(東西線直通用の103系1200番台と、総武慣行線の205系)

昨日に続き205系の話です。

2002年に山手線のE231系500番台が導入され、山手線の205系が転属していくことになるのですが、それ以前の2001年より「中央・総武慣行線」が209系500番台の導入で相次いで離脱。103系より先に撤退してしまいました。

*東西線の301系と103系1000番台・1200番台は、E231系800番台での置き換えなので、まだ残っています。

 

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(実はAssyのボディーを持っていただけで、編成は手に入れていないorz プレミア付いてます)

入れ替わりが発生したが5本だけ(最大は4本)の少数派だった205系、そのうちの2編成が「改造種車」として選ばれます。

残りは「埼京線へ2本」「京葉線へ1本(増発用)」転属となった。

205系転配劇は、かなりギリギリの両数で転属することになる「大転属劇」となった。

 

●武蔵野線 5000番台

まずは2両のモハユニットを抜いて、8両化した205系を2002年に(東洋電機製)VVVF化して4M4Tと言う組成で投入。

先行のメルヘンが6M2Tだったので、新木場の坂で止まった場合の発進が可能化のテストが、おこなれたようである。

武蔵野線としては初めての「オリジナル顔+ドア大窓車」だった。

 

 

●南武支線 1000番台

こちらは最後となった101系の置き換え目的で、先ほど抜いた2両を「先頭車化改造」して2002年3月に鎌倉総合車両センターより持ってきてテスト開始。ただし問題も出たようで、7月頃に鎌倉総合車両センターへいったん戻され、9月からテストを再開。11月か12月より営業運転を開始している。

 

よだんですが、持ってきたのが2002年3月29日で、なんと「南武支線2本の間に鶴見線のクハ205-1101」をサンドして持ってくると言う、「珍編成」が有ったらしい。しかし鶴見線の205系は中原で切り離されて、鎌総送りとなった。

 

○浜4編成(ナハワ4)

2編成は2002年に来たが、三本目の浜4編成(101系が浜3)は山手線離脱で少し経った1年遅れの2023年にやっと導入され、101系のさよなら運転を得て、置き換えが完了した。

また2016年3月のダイヤ改正により、「小田栄駅」が開業した際に、南武支線のリニューアルを実施。「LEDライト」「LED照明」「座席のモケット交換」「♪模様の帯」の変更という大規模な改良があった。(鶴見線は行われなかった)

一説によると、新駅設置の負担をほぼ川崎市で出資したため、JR側としては車両の大規模改良を実施したらしいが、この部分は発表されていないため真相は不明である。

 

●山手線

デジタルATC化の兼ね合いから、2002年4月よりE231系500番台が導入開始。それに伴い転属劇が始まる。

実際のところ54編成体制で594両にも及ぶ大転属だった。

 

京葉線は基本的に10連(6ドア車抜き)ですが、埼京線行きは組み替えだったりその他路線も減車の上で転属。

6扉車は1編成を除き、埼京線へ転属。1編成が減車の上横浜線の増発用に当てられた。

漏れてしまったが、6ドア車は1991年より導入され1編成11両に変更された。

 

●京葉線

最初は総武慣行線から2002年に1本が編入「ケヨ21」となり、唯一の「原型顔+ドア大窓車」となった。

(元南武線のナハ7+京浜東北線のウラ5)

その後続いて、先行試作車2両を含む4両(ドア小窓)が山手線より転属。

上のケヨ21編成ですが、2007年の川越線の踏切事故で、モハユニットを捻出。運用離脱していましたが、2008年にVVVF化されて「M66」となる。

 

(写真なし)

●埼京線

2001年より既存車への6ドア車(ヤテ車)組み込みを実施。何度か場所を変えたらしい。

押し出しで「サハ2両が捻出」されて、先頭改造車の種車となる。

2002年12月より「りんかい線」への相互直通となり、りんかい線の10両組み替えを実施、その際2編成が減便となるが、これを八高線導入予定だった2編成を中止し、代わりにりんかい線の10-000系を改造し、209系3100番台として八高線に導入。1編成はモハユニットが無かったため、川重にてモハユニット2両を新造して導入。その2両はJR仕様の内装となりクハとは異なる仕様となっていた。

 

●仙石線 3100番台

仙石線の103系置き換えの関係で2002年より205系を導入。

「ドア押しボタン」「トイレ」「ドアヒーター」一部車両には「2WAYシート」が導入され、18本導入された。

一部が帯のカラフルな「2WAYシート車」、石ノ森章太郎博物館が石巻に有る関係で、「マンガッタンライナー」が2編成あり、他の205系より目立つ存在だった。

しかし多賀城駅の高架化工事があり所定数が1本減ったため、103系に「トイレ設置」して導入。

老朽化の観点から、後に南武線から先頭改造車1本を転属させ、19本体制となった。

当初「南武線のJRマーク」が戸袋付近に貼ったままだったが、後に剥がされている。

東日本大震災の津波で2本廃車が発生したが、「仙石東北ライン」が開通し、ハイブリッド車が導入された関係で、増車はしていない。

 

●八高・川越線 3000番台

2003年より「ドアボタン装備」「ドアチャイム装着」で、5編製導入される。

元々7編製予定が変更されたため、代わりにりんかい線改造の「209系3100番台」が2編成追加となる。

2018年より運用離脱して、一部が3両化の上で、富士急へ転属している。

 

●鶴見線 1100番台

2002年に一度顔を出した鶴見線だが、実際の導入は2004年となった。

こちらは103系10本に対して、205系9本の導入となったため、103系1本が1年間残り翌年減便されて廃車となった。

(今回も減便報告が無いので、E131系が8本新造。205系が1っぽん残る可能性はある/ダイヤ見直しは発表されていない)

途中で、「行き先LEDの色変更」「シングルパンタ化」が行われ、今消滅しようとしています。

なお、103系が1本残って、たまに出てくると、当時の2チャンネルでは「103系が運用について、大変なことになってるぞ!みんな撮ったか?」という言葉がローカルでは流行っていた。

 

●南武線 0番台(小窓)/1200番台(先頭改造車)

2004年から南武線似も山手線の転属車(6両化)された物が12本(ナハ33~45)。先頭改造車が5本(ナハ46~50)導入された。

当初先頭改造車は4本導入だったが、武蔵野線へ1本だけ先頭改造車を回すことが出来なかったことから、2005年に「ナハ45編成」が運用離脱。VVVF改造とサハ2両を組み込み、武蔵野線(M15編成)となり転属し、急遽先頭改造車の「ナハ50」が鎌倉車両センターにてクハのみ作成。大宮にいたモハユニットと組み、転属してきた。

「方向幕塞ぎ板まで帯が伸びていない」という、特徴が有った。

途中で全編成「シングルパンタ化」。

2009年に仙石線へ「ナハ48」が2両を抜いて転属。その2両は、故障して運用離脱していた「ナハ4編成」のユニットに組み込まれ、「ドア大窓+小窓車」が完成。異形を放っていた。ちなみにヤテ車がブレーキ強化していたため「ブレーキ注意」と運転台に貼られていた。

 

2014年に横浜線から増発用に「ナハ17」が転属。(大窓の続版)

方向幕が「3色LED」だったので、異形を放っていた。

南武線がE233系8000番台導入に伴い、2編成をつなぎ合わせた「6M2T」となり、武蔵野線増発用に転属。

武蔵野線では唯一の「シングルパンタ」となっていたようです。

 

●日光線/宇都宮線 600番台

2012年より京葉線のE233系5000番台導入で余剰となった「メルヘン顔」を対象に、「トイレとドアボタン」を設置して、日光線(4本4両)と宇都宮線(8本4両)へ転属。107系を置き換えた。

2014年に追加で川越線から2本が、宇都宮線へ転属。オリジナル顔の湘南色が登場しました。

 

(写真なし)

●京阪神慣行線

2011年より「体質改善工事」を実施。同時に阪和線に転属していた0番台を、慣行線に呼び戻す。その際に207系321系と同様に塗装され、2014年に「青帯+オレンジライン」に戻された。2015年に阪和線へ戻るが、2018年で3ドア車統一で運用離脱する。

 

●奈良線

2018年3月のダイヤ改正で、奈良線へ4両編成になり転属。1000番台も一緒に転属し、103系と共通運用になる。

近年、221系が勢力を伸ばしており、いつまで運用につくかわからないので、また乗りに行きたいと思っています。

 

と言うことで、205系の大転配後の流れを書いてみました。

当時撮影された方からすると懐かしいかなと思います。

また現在205系を追っかけている若手の方には、参考になってもらえると助かります。

 

以上、「205系の大転配劇編」でした。