅館が見えた。

 先に灯台の案内板に従って禄光崎灯台まで登る。途中で地元の人と行き交い挨拶を交わした。灯台付近は一応公園のようになっているが、この時間は誰もいない。ちょうど夕陽が雲の間から見える。数カット撮影。最後にカバンとリュックを重ねて三脚代用としてカメラを載せて記念撮影。



@禄光旅館 2階「七ツ島」

 Tel.0768-86-2026   2食付 10,000

 灯台から下りて旅館に入る。名前を言うとすぐに部屋に通された。夕食の前に風呂を勧められる。汗をかいていたので、そのようにする。特に宿帳への記入はなかった。風呂は2人も入ればいっぱいな位だが、疲れは取れる。泉質は良いのかも知れない。

 風呂から出て間もなく食事が運ばれてきた。蟹が1匹丸ごと付く他、鯛を焼いたもの、刺身、イカ等の鍋、そうめん等で、とても量がある。たっぷり1時間かけて食べた。

 食べ終わる頃、2030から市営駐車場で山伏太鼓の実演があると言われたので、急いで食べ終わる。そういえば旅館に入る近くの看板にそのようなことが掲示してあった。727日から816日まで毎日2030からとなっている。他にも見に行く人がぞろぞろ歩いているので付いて行くと、駐車場にかがり火が燃えており、そこに簡単な舞台が出来ている。面を着けた数人の男の人が代わる代わる1つの太鼓をたたいたり、持っている棒を鳴らしたりしていた。最後に挨拶。時間は短いが、毎晩行っているというのは、知られざる名物だ。特に予備知識も無かったが、印象に残った。


 宿に戻ると布団が敷いてある。手際が良い。家に電話。明日朝食前に再び禄光崎を散歩する予定なので、早目に寝よう。

 

平成8年(1996年)8月8日(水)

  0540起床。6時前にカメラを持って再び灯台まで登る。既に陽は昇っているが、太陽は雲の間に隠れてはっきりとは見えない。同じように散歩していた人がいたのでシャッターを押してもらった。宿に戻り朝食。さっきシャッターを押してもらったおじさんが間もなく隣の席に着いた。羽咋から自転車で能登を回っているという。昔汽車旅もしていたとのことで、鉄道には詳しい。



狼煙 732→743 木ノ浦 JRバス 石2211-12

 バスは定刻に到着。ここで下車した客もあり、乗客は2名。山越えの後、外浦の海沿いに出る。木ノ浦には予定より早く739頃到着。接続の北陸バスはまだ着いていない。JRバスの運転手氏によると、いつもは北陸バスの方が先に来ていてJRバスはぎりぎりの到着となることが多いとのことで、JR氏もバスを降りて周囲を見回してくれた。

 

木ノ浦 745→828 曽々木口  北陸鉄道バス 石22136

 木ノ浦バス停はかなり高所にあり、奇岩の海岸を見下ろす。742頃に回送表示の北鉄バス到着。JR氏と別れ、北鉄バスに、もう1人の乗客と共に乗り継ぐ。木ノ浦を出て間もなく、カーブの多い坂を下り、海岸沿いに下りる。750に小学生が2名乗車。次の高屋からもう1人。その先もこまめに停車して乗客が増える。805大谷で多くの乗客が入れ替わる。金券式回数券(1,000円で100×850×61,100円分)を停車中に購入。

 終点曽々木口で下車。時国家への道順を聞いて出る。下時国家と上時国家を見学。どちらも茅葺きの立派な建物で、池を配した庭もある。下時国家の方が建物の歴史は古い。上時国家では、かつて加賀藩主でさえそのまま入室しなかった大納言の間に入る。

 




上時国 938→1021 輪島駅  2211-38

 途中の千枚田を通る際、テープで簡単な案内が付いた。輪島駅には定刻より早く1013頃着。 


 輪島では時間があったので、徒歩10分位の所にある朝市を冷やかす。10分余り滞在して駅に戻る。暑い。  



輪島 1107→1320 金沢 能登路4号 金沢行 急行304D キハ582両編成先頭=キハ58 596

 輪島ではフレッシュカード(のと鉄道のプリペイドカード)を購入し、自販機で乗車券と急行券を購入。硬券はないようだ。夏休期間中、2日間2,000円のフリーきっぷがあり、昨日気付いていればこちらの方が得だった。


 輪島からの線内はタブレット健在。能登三井でタブレット交換を撮影。しかし最近まであった筈の腕木式信号機は色灯式に変わっていた。穴水の手前で車内検札。周遊券を持っている場合はここで和倉までの乗車券は回収となる。記念にということで残してもらった。冷房がかなり強いので途中でセーターを着込む。車内は金沢到着時に50%位の乗車率だったがボックスはずっと1人だった。

 北陸本線に入ってからは58系気動車も90km/h以上の高速走行をしていた。早着になりそうなペースで走ったが、3番線の行き止まりホームに進入する際にかなり減速して定時着。乗り換えの時間がきわどいため到着5分前から先頭デッキに出ていたので、すぐに降りて隣のホームへ走る。サンダーバードは、今日は定時のようだ。

 

金沢 1321→1357 富山  スーパー雷鳥(サンダーバード)19号 富山行特急4019M  6813両編成中間車8号車=モハ681-7

 和倉温泉行6両を切り離した富山編成は僅か3両で、立客も多い。富山までの30分余りを立って過ごす。

 


富山 1405→1429 魚津  泊行 539M  4133両編成先頭=クモハ418-10

 満席に近い状態。東富山から座れた。車両は2ドアセミクロス。

 魚津駅ではちょうど開業88周年にあたり、駅でイベントが行われていた。JRグッズその他の売店(収穫なし)、踏切、モーターカー等の展示があり、後ろには鏡開きの準備が行われていた。



 一通り見て周囲を巡ってから魚津駅に戻る。記念きっぷを販売しているが、記念オレンジカードはなし。古本屋が1軒あるが、収穫なし。

 

魚津 1544→1613 高岡  北越2  特急1022M  4856両編成5号車=モハ485-121

 満席に近い(8590%)が、席を確保。車内販売はないらしい。手早く荷物の整理をする。

 

高岡 1626→1714 城端  城端行 347D  2両編成 先頭=キハ28 2412

 車両の内側にも外側にも地元小学生の絵を貼った気動車を使用。乗車率約4550%。途中の砺波で乗降が多いが、乗客の総数はあまり変わらない。線路の周囲は田が多い。既に穂が出ているものとまだ青々としているものが混在している。城端駅には城端町観光協会の委託駅員がいるが下車印はなし。

 

城端駅 1725→1835 荻町  加越能バス  富山22こ・120

 高岡方面からのバスで、6分延着。10人くらいの乗客。荷物の託送もしているらしく、バス後部にダンボール箱を幾つか積んでいた。駅前を出て10分近く、バスは町内の狭い角をかなり無理して左右に曲がりながら進む。町を出ると今度は広い道に出るが、急な登り坂。登坂車線の横を後続車が次々と追い越す。1749五箇山トンネル(3km)に入り、坂が少し緩くなる。途中右側にトンネルの壁がしばらく切れて明かり採りになっている所がある。1753トンネルを出て平村に入る。相倉口はかなり高い所にある。合掌集落はバス通りから見えない。急な坂を下って下梨。相倉口からは距離がある。トンネルを抜けて上梨の近くには10軒近い合掌家屋が並ぶ。

 菅沼を過ぎた所に高速道路とインターチェンジの建設工事が見られる。

 五箇山の幾つかのバス停で少しずつ下車客があり、乗客2名になる。幾つもの橋を渡り、富山・岐阜県境を往来して最終的に岐阜県に入る。

 城端で積んだ荷物(弁当だった)は鳩ヶ谷で降ろされた。1843にもう1人の乗客がここで下車し、貸切状態になる。荻町到着は1845頃となり、10分遅れ。さらに1つ先の合掌集落前で下車。雨が降っているようで、路面がかなり濡れている。バス停前の土産物屋を少し見る。営業時間を聞くと、0800-1930と言う。明朝にでも寄ることにする。日の暮れかけた細い道を登る。合掌家屋がたくさん並んでいる。ここが世界遺産に登録されている。

 田中屋は思ったより近く、看板も分かりやすかった。合掌造りの民宿である。チャイムを鳴らし、来意を告げる。すぐ迎え入れられて部屋に通される。すでに食事の用意ができているそうなので、居間に行く。今夜はもう1人宿泊客がいて、食事を始めて間もないようだ。既に浴衣を着ている。

 食事は山菜が主。魚を焼いた物も付く。思ったよりもずっと美味しい。

 食事をしながら相客と話がはずむ。秩父市から来たそうで、車での一人旅。埼玉県の教職員とのこと。中3の子息あり。松本、上高地、新穂高温泉を経て、今日は高山経由で1730頃着いたという。夕方には雷も鳴っていたらしい。子息は鉄道好きで、西武等のスタンプラリーをするという。

 食事の終わる頃には宿のおばさんも話に加わる。茅の葺き替えは50年に1回位が普通で、この建物は西半分が15年位前、東半分はもうすぐ替え時という。居間にはイロリの跡があるが、現在は薪ストーブが置かれている。煙穴は雨除けを付けて横から煙が出るようにしている。火の粉の噴出による火災を防ぐ意味があるそうだ。茅はイロリの煙で燻した方が長持ちするそうで、ストーブにした場合、茅の寿命は30年位という。煙を使っている場合は4050年。葺き替えに使う茅や縄等は専門の人がいて手配してくれるが、作業は集落の人全員で行う。従って集落の人は皆茅葺き職人になるとのこと。費用は殆どが茅を調達するため。人手はボランティアだから人件費は殆どかからない。しかし茅の費用は意外と高く、何と900万円位とのこと。一時期は普通の住宅に建て替えることも考えたが、国の文化財となり、それに従って村から民宿が奨励されてきたことで、現在も残ったという。世界遺産に指定されたことは、特に宿泊施設に影響していないらしい。ちなみに元々あった合掌造りは6軒程で、田中屋はその1つ。元はずっと大きい建物だったが、維持が大変とのことで、150年位前に現在の大きさに縮小されたらしい。

 中学生の修学旅行もたまに訪れるらしい。色紙等が飾ってある。色々と話をするらしいが、昔おじいさんがいた時はもっと詳しかったそうだ。

 合掌造りの大半は状の屋根の部分が東西、妻部が南北に向くのが標準で、後からそれと異なる方向に建てられたものは、景観の点から補助金によって向きを変更しているらしい。

 テレビが野球中継なので、野球の話もはずむ。相客は野球観戦が好きらしい。読売ジャイアンツのファンとのこと。

 食事の後、風呂へ。広くはないが新しく清潔。

 近くに展望台があるので、明日は食事前に登ってみることにする。

 すぐ近くが川らしく、水のせせらぎが聞こえる。

 後半へ続く

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