JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
大島連絡船 小松港営業所発行 大畠駅ゆき片道乗車券
恐らく廃札券ではないかと思われますが、1976(昭和51)年7月に大島連絡船(大島航路)の小松港営業所で発行された、大畠駅ゆきの片道乗車券です。
青色こくてつ地紋のB型一般式大人・小児用券で、広島印刷場で調製されたものです。
全区間船舶に乗船するもので、「乗船券」的なものではありますが、国鉄の鉄道連絡船には乗船券というものはなく、乗車券のみが制定されておりましたので、民間の旅客船会社が発行しているような乗船券とは性格が異なります。
そのため、「発売当日限り有効」の横に「下車前途無効」と記載されていますが、同航路には途中駅はありませんでしたので、無くても差し支えないとは思いますが、鉄道乗車券に倣ったためにこのようになったものと思われます。
大島航路は山陽本線の大畠駅と周防大島にある小松港の間を運航していた国鉄の鉄道連絡船です。この航路は山口県の県営航路として1937(昭和12)年に開設された運賃無料の渡船で、相当の赤字を抱えた航路であったようですが、島民の足になっていることから廃止するわけにもいかず、戦後の1946(昭和21)年4月に国が運航を引き受けた経緯があるようです。
当時、国の運輸部門の現業機関といえば国鉄ということであり、自然の成り行きによってそのようになったものと推測されます。
そして最盛期には、大畠~小松港2.8km(擬制キロ3.0km)、明け方の4時台の小松港発から深夜の22時台の大畠発まで1日34往復が運航されていました。
大島航路は島民の足として車両航送を行ってカーフェリーのような形に発展し、国鉄の鉄道連絡船ではただ一つの黒字路線であったそうですが、1976(昭和51)年7月4日に、当時の日本道路公団が「大島大橋有料道路」として開通させた大島大橋の完成で周防大島は事実上の陸続きとなり、連絡船は一夜にして不要となり、同日を以て廃止されてしまっています。
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仰せの通りで、当時の国鉄の近距離航路は、民間の内航船事業者と同じルートを営業している場合、国鉄運賃をそのままの営業キロで当てはめたらかなり金額的に有利になってしまうというのが理由でしたね。