みなさんこんにちは。前回からの続きです。1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。



さて、みなさんとともに万博見物を終えたところ。広大な敷地を有する会場の、西口にやって来たというところでした。出典①。


万博会期中には、合計4箇所あった入出場ゲート。「中央口ゲート」に「万国博中央口駅(大阪府吹田市)」が直結していたのと同様に、鉄道駅に隣接していたのがこの「西口ゲート」。


「阪急万国博西口駅(同)」という、やはり万会期中のみ設置されていた仮駅がありました。千里ニュータウンの足として延伸なったばかりの「阪急千里線」の途中駅でした。出典②。


参考文献の会場地図より。西口から延びる連絡通路を、数百メートル歩いたところ。


現在の様子。前回記事でも触れましたが、会場跡地の「万博記念公園」は半世紀を経てすっかり緑の公園に。そして、一歩敷地を出るとびっしりと建ち並ぶ住宅地。グーグル地図より。

こうして見る限り、プラットフォームや駅舎の痕跡はまったくありません。閉幕後、すぐに撤去されてしまったためでした。


万博会期中の「万国博西口駅」の様子を捉えたショットを見つけました。


ホームは対向式の2面。上下ホームは北側の陸橋で結ばれていて、改札は東側の一箇所のみ。


ところで、停車している列車には「動物園前(大阪市西成区)」の行先表示がなされていることがわかります。出典②。




「動物園前駅」は通天閣や新世界がすぐそばのところですが、千里とはまるで場所の異なる大阪市内中心部、南端の繁華街。あべの、天王寺の隣駅です。2019(令和元)年5月撮影。


この駅の開業と時を同じく、1969(昭和44)年12月6日から開始されたのが「阪急千里線・京都本線〜大阪市営地下鉄(現在のOsakaMetro)堺筋線」との相互乗り入れでした。


大阪はじめての地下鉄と他社線との相互乗り入れでしたが、堺筋線自体がこの日付けでの開業。新線開業と他社線への乗り入れがいっぺんにはじまるという、現在考えても大変なことでした。堺筋線の当時の終着駅が「動物園前」。


市内の南北軸となる「堺筋線」が、万博会場の至近「万国博西口駅」まで、直通の相互乗り入れを開始する。すなわち、大阪市内から万博会場への観客輸送ルートとしての役割も開業直後から期待されていたのでした。出典③。



本題の企画展展示を取り上げていた、朝日の記事でも掲載されていたこのショット。「1969年12月6日撮影」とりますので、まさに「堺筋線〜阪急」との相互乗り入れがはじまった当日と気づきます。

くだんの「万国博西口駅」の姿ですが、屋根は骨組みのみ。駅開業はそれに先立つ11月10日だそうなので、翌春の万博に向けて建設中の開業だったのですね。貴重な記録です。出典④。


会期中、この駅を経由して万博見物に向かった観客の数は、約900万人と言われています。

ただ、行先表示が万博会場とは反対方向の、大阪市内の「淡路(同東淀川区)」となっている列車から、万博会場に向かうたくさんの人々が下車しているのが気になるのですが。


おそらくは、ひとつ先が終着駅の「北千里駅(大阪府吹田市)」なので、早くも折り返しのために方向幕を回していたのかも知れません。

しかし、対向の大阪市内方面のホームに目を凝らすと、行灯式の列車案内標があったり、割としっかりしたつくりです。


改札を出ると、連絡通路を経由して西口ゲートに直結。しかし、やはりすごい人出ですね。


万博、という国際的なイベントゆえのことでしょうか。駅名標やきっぷ売り場に英語表記がなされているのが目に留まります。この時代では珍しいものだったのでしょうね。出典②。

次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「日本万国博覧会公式記録写真集」日本万国博覧会協会発行 昭和46年10月)

(出典② 阪急電鉄公式ホームページ【阪急沿線おしらべ係 第22回】万博で活躍!幻の臨時駅)(出典③「鉄道模型フェスティバル2023」阪急うめだ本店 パネル展示)

(出典④ 朝日大阪朝刊 2023年9月10日付け19面 大阪東部・河内地域面)