京阪1900系③ | 蓬屋楽描帖(よもぎやらくがきちょう)

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何気ない地味な出来事を綴ります。

いつもご覧いただきありがとうございます。🍵

今日も身体を休める為自宅で引きこもり。

大阪国際女子マラソンを観ています。

マラソン中継って何故か観てしまうんですよね。🏃‍♂️


さて、整備を進めていた鉄コレの京阪1900系。

ようやく一区切り着きました。😅

12両あった車両のうち10両にまとめました。





同じような車両ばかりですが多種多様な車種があって意外と手こずりました。😅

元1810系から編入された車両もあり更に実車が短期間で改造や改番されていたりするのでどの時期の仕様にするか迷いました。💦

整備した車両によって時期や仕様がややズレがあるかも知れません。😣


共通の整備は台車と床下機器の塗装、TNカプラー化、車輪交換、パンタグラフの交換(編入車はPT42、新造車はPT43)、ジャンパケーブルと列車無線アンテナの取り付けなどです。

新造車のバンパーはガンダムマーカーのメッキシルバーに塗装しました。



🟥1900形。

新造車グループの電動制御車。


🟥1950形。

新造車グループの中間付随車の📺テレビカー。


🟥1900形。(1810系編入車)。

元両運転台の電動制御車。


こちらからが改造した車両です。


🟥1900形1929号車。

新造車グループの電動制御車の📺テレビカー。

八木アンテナを取り付けてテレビカーのロゴを転写しました。


🟥1900形1906号車(1810系編入車)。

元両運転台の電動制御車で大阪寄りに運転台があるので前パン仕様になっています。

屋根を前後に入れ替えて前照灯の移設をしました。


🟥1950形1952号車(1810系編入車)。

テレビ無しの中間付随車です。


🟥1900形1925号車。

新造車グループの元両運転台の電動制御車。

京都寄りに運転台があるので後パン仕様になっています。

大阪寄りの正面は前照灯が塞がれてバンパーも撤去されましたが勿体無いのでそのまま残しています。(笑)


1900系は新造車と編入車が共通で混用されていたので多種多様な自由に編成を組めるようにしました。

当時は5両編成でも運用されていたので動力ユニットを2両組みこんで2編成で運転出来るようにしました。


走らせました。

編成はデタラメです。(笑)




やはり塗装変更した車両との差異が目立ちますね。😅

丁度良い塗料が見つかったら塗装変更しようと思います。


しかし、私の中では京阪特急のマンダリンオレンジとカーマインレッドはどちらも資料や自分の目で見た限りではどちらも正解なんですよね。😅

実車も時期によって色調が違う事もありましたし。🤔


最後に実車の事に触れておきます。

1963年の淀屋橋駅〜天満橋駅間の大阪地下線開通に伴い登場した特急用車両です。

2000系ベースにした正面デザインに標識灯下のバンパーが特徴で28両が製造され更に1810系からの編入車17両が1900系列に加わりました。


ラッシュ時は6両編成、データイムには5

両で運転され増結用に4両の両運転台車が存在していましたがATS化改造時に片運転台に改造されました。


3000系が登場し併結運転を考慮された仕様になりましたが一度も実施されずに終わり3扉化の格下げ工事が行われました。

一般車化され本線の通勤輸送や支線の運用に入るようになりましたが正月やGWなどで臨時特急に起用される事もありました。

1979年から1500V昇圧対応工事が行われれスカートと側面方向幕が設置されました。


1500V昇圧後の1985年に冷房化工事が行われて5両編成に統一され正面スタイルも2200系に準じたスタイルになりました。

標識灯がバンパーに収まるデザインは個人的に良いアイデアだと思いました。

2003年に淀屋橋延伸40周年を記念して1919Fが特急色に装いを変えて度肝を抜かれK特急"おりひめ"の1番列車で運用されました。


しかし1900系も老朽化で徐々に引退する編成が増え最後は一般色に戻った1919Fと特急色の1929Fのみとなり最後は花道を飾る晴れ舞台が用意され臨時列車やK特急"おりひめ"と準急"ひこぼし"に起用。

最終運転日2008年12月20日に臨時特急で京阪本線を駆け抜けて引退しました。


最後まで読んでいただきありがとうございました。🙇‍♂️