みなさんこんにちは。前回からの続きです。1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。


今回の企画展展示の主題、千里丘陵で開催された先の「大阪万博」会場に直結していた「北大阪急行電鉄(北急)〜地下鉄(現在のOsakaMetro)御堂筋線」ルートについて、会場の南千里をいったん離れて項を進めています。



会期中に約2000万人以上を運んだという、このメインルート。企画展での写真展示とともに、新大阪駅から実際にこの万博会場へのルートを辿り、引き続きあれこれと掘り下げてみようと思います。企画展展示より。




現在の「中国自動車道(中国道)上り線」を借用して敷設されたという、観客を輸送するため万博会期中の半年だけ存在した「北急会場線」。北急線内の車中、グーグル地図より。




万博から20年後の1990(平成2)年春、その南側を上空でほぼトレースするように建設されたのが、会場跡地となっている「万博記念公園」にアクセスする「大阪モノレール」です。


それを辿りながら「万博記念公園駅(大阪府吹田市)」にやって来ました。




「大阪モノレール」は、大阪の外郭部を半周するような放射状の形状が特徴の路線。大阪市内のターミナル駅から郊外に延びて来る各鉄道路線と接続する、重要な交通機関になりました。


本線は「大阪空港駅(同豊中市)〜門真市駅(同門真市)間」の合計21.2kmを結ぶ、我が国随一の路線延長を誇るものです。出典①。




不定期に定点観測の記事をお送りしていますが、これが門真市から中河内のおらが街までの南進工事が本格化しています。開業は2029年度といいますので、もう言うている間です。



さて、この駅のホーム東端にやって来ました。

前回までの記事で触れた「万国博中央口駅」が存在していた場所というのが、まさにこのあたり。まったく面影はありませんが、後ほど改札を出て、確かめに行ってみることにします。


掘割状の道路の向こうには「万博記念公園 自然文化園中央口」が見えます。

奥に「太陽の塔」が鎮座するここは、公園の正面玄関。万博当時とそれは変わりません。


北急が借用していた「中国道上り線」も、この「中国吹田インターチェンジ」が終点です。

その先は「名神高速道路」に直結している他、モノレールが併走する「近畿自動車道(近畿道)」と「府道大阪中央環状線(中環)」にも連絡しているという、府北部の一大ジャンクション。遠出する時、いつもお世話になるところ。


ところで、この駅に降り立った時には思わず、東端の門真市方にあるこの複雑で、独特なポイントを観察してしまいます。


この駅からは、先ほど触れた本線の他に、支線の「彩都線(さいとせん)」が分岐しています。

総延長は6.8km、北摂の山中に近い新興ベッドタウン「彩都西駅(同茨木市)」までを結ぶものです。万博記念公園からは、結構奥まったところです。


中央の2線が本線、その両側で高度を上げて左手(真北方向)にカーブを取るのが彩都線。手前中央に延びるレールが、その彩都線の発着する2番線につながっています。

本線のみならず、名神や中環をも高々と超えるので、実にダイナミックな光景です。


頃合いよく、彩都線の列車がやって来ました。



最近、登場したばかりの「ミャクミャク」ラッピング列車!運がよいのですが、擬人化されたキャラクターをラッピングするのは、実は難しかったのでは、などとこれを見て感じます。




モノレールですので「万博つながり」だとわかるのですが、JRや関西大手私鉄でも昨年末から次々と「ミャクミャク」柄の列車が出現?しています。


気づけば開幕まで一年あまりになりましたが、少なくとも、関西鉄道界での機運は高まっているように見受けられます。出典②・③。



ここでは、時間が合えば本線列車の離合も見られますよ!


一般的な鉄道とはまた異なるモノレールですので、往来する姿を観察するのもまた興味深いものがあります。いつまででも眺めて居れます。



と言いたいところですが、本題の「万国博中央口駅」があった場所を実際に確認してみることにします。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「大阪モノレール」ホームページ)

(出典②「京阪電気鉄道」ホームページ)

(出典③「JR西日本」ホームページ)