みなさんこんにちは。前回からの続きです。1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。


先の大阪万博輸送を担った「北大阪急行(北急)〜大阪市営地下鉄(現在のOsakaMetro)御堂筋線」「阪急千里線〜京都本線・同堺筋線」の鉄道アクセスについて、先日項より取り上げています。



加えて、当時の国鉄をはじめとした観客輸送のために整備された交通事情について、手元の「国鉄監修 交通公社の時刻表 1970年7月号」からさまざま拾ってみることにいたします。




大阪郊外の、開発が軌道に乗りつつあった千里丘陵で開催された先の大阪万博。市内からは少し離れた、会場へのアクセスについてです。



まずは「大阪市営地下鉄 御堂筋線」の項から。乗り入れ先の「北大阪急行(北急)」とセットになる形で掲載されています。

朝ラッシュ時は2分15秒毎、以外でも4分毎。
いまでも混雑著しい御堂筋線ですが、さながら東京の山手線並みの頻発運転です。


「万国博中央口駅(大阪府吹田市)」まで直通する列車は「天王寺駅(大阪市天王寺区)」との間での設定が主だったよう。

市内ターミナル駅を串刺しにするように走るこのルートでは約2000万人以上を輸送した、まさにメインルートでした。出典①。


続いては「阪急電車」の項。
ただし、会社名が「京阪神急行電鉄」です。

これを略して長年「阪急」と呼んでいたものを正式に「阪急電鉄」と改称したのは、万博から3年後、1973(昭和48)年4月のこと。



「万国博西口駅」が設けられていた「千里線」では10〜15分毎、となっています。



ただし「大阪市営地下鉄(現在のOsakaMetro)堺筋線」への直通列車や、先日記事で触れた「エキスポ準急」の設定もなされていたため、実際にはおおよそ5〜6分毎に列車は運行されていたよう。


以上、天神橋筋六丁目にて。
万博鉄道輸送ルートの要だった、「堺筋線」と「阪急千里線」との境界駅です。


そして、大阪市内中心部に乗り入れることとなった相互乗り入れ先の「堺筋線」。ラッシュ時は2.5分毎、閑散時でも5分毎。



詳細なダイヤはこれからではわかりませんが、堺筋線内折り返しがあったと仮定しても、これは他線と比べてもかなりの列車頻度です。


しかし、大量輸送を成し遂げられたのはどちらも、大阪市内最大のターミナル・梅田を発着するルートということが大きかったのでしょう。長距離乗客が乗降する「国鉄大阪駅」に直結していたことも、要因のひとつだと思われます。

地下鉄・北急・阪急が互いに補完し合っての輸送だったのでしょうが、万博会場に直結するこの二大鉄道ルートで、入場者の半数以上に当たる約3000〜4000万人を輸送することが出来たのだそうです。いまからでは想像もつきません。出典②。


ところでこの号が発行された7月は、会期があと2ヶ月あまり。夏休みを控え、さらに多数の観客が押し寄せることが予想されていました。


次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「カラーブックス日本の私鉄18 大阪市営地下鉄」赤松義夫・諸河久共著 保育社刊 昭和57年9月発行)
(出典②「日本万国博覧会公式記録写真集」日本万国博覧会協会発行 昭和46年10月)