みなさんこんにちは。前回からの続きです。1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。






前回前々回と、みなさんと1970年の大阪万博見物をして参りました。

この、世界77カ国が一堂に会した、日本の歴史に残る大イベント。そのすごさや重みはいまさら言うまでもないことなのでしょう。


個人的に強く感じるのは、このような国際的な大イベントが敗戦の焼け野原から、わずか25年という年月の後に開催された、ということ。


戦後復興から高度経済成長を実現させた歴史というものは、先人たちの大変な努力の上に成し遂げられたものなのだなと、つとに感じます。



さて、何回眺めていても飽きない記録写真集ですが、本題もありますし、そろそろ帰路に就くことにします。後ろ髪引かれるような思いで、大変残念ではありますが。以上、出典①。




ところで、万博協会が開催翌年に発行したこの公式記録写真集には、会場の詳細なイラストマップが付属していました。かなり大きいもの。



当時もおそらくは、観客向けにこのような地図はたくさんの種類が発行されたと思われるのですが、さすが公式のものといいましょうか。

半世紀以上経過した現在でも、実に見やすくわかりやすい、秀逸なものです。


ちなみに、英語の下にあるのはフランス語。

世界で開催される万博開催を担う「国際博覧会事務局(BIE)」の本部事務局がパリにあるためです。「太陽の塔」"TOUR DU SOLEIL"



前回記事の最後にやって来たというのが、この「英国館(イギリス館)」でした。


ここは、会場の西端。
隣接して会場内を周回・縦貫していたモノレール・ロープウェイの「西口駅」と、そして名称通り「西口」がありました。


現在の同じ場所。
会場敷地の輪郭ははっきり面影が残っていますが、あれほど建ち並んでいた美しいパビリオンや展示館は、閉幕後に殆どが取り壊されて、緑に覆われています。「英国館」もありません。



団体バス駐車場は、ここの名物「万博おゆば」
という温泉になっていたり、住宅がびっしり。あまりの変わり様に驚きます。



この「英国館」の向こうに見えるのが「西口」。大きなテントが目印だったといいます。


先日取り上げた「太陽の塔」や「お祭り広場」のある「中央口」も大変な混雑ぶりでしたが、こちらも大概なものです。



「西口」を出て、バス駐車場を左手に屋根つきの長い通路を進みます。



当時の「西口」と同じ場所にあるのが「万博記念公園自然文化園 西口」。役割はまったく同じですが、やはりまわりの変わり方に驚きます。


真新しい造成地だった会場も、緑の多さには半世紀以上の時を感じます。



そして、西口から続く通路の先にあったのが「阪急電車 万国博西口駅」



先日記事まで取り上げて来た「北大阪急行(北急)〜大阪市営地下鉄(現在のOsakaMetro)御堂筋線」ルートと対を為す、会場に直接鉄道でアクセス出来たもうひとつの鉄道のルート「阪急千里線〜阪急京都本線・大阪市営地下鉄(現在のOsakaMetro)堺筋線」がこの駅でした。


次回に続きます。
今日はこんなところです。出典②。

(出典①「日本万国博覧会公式記録写真集」日本万国博覧会協会発行 昭和46年10月)
(出典② 朝日大阪朝刊 2023年9月10日付け19面 大阪東部・河内地域面)