第1573回('23) 宇都宮線を乗り鉄。埼玉県内駅を降り鉄。   | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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2022年7月15日~17日、三連休は2泊3日の日程で関東地方へ。東京近郊を中心とした乗り鉄・降り鉄を楽しみました。
梅雨明け前後のタイミングでしたが、関東地方は晴天に恵まれて、雨男の称号を返上したくなりましたw
しかしとても暑く、熱中症寸前で行程を打ち切った日もありました…。
 
今回は初日(7/15)の内容です。
早朝に新幹線で一気に東京へと移動し、さらに在来線(上野東京ライン→宇都宮線)で北へ。
大宮以北の宇都宮線(東北本線)の埼玉県内各駅を順に訪問していきましたが、猛暑ゆえ暑かったです…。
   

                                                                                                                                                                                             
今回の日程  2023年7月15日 (土)     
  
加古川520(JR神戸線)537西明石601(山陽新幹線→東海道新幹線・のぞみ66号)851東京903(上野東京ライン→宇都宮線)940土呂1013(宇都宮線)1015東大宮1110(普通)1113蓮田1201(普通)1205白岡1240(普通)1243新白岡1319(普通)1322久喜1357(普通)1359東鷲宮1448(普通)1453栗橋1533(上り普通)1617赤羽      
  
【宿泊】       
  
 

(1)加古川520(JR神戸線 普通・米原行き)537西明石 223系8連 
  7両目に乗車 着席(スマホを操作) 半分の席が埋まる程度→大久保で満席に  
  
この日は4時に起床して、朝食を済ませてから自宅を出発して加古川駅へ。
いつものようにJR神戸線の上り1番列車に乗車して西明石駅へと移動しました。
 
 




(2)西明石601(山陽新幹線→東海道新幹線 のぞみ66号・東京行き)851東京 
  N700S・J12編成16連 最後尾1号車自由席の窓側E席に着席 
  車内はガラガラ→名古屋でほぼ満席 
 
西明石駅では新幹線に乗り換えて一気に東京へ移動しました。
道中は車窓風景を眺めていました。曇っていましたが、富士山は山頂が見えました。
 
 


(3)東京903(上野東京ライン→宇都宮線 普通・宇都宮行き)940土呂
  E231系5連+10連 最後尾車両(10連側)ボックスシートに着席 
  3割ほどの座席が埋まる程度の乗車率 車窓風景を眺めながら移動 
 
東京駅では上野東京ライン経由宇都宮線直通列車に乗り継ぎました。
ボックスシートが空いていたのが幸いでした。
大宮駅の1駅先、土呂駅で下車しました。
郊外の住宅街にある駅で、国鉄時代末期に開業した比較的新しい駅です。
開業当初からの、今ではレトロに見える橋上駅舎が印象的でした。
 
 


(4)土呂1013(宇都宮線 普通・宇都宮行き)1015東大宮 
  E231系5連+E233系10連 最後尾車両(E233系側)ロングシートに着席 
  半分の席が埋まる程度の乗車率 車窓風景を見ながら移動  
  
この電車は7分遅れでの運転でした。
この日の宇都宮線は、記憶では湘南新宿ラインのダイヤ乱れが影響して遅れが発生していました。
東大宮駅も橋上駅舎です。駅前は市街地で結構賑わっていました。
乗降客が多いながら快速通過駅でしたが、2021年に快速停車駅へと昇格を果たしました。
 
 

少し早いですが、これより先はめぼしい店が無いため、駅前の松屋で昼食を済ませました。
 
 


(5)東大宮1110(宇都宮線 普通・宇都宮行き)1113蓮田 
  E231系10連 最後尾車両のロングシートに着席 
  7割の席が埋まる乗車率 車窓風景を眺めながら移動 
  
この電車は定刻通りの運転でした。
短い10両編成で乗車率が高かったですが、ロングシートが空いていました。
途中の田園地帯は「ヒガハス」と呼ばれる撮影名所になっています。
下車した蓮田駅も橋上駅舎です。蓮田市の代表駅だけあり駅前は市街地でしたが、
先ほどの東大宮駅前の方が栄えていたように見えたのは気のせいでしょうか?
 
 


(6)蓮田1201(宇都宮線 普通・宇都宮行き)1205白岡 
  E233系5連+E231系10連 最後尾車両(E231系側)ロングシートに着席 
  6割の席が埋まる乗車率 車窓風景を見ながら移動  
  
この電車は5分遅れでした。車両はE233系とE231系の混結でした。
白岡駅も橋上駅舎で、埼玉県内の宇都宮線は橋上駅舎地獄です……。
「地獄」なのは、駅巡りをする際、
白岡駅の場合、西口と東口へ出て観察するのですが、上り下りが3回発生するためです。
この上下移動の多さがタイムロスと疲労を生んでしまうのです。
エスカレーターやエレベーターがある駅は疲労がいくらか軽減されますが…。
現に、この日は下車駅に橋上駅舎が連続していたこと、また猛暑もあいまって、
いつも以上に疲労が蓄積していました…。
ちなみに駅前は昔ながらの住宅街で、急にローカル度が増してきました。
 
 


(7)白岡1240(宇都宮線 普通・小金井行き)1243新白岡 E231系5連+10連 
  最後尾車両(10連側)のロングシートに着席 ほぼ満席 車窓風景を眺めながら移動 
  
この電車は定刻通りの運転でした。
下車した新白岡駅は国鉄末期の開業で、やはり橋上駅舎でしたw
頑張って東西の駅前を観察しました。新駅だけあり駅前は新興住宅地です。
 
 

 
(8)新白岡1319(宇都宮線 普通・古河行き)1322久喜 E231系5連+10連 
  最後尾車両(10連側)で立席 7割の席が埋まる乗車率 車窓風景を眺めながら移動 
 
空席はあったものの、ロングシートも全ての区画に最低1人座っていたので相席せず、
ドア脇に立って車窓風景を眺めていました。
久喜駅はJR駅と東武駅が並んでおり、互いの橋上駅舎が繋がっています。
駅前は市街地で、JR側の西口の方が栄えている印象でした。
また、都市の規模の割には乗降客が多かったです。東武との乗換客も多く見られました。
 
 


(9)久喜1357(宇都宮線 普通・小金井行き)1359東鷲宮 E233系5連+10連 
  最後尾車両(10連側)ボックス席に着席 車内はガラガラ 車窓風景を眺めながら移動 
 
この電車は8分遅れでした。遅れている湘南新宿ラインからの直通列車の
すぐ後を追いかける電車も影響を受けています。
先程までと一転してガラガラで、ボックスシートを独占できました。
東鷲宮駅は下りホームが地平、上りホームが高架で、
2023年3月に開業した京葉線の幕張豊砂駅と同じような構造ですが、
これは国鉄後期に東側に貨物駅を開設するため、
平面交差を嫌って上り線が高架化されたのですが、
貨物駅がすぐに廃止され、上り線ホームの高架設備は不要になりました。
しかしコストの関係で地平に移せず、今も変則構造が続いています。
この駅は橋上駅舎ではないものの、違う場所にある下り線ホームと上り線ホーム、
それぞれの端から端まで歩いたため、暑さも相まって疲れがピークに達しました…。
ちなみに駅前は新興住宅地で、東口側には集合住宅が建ち並んでいます。
東口駅前にはダイエーがあったように記憶していますが、既になくなっています。
 
 


(10)東鷲宮1448(宇都宮線 普通・小金井行き)1453栗橋 E231系10連 
  最後尾車両で立席 3/4の座席が埋まる乗車率 車窓風景を眺めながら移動 
 
かなり疲れていましたが、もうひと頑張りしてさらに北を目指します。
この電車は定刻通りの運転でした。短い10連で乗車率が高く、
ロングシートも最低1人は座っていたため、ドア脇で景色を眺めました。
下車した栗橋駅は西側に東武日光線の駅が並んでいて、双方とも橋上駅舎です。
両社間にはJR~東武を直通する特急が通る渡り線があり、乗務員交代用設備もあります。
駅前は東口側が昔ながらの町並みで、西口側が開発途上の新しい市街地といった感じでした。
 
 

(11)栗橋1533(宇都宮線 普通・上野東京ライン経由小田原行き)1617赤羽 E231系10連 
  先頭車両のボックス席に着席 車内はガラガラ→満席 車窓風景を眺めながら移動 
 
夏なのでまだまだ明るい時間が続くのですが、もう疲れが限界を超え、
熱中症になって翌日以降に影響が出てはいけないので、
この日の降り鉄はここで終了としました。無理はできず、仕方ありません。
なのでホテルがある赤羽に戻るとします。
乗車した上野東京ライン経由小田原行きは4分遅れでの運転でした。
私は先頭1号車へ。ボックスシートに空き区画があったため、進行方向窓側席に座りました。
停車駅ごとに乗客が増えてきて、東大宮でほぼ満席になりました。
大宮付近から眠気に襲われたものの、何とか持ちこたえて赤羽駅で下車しました。
遅れはいつの間にか回復していました。
 
 

下車後は、駅構内のそば店で早めの夕食を済ませて駅を出ました。
そしてコンビニで買い出しをしてホテルにチェックイン。
入浴してスマホを操作するなどしてくつろいでいましたが、
疲れが溜まっていて20時頃には眠っていました。
 
翌日以降も関東地方の乗り鉄・降り鉄を続けました。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません  
 
 
(参考:Wikipedia)