(2003年撮影、当時のデジカメorz)
今回も日付ネタ。ただし今回は205系の時系列で、話していきます。
長くなるので前編(クハ204)後編(クハ205)の二回に分けます。
●山手線(国鉄仕様)+京浜東北線103系
205系は1984年に試作車、1985年に量産型が山手線に導入、国電初のステンレス車体として登場。当初201系での導入計画であったが製造コストが高いことから、「軽量+安価な機器の界磁添加励磁制御方式」を用いており、約70tの軽量化に成功する。
登場当初は「スカート履いていない」形状で、10両編成30本が登場。民営化後1991年にに6扉車が連結され、11両となる。
民営化後に20編成引き続き製造される
●京阪神慣行線(京都線&神戸線) 「117系新快速+205系」
1986年11月のダイヤ改正&福知山線開業で、関西地区にも205系が導入。山手線とほぼ同じの形状で、7両編成が4本と増発用の少数導入となった。
●横浜線
その後、分割民営化となり、JR各社となった。
そのまま置き換えが進み、JR東日本では大量発注で各社競わせた結果、川崎重工業が勝ち取り、以後ほぼ川重製となる。
民営化後に最初に導入されたのは「横浜線」で、いままでお古が回ってきた路線の一つだったが、「差別無く新車導入する」と発表。コレには驚きました。
導入は1988年で25本の導入となり、ドア窓も大型となるなど、若干の差異があった。
当初は7両編成で、途中1994年に6ドア車が追加され8連となる。
(写真なし)
●阪和線1000番台導入
同じく1988年にJR西日本が近畿車輛に発注した1000番台が、阪和線に登場。展望を重視したため、窓形状が大型されたのが特徴になった。
ただし4両5編成の少数導入になる。
●南武線(大窓車)
1989年になると、今度は横浜線に続き南武線似も205系が導入される。
両数は6両×16編成で、すべて置き換えるのでは無く、103系初期車の置き換えだけにとどまった。
なお、総武慣行線の東中野駅衝突事故で、「旧ナハ7編成」が京浜東北線との組み替えを得て、三鷹車両センターに転属している。
代わりに「209系0番台(ナハ1)」が新製投入された。
ちなみに「列車無線アンテナが中央に設置されている」というのが、南武線だけの特徴だった。
●中央・総武慣行線
国鉄時代に導入候補で、民営化後には導入予定に無かった総武慣行線だが、「東中野駅衝突事故」で201系1本103系1本が廃車となった関係で、急遽埼京線向けに製造されていた205系を総武線に回すことになった。
新製で2本と、後に増発用で4本導入されることになった。
●埼京線
山手線と赤羽線のお古の103系で構成されていた埼京線にも、1989年7月に導入開始。
新製で23本導入され、後に「総武線から1本」「山手線から1本」転属して25本体制になり、103系を置き換えた。
(写真なし)
●京浜東北・根岸線
同年、京葉線への103系転属と一部103系廃車により、205系4本が導入される。
ただし1993年に209系が新造された関係で、「総武緩行線」「横浜線」「埼京線」へ転属している。
●京葉線
1990年に京葉線が東京延伸になる関係で、12本が追加導入。103系と201系とともに活躍。
沿線に「東京ディズニーランド」が有ることから、新しい顔を制作。「メルヘン」と呼ばれ親しまれることになる。
●武蔵野線
1991年に東京駅延伸に伴う8連化と、205系を5本導入。
こちらも「メルヘン顔」となった。なお武蔵野線は全線高架のため、踏切が無いことで「スカート履いていない」形で落成された。
●相模線
1991年のダイヤ改正で、「相模線電化化」されて、205系が13本新製される。
初の「ドアボタン装備」となったことから、「500番台」となった。
顔も変わり、もはや205系には見えないデザインだった。
ということで、新製の205系の大雑把な流れを話しました。
かなり大雑把な話ですが、今見直しても面白い製造経緯でした。
後編は。「205系大転属劇」の話になります。
以上、「205系を振り返る」でした。