皆様こんばんは。



投稿に先立ち、令和6年能登半島地震で

被災されました方々に心よりお見舞い申し上げます。同じく、ご不運にもお亡くなりになられました方々にご冥福を申し上げます。

一日も早い、復旧と復興をお祈り申し上げます。


この度の地震で、私的にもかなりのショックで、日々テレビ等で放映される状況に心が痛み、何をするにもやる気が起きず、

ただただ幾日も過ぎるままでした。


妻の実家は、震災で倒壊は免れましたが、

震災直後は家の中が散らかり、とても手の付けれる状態ではありませんでしたが、

ご両親が避難所から通いつめ、何とか片付けが終わったようでした。


現地では水道が全く使えない状態ですので、

妻と相談の結果、私の自宅ヘ1泊2日で来てもらい、自宅でゆっくり入浴をしてもらいました。

その時に、妻の実家の状況を聞かせてもらい、応急措置のために、先月27日の

土曜日に穴水にある妻の実家に震災後初めて行って来ました。


能登へ向かう道は地震の影響であちこちダメージがあり、「のと里山海道」をとりあえず七尾市の「徳田大津IC」まで走り、県道と国道249号線を走り、3時間弱で穴水に到着しました。

穴水に向かう途中、七尾市の中島町辺りから、倒壊した家屋が目立ちはじめました。

穴水町の市街地を通りますと、妻の馴染みの商店が倒壊しており、被害の甚大を感じました。


妻の実家に到着し、とりあえず外観の被害状況を把握しました。揺れによる屋根瓦の崩落と落下、外壁の崩落とヒビ割れを確認しました。被害の大きい外壁に釘やネジ釘でブルーシートを敷設しました。普段から高所で作業をしている私にとっては慣れた高さでしたので、私と義兄でダックを組み、外壁にブルーシートを掛けました。


外壁のブルーシート掛けの後は、ご両親が手に負えなかった、2階の納戸の片付けです。

洋服ダンスがおり重なるように倒れておりました。一時中身の衣料品を出し、倒れたタンス本体を組み直し、元通りにタンスを置きました。地震でタンスが倒れた関係で扇風機が潰れておりました。使えなくなった衣料品を片付け、とりあえずこの日の作業は終わりました。作業終了後、すぐ近くに私の母親の実家があり、従姉妹たちが住んでますので行って来ました。


こちらの画像は、私の従姉妹の家の回りを撮影し、フォトの方で自動的にパノラマ画像になった画像です。
従姉妹の家も倒壊は免れましたが、
家の裏手の建物がごく最近建てた建物だったため、そちらで生活できている状況でした。
従姉妹に会い、当日の詳細を聞きましたら、
隣の駐車場に停めてあった軽乗用車と、
隣のお家の軽乗用車が、お隣の崩落した家屋の下敷きになってしまったそうです。
地震発生時はどちらの車も人が乗っておらず、もし乗車していたら、お隣の家屋の下敷きになっていたそうです…。

そして、先日11日と12日の日月の連休に、2回目の震災片付けに行って来ました。
この日は、妻のお父さんの依頼で2トンダンプカーを、私の職場より借りて来ました。
数日前、会社の社長に相談しますと、心よく快諾して下さり、感謝感謝でした。
妻の実家では、電気が復旧しましたが、
水道は使えるようになりましたが、
「飲料水」としてはまだ使えない状態です。
しかし、ボイラーも無事でしたので、
洗い物でお湯が使えるようになりました。
到着後、お茶を頂き、作業開始です。

2トンダンプカーに要らなくなった家具や壊れた家具、震災で屋根瓦が落ちた関係で雨もりが発生し、畳や布団や座布団が濡れてしまったものを乗せて運びました。
穴水警察署の近くの交差点の信号柱が傾いてました。
震災ごみの集積所近くの道路がこんな状態になってました。
ここは数年前に釣りをしていた場所です。
通常ならこの場所で、毎年「ジャンボカキ祭り」が開催されるのですが、去年内にカキの収穫量が少ないために、去年中に中止となってました。

妻のお父さん、義兄と3人で2トンダンプカーで4台のごみを片付けました。
これでかなり片付けが終わったようで、
ご両親も喜んでおりました。

能登は震災から少しずつではありますが、復旧と復興が進んでおります。
昨日の15日には、七尾線の七尾と和倉温泉間、のと鉄道の和倉温泉と能登中島の間で運行を再開しました。
震災復興に向けての大きな一歩となっております。

そして、いよいよあと1ヶ月を切った、
「サンダーバード」、「しらさぎ」もあとわずかになっております。













過去の画像ばかりですが、このような光景もあとわずかです。
最後の活躍を精力的に撮影して行きたいと思います。
頑張れ、「サンダーバード」、「しらさぎ」、
そして、
 がんばろう
  能登!!
ありがとうございました。