どうもどうも、けいです。

 

突然ですが、皆さんは10年後の様子を想像できますか?

未来のことは誰にも分からない」とはよく言ったものですが、

過去10年間を振り返ってみるとまさしくそうだったと思わされます。

 

そんな前置きはこの辺にして。

ある日、筆者は興味深い資料を見つけました。

それが2012年に書かれた、JR東日本ユニオンの新潟地本の第94号機関紙です。

この中に「車両取替中長期計画」という欄がありました。

 

すなわち、2012年のJRが描いた未来の新潟鉄道事情です

なかなか面白いことが書いてあったので、内容の紹介と現状どうなったか、

もし実現していたら新潟はどうなっていたのかを考察してみます。

 

ではでは、よろしくお願いします。

 

1.JRが描いた未来

上記の機関紙には、車両置き換えについて以下のような内容が書いてありました。

  • 211系によって115系を置き換え(2013年度~)
  • E127系を機器更新(2013年度~)
  • E129系新製投入で115系を置き換え(2014年度~)
  • E653系で「いなほ」485系を置き換え(2013年度~)
  • E140系でキハ40を置き換え(2013年度~)
  • キハ110を機器更新(2013年度~)
  • E1系、200系を廃車
  • E2系0番台を1000番台で置き換え(2015年度)
  • E2系、E4系をE7系で置き換え(2016年度~)

 

この中には実現したものもあれば、流れたものもあります。

上から順に、現実はどうなったのかを見てみましょう。

 

 211系転用計画

詳細としては、首都圏地区で置き換えられた211系を新潟地区へ転用し、

115系電車を置き換える、といったものでした。

 

▲同じように首都圏から転出した、長野の211系。

 元田町所属10連であり、新潟地区へは相方(付属5連)を転用する計画だった。

 

当時、首都圏地区ではE233系の新製投入で東海道線や高崎線、房総地区などで

211系が余剰となっていました(房総地区は玉突きで209系を投入)。

このうち話が挙がっていたのが田町区の211系で、

付属の5両編成を4両編成へ短縮し、新潟地区へ転出させる計画でした。

 

一説によれば制御機器をVVVFに換装する予定だったとも聞きます。

 

しかし、実際には10年後の新潟はどうなったでしょうか?

ご存知の通り、211系は1両も転入せず、

115系は全く別の形式・E129系に置き換えられることになりました

すなわち、計画は中止になったということです。

 

211系転入計画は外部から見るとかなり進んでいたように見えたそうです。

事実、田町区の211系の5両編成から1両を抜かれた4両が

長野総合車両センターに入区している様子が目撃されており、

「新潟地区転用改造」の説がかなり強まっていました。

 

ではなぜ211系の新潟転出計画は中止になったのでしょうか?

 

これはJRの担当者のみぞ知る理由ですから何とも言えませんが、

以下の説が考えられています。

  1. E129系だけで置き換えた方が経済的にも効率的だったから
  2. 211系はワンマン運転非対応だったから
  3. 211系は新潟のような寒冷地向けではなかったから

 

もしかしたらロングシート車を長距離運用も少なくない新潟地区にブチ込むのが

JRとしても憚られたという理由もあるかもしれない

 

1について、この時点で211系は既に経年が進んでいました。

そこでE129系と211系で115系を置き換えたとしても、

近いうちにその211系も置き換えなければなりません

また、異車種が混在することになるので、保守の面からも非効率的です。

 

であれば最初からE129系だけを造って115系を置き換えた方が、

長期的に見て得なのは納得できます。

 

2、3もコストの視点に立脚する考え方としては1と同じです。

 

211系はワンマン運転を考えていません

しかし新潟地区では、E127系をはじめとした形式でワンマン運転が始まっており、

211系もワンマン運転対応設備を積む必要があった可能性があります

(もっとも、実際に115系を置き換えたE129系4連には

ワンマン設備がないのですが)。

 

そして投入先は過酷な新潟地区。耐寒耐雪設備も追設せねばなりません。

加えてVVVF化の計画まであります

 

211系の改造は非常に労力のかかるものだと判断されたのでしょう。

こうなるとわざわざ大改造してまで、

この先それほど長くない211系を新潟地区へ投入する意味は薄れます

 

こういった議論がJR東日本の中であったのかは分かりませんが、

E129系一本での115系置き換え計画に変更されたのは確かです。

 

前記した通り、211系の新潟地区転入計画はある程度進んでいたようで、

付属編成が地方の車両基地などへ疎開までしていました。

一部編成は検査まで通していたとされています

 

しかし、付属編成は結局すべて長野総合車両センターで解体されました。

検査まで通しておきながら壊してしまったとすると、

かなり土壇場になって計画変更が起きたと考えられます

 

かくして新潟地区への211系投入計画は幻となりました。

 

 E127系機器更新

「機器更新」というのが何を指すのかは不透明ですが、

ここではVVVF換装をはじめとした改造を指すとします。

 

10年後、VVVF更新工事はE127系に施工されました。

この計画は現実のものとなった、と考えられます。

 

しかしこの機器更新は、同資料の中では「2013年度~」となっています。

実際にはE127系の機器更新が始まったのは2016年度(100番台)からですので、

計画から3年は遅れたことになります。

 

改造が遅れた理由に関しては完全に謎ですが、

改造を担当する長野総合車両センターのキャパシティが

何らかの理由で足りなくなっていたか、

更新先の機器をE129系に揃えることとなってE129系の登場を待ったか、

あるいは他の理由が考えられます。

 

新潟地区E127系であれば、えちごトキめき鉄道譲渡も絡んでいそうです。

 

いずれにせよ、10年後にはE127系

(ETR・ET127系含む)の機器更新は終わっていました。

 

 E129系による115系置き換え

言うまでもなく、現実となった計画です。

しかし前記した211系の新潟転用計画も踏まえると、

当初JR東日本が描いていたのは全く別の青写真だったでしょう

 

ではどうだったのか、ということを考えていくと、

実は211系の新潟転用計画自体は流れましたが、

似た構図の置き換えが実際の新潟で進行していたことに思い当たります

 

新潟地区の115系は末期になって、長野からの7編成転入で、

N編成についてはさらに編成番号を増やすことになりました。

しかし、裏では一部編成が同時に廃車されていたのです。

 

長野から新潟への7編成の転入は、

一般に激しく老朽化した115系の置き換えだとされます。

E129系の投入が間に合わず、つなぎとしての意味を込めて置き換えられました。

 

では、この115系7編成はなぜ長野からの転入ができたのか?

話は簡単で、長野へ211系が投入されたからでした。

以上の点を踏まえて熟考すると、直接ではなく間接的な置き換えであるものの

新潟の一部の115系は本当に211系によって置き換えられていたことになります

 

仮に211系の新潟転入が現実のものとなっていた場合、

現実では115系やE129系に真っ先に置き換えられた編成分の運用が

そのまま211系に引き継がれ、残りはE129系担当になったと思われます

(あるいはL編成運用がすべて211系持ちとなり、残りがE129系になった…

田町区の211系5連と115系新ニイL編成がともに14本なので数が合う)。

 

しかし、何度も書いた通り211系の新潟転用計画は中止となったため、

10年後の新潟ではE129系のみが115系の運用をなぞっています

2014年度からE129系を投入するという点は計画通りですが、

途中で製造数などの計画変更が起きていたと考えるのが自然です。

 

E129系による115系置き換えは現実のものとなりましたが、

場合によってはJR東日本の計画と多少相違があった可能性があります。

 

 E653系の「いなほ」投入

こちらも言うまでもなく現実となりました。

 

予定通り2013年度からE653系が新潟に転入し、

485系「いなほ」の運用を置き換え。

一部編成に廃車が発生しています。

 

なお、同文献では同じく485系運用であった

「北越」「くびき野」については触れられていません。

新幹線開業後の運行体系について検討中だったからでしょうか。

 

 E140系投入

E140系。同文献内で見られた新形式です。

詳細ではE140系を投入することで、キハ40系列を置き換える予定でした。

気動車のため、このブログ内では「キハE140」と表記します。

 

お気づきかと思われますが、この計画も流れましたウソ電判定待ったなしである

現在に至るまでキハE140なる形式は登場せず、

キハ40はGV-E400に置き換えられました。

 

詳細が出る前に計画が流れたのか、構造などは不明です。

一部ではキハE120に似ていた、とも言われますが…

ということはある程度の構想は出ていたのか…?

 

2013年度からキハE140による置き換え計画が始動するとされましたが、

2013年7月にE129系が発表されたにも関わらずキハE140は音沙汰なし

ついには2017年、GV-E400の投入が発表され、

キハE140は幻の車両となったのでした。

 

 キハ110機器更新

これも何をもって「機器更新」と呼ぶのか不明ですが、

検索をかけてみたところ、現在に至るまで

機器更新らしき改造は施工されていないようです筆者の見逃しの可能性もあるが

 

キハ110は新潟県内の非電化区間で運用されており、

2012年時点では車歴は20年足らずです。

機器更新計画が出てもおかしくはありません。

 

しかし、結局機器更新は行われていません。

2022年になってようやく方針が出ましたが、

新潟在籍車に施工車両はいまだにいないようです。

 

 E1系と200系の廃車

現在では計画通り廃車となった、E1系と200系の2つの新幹線電車。

2012年当時ではまだ走っていました。

 

E1系は1994年登場ですが、2階建て12両固定で造ってしまったため、

輸送力が過剰になったとも、柔軟な運用に対応できなかったともされます。

結果としてこの文書が書かれた2012年にさよなら運転を行い、引退しました

 

一方の200系は、1982年の上越新幹線開通から使われ続けた車両です。

一般に高速・長距離走行を行う新幹線電車は在来線車両に比べて寿命が短く、

その長さは20年程度といわれています。

しかし200系はリニューアル工事を施工され、30年近く使用されてきました

 

200系の寿命たる1990年代~2000年代は不況が重なった時期であり、

JR東日本としても経済状況から200系を置き換えるのは困難でした。

そこでリニューアル工事が施工され、長く使われたのです。

どこの会社でもやることは同じである

 

しかし流石に老朽化が進行したのか、置き換えの話が出始めます。

2012年時点では既に200系は東北新幹線大宮以北から撤退しており、

活動の場は上越新幹線のみとなっていました。

最終的にE2系に置き換えられ、200系は2013年に姿を消します

 

以上のように、この計画は直後に現実となりました。

 

 E2系0番台の置き換え

E2系には0番台と1000番台が存在し、

0番台は1995年登場、1000番台が2001年登場です。

 

0番台もこの時点では車齢10~15年程度でしたが、

1000番台は落成後2年しか経っていないものもありました。

 

また、それまでのJR東日本は線区別に使用車両を統一する方針を採っており、

E2系は上越新幹線高崎以北での運用を持っていなかった時期がありました。

 

しかし、E5系の投入で余剰になったE2系を、

200系の置き換え目的で上越新幹線に転用することになります。

これが文書発表から1年後の2013年でした。

すなわち、文書発表時点ではE2系1000番台どころか、

0番台すら上越新幹線で走っていなかったことになります

長野新幹線(北陸新幹線)で使っていたE2系は除きます

 

置き換えは2015年度から始まることになっていましたが、

実際にE2系1000番台が新潟に転属を始めたのは2017年になってから

0番台は2019年まで残ることになります。

 

E2系1000番台による0番台の置き換えは現実となりましたが、

置き換え開始は当初予定より2年ほど遅れました。

 

 E2系、E4系の置き換え

これも記憶に新しい出来事ですが、現実のものとなりました。

 

E2系1000番台は2010年に落成したものもあれば、

2001年に落成したものもあります。

初期に製造されたものはより早くに老朽化するため、

2016年頃より置き換えの対象とされました。

 

また、E4系は1997年~2003年の製造で、

ものによってはE2系より老朽化が進行していました。

 

新製投入されるとされたE7系は、

当初は北陸新幹線延伸部分用として製造されました。

しかし、2017年に追加製造ののち上越新幹線にも投入することを決定。

2022年度末にはE2系、E4系を撤退させ、上越新幹線はE7系で統一するとされます。

 

文書内では2016年度からとされていた置き換えですが、

実際には開始が2年程度遅れることになります

 

ですがこの後、想定外の事態で置き換え完了も遅れることになりました。

2019年の令和元年東日本台風(台風19号)でした

 

この台風で関東甲信越地方が特に大きな被害を受けたのですが、

長野県を流れる千曲川(新潟県内名称:信濃川)も決壊を起こします。

その水は長野新幹線車両センターへ押し寄せ、E7系とW7系が水没しました

 

両形式合わせて10編成が廃車となる大惨事になり、

車両不足に陥った北陸新幹線へ上越新幹線用E7系を回すなどの対応に追われました。

上越新幹線E7系化計画も遅延が出ることになります。

 

結局上越新幹線がE7系に統一されたのは2023年。

E4系は2021年に、一足先に引退しています。

 

未来のことは誰にも分からない」ことを象徴するのが、

この置き換え計画といえるでしょう。

 

2.もし現実になっていたら?

以上のセクションでは、文献に書かれていた置き換え計画を紹介しました。

では、このうち実現しなかった計画がもし現実になっていたら、

新潟の鉄道事情はどうなっていたのか考察してみます。

 

以下の考察はあくまで一個人の見解ですのでご了承ください。

別の意見があるという方はコメント欄にてお待ちしております。

 

 211系転用計画

上記したように、211系新潟転入計画は

すんでのところで中止され(たように見え)ました。

 

では、もし新潟地区に計画通り211系が投入されていたら、

いったいどうなっていたのでしょうか?

 

まず211系自体の情報から。

これは当初計画より、5両のうちサハ1両を脱車した4両編成となっていたでしょう。

VVVF換装も計画通りされたものとここでは想定します。

 

換装先のVVVFですが、具体的な指定がなかったので不明です。

ただ、この時代になってGTO-VVVFは考えづらいので、

当時増備が続いていたE233系と同様の三菱IGBT-VVVFが載せられたと予想します。

E233系3000番台?知らんな

 

塗装は独自のものになっていたであろうことは容易に想像がつきます。

もっとも、その色合いは2次新潟色に準じたものなのか、

あるいはE129系に準じたものなのかは想像するほかありません。

ただし、長野地区へ転出した211系が新長野色に準じた帯になったことから、

新潟地区211系も帯は2次新潟色と同じ配色になっていたのかもしれません

 

また、寒冷地の新潟地区であるため、

霜取りパンタグラフを追設した可能性も考えてみます。

しかし、実際の115系4連やE129系4連は霜取りパンタを搭載した編成はおらず、

ゆえに211系にも霜取りパンタは搭載せずに

E129系2連の霜取りパンタのみで賄ったパターンも否定はできません。

房総地区のように集電能力改良の目的であれば話は別だが…

 

運用ですが、同じ両数の115系4連運用を引き継いだ可能性が高いです。

実際に疎開が確認されたのは13編成でしたが、

付属編成は115系4連と同数の14編成が田町に在籍していました。

全編成を転属させればほぼそのまま4連運用を引き継ぐことが可能です

もちろん115系の他編成と併結する運用は除くが

 

残る運用はE129系新製投入による置き換えになります。

新潟車両センターは211系とE129系が揃い踏みすることになります。

新潟地区の115系は実際では2022年に引退しましたが、

211系が予定通り投入されていた場合、2018年頃には全廃していたでしょう

(現実ではこの年に新潟生え抜き編成が全廃し、元長野車のみが残っています)。

 

しかし、211系とE129系というまるで違う2車種。

保守現場はたいへんな苦労を強いられるはずです

 

そして211系自体も経年が進行。

一番古い編成で1985年製であり、新しくて91年製です。

2021年には全編成が車齢30年を数えることになります(下手すれば36年)

 

ゆえに、2020年前後のE129系の追加増備は免れないでしょう。

言うまでもありませんが、追加増備したE129系の役割は211系の淘汰です

つまり、転用から10年足らずで211系は新潟地区から撤退することになります

2023年には211系が残っているかどうかすら怪しく、

結局のところE129系統一は避けられぬ運命なのではないでしょうか

 

以上のことから、211系の転用計画を止め、

E129系統一路線にシフトしたJR東日本の判断は蓋し英断だったといえます

 

なお、この車齢問題は211系の転入が実現した高崎、長野地区でも同じであり、

近いうちに211系の置き換えが入るものと思われます。

近年の首都圏情勢を見るにまた転入車で置き換えそうだ…

 

 E140系投入

キハ40を置き換える計画だったキハE140。

最終的に置き換えの役割はGV-E400に変更となりましたが、

実際にキハE140が投入されていたらどうなっていたのでしょうか。

 

キハE140の具体的な設計は公開されないまま終わったので、

ここでは「キハE120をベースとする」という一説を採用します。

 

キハE120がベースではあるものの、機関などは新開発のものに、

車内設備も若干改良されて落成したものと思われます。

 

実際のGV-E400の投入数を見るに、片運転台車も存在したでしょう。

投入数は30~40両程度と見ることができそうです。

 

また、現実では新潟駅高架化に伴うATS-P稼働開始で、

キハE120が新潟駅を出禁になり(中間封じ込めは乗り入れ可)、

のちにGV-E400に置き換えられることになりましたが、

仮にキハE140投入だったとしても運命は同じだった可能性があります

 

もしキハE140が投入されていた場合、

キハ40系列とキハE120は現実より早く撤退していたでしょう。

 

塗装ですが、E129系やGV-E400の例を見るに、

ピンク黄色ハムエッグ配色が採用されていたものと思われます。

 

なお、GV-E400の投入計画ですが、

新潟地区への投入計画はこいつのせいで最初からなく、

秋田地区のみへの配置となっていた可能性が高いです

下手をすれば秋田地区のキハ40もキハE140で置き換えられていたかもしれません。

そうなるとGV-E400の出る幕は完全になくなります。

 

実際は電気式気動車開発へJRの方針がシフトしたのか、

キハE140ではなくGV-E400を投入することが決まりましたが、

JRの方針転換が少し遅かったらキハE140が登場していたかもしれません

 

基本情報が211系に比べて少ないので、筆者にはこの程度しか予想ができません。

お気づきの点がございましたらコメント欄までどうぞ。

ここまで書いて思ったが単純にキハE120の追加増備ではダメだったのだろうか?

 

 

 

 

というわけで、2012年に書かれた車両置き換え計画を、

12年後の現実をもとに類推してみました。

この手の話は読み手によって様々な意見が出てくると思いますので、

あくまでこのブログの予想は筆者個人の考え方として受け止めてください。

面白い予想をされた方がいらっしゃいましたらコメント欄までどうぞ。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございました。