生まれて初めて乗った「ちょっと変わった」電車 | あさかぜ1号 博多行

生まれて初めて乗った「ちょっと変わった」電車

前回の記事では、私が幼稚園年長の時、わずか半年ながら電車通園を経験したことを書きましたが、今回はその時の思い出の中でも、鉄ちゃん的に今でも記憶に残る電車のことに触れたいと思います。
前回の記事でも書いた通り、電車通園のコースは引っ越し先の家の最寄りの西武新宿線某駅から、幼稚園の最寄り駅(引っ越し前の家の最寄りでもありましたが)である西武池袋線秋津駅まででした。
もう45年以上も前の話なのでその頃の西武池袋・新宿線の電車も現在とは全く顔ぶれが違いました。
黄色い101系電車が当時の最新形式で、これに赤とベージュのツートンカラーの「赤電」塗装だった冷房化前の701系や801系、さらにそれより古いやはり「赤電」塗装の各形式が入り混じって走っているという状態でした。
当時の私はすでに立派な電車好きにはなっていたものの、まだ幼稚園生ということもあり車両の形式についての知識もほぼありませんでしたが、それでも車両の塗装や見た目の違いは分かるようになっていて、特に朝の登園時はほぼ毎日同じ時間の列車に乗ることになるので、毎日同じ時間の電車にはいつも同じ見た目の電車が来る(つまり、同じ形式の車両が使われている)ことが多いという車両運用の法則性も何となく感じていました。

そんな中、あるかなり寒い朝、いつものように母に連れられての登園時、乗り換え駅の所沢駅で池袋線の電車を待っていました。
多くの電車好きの子供同様、当時の私も運転室の後ろの窓からの前方展望を眺めながら乗るのが大好きだったので、母親もいつも先頭車の乗車位置で電車を待つようになってくれていました。
その日もいつものように先頭車の一番前のドアの乗車位置で待っていると、やがていつも秋津駅まで乗る電車がやってきましたが、先頭の車両はいつも乗る車両とは明らかに見た目が違う車両でした。
そして車内に入るとまたびっくり。何と床が木でできている!
さらにいつものように運転室のところに連れて行ってもらうと、何と運転室は車両幅の左側1/3の幅しかなく、残りの2/3の空間は大人の腰?ぐらいの高さに渡されたポール1本で客室と仕切られただけの誰もいない空間になっていました。
そんな不思議な空間越しに眺める所沢ー秋津間の前面展望は、おそらく当時の私にはいつもとは何となく違った風景に見えたかもしれません。

実はこの日は、池袋線では寒さによる車両ドアの凍結によりダイヤや車両運用が若干乱れていたようで(当時は首都圏でも、冬季は車両のドア凍結によるダイヤ乱れが時々起きていた)、普段は見かけないこの変わった車両の出現もそれに起因していたのかもしれません。
まあ幼稚園生当時の私にはそんなことは知る由もありませんでしたが…
いずれにしてもこのいつもとは違う車両に乗れたことにいたく興奮したのか、その夜会社から帰ってきた父親に私はこの日の出来事をかなり熱くしゃべっていたとかいないとか…

さて、この時に乗車した車両がどのような車両であるかは当時の私にはもちろんわかりませんでしたが、数年たった頃に「クハ1411形」という形式の車両であることを知りました。
このクハ1411形は、戦中戦後の空襲や事故などで焼失あるいは破損した旧鉄道省の電車を西武所沢工場で復旧したものやそれらの車両とよく似た車体を新製して製造された車両からなる形式で、当時は351系や451系といった形式の伝道者と組んで運用されていました。
私が初めてこのクハ1411形電車に出会った頃には、この形式の廃車も進んで両数が少なくなっていた時期だったようで、それゆえ普段乗る機会もなかなかなかったのかもしれません。
だから、車内の床が木であったり、運転室が普通の電車の1/3のスペースしかないなど、当時でもかなり珍しくなっていた構造の電車に乗った「非日常間」が幼い私にも伝わって、それが今も記憶に残っているのかもしれません。
そして、何かの理由でいつも乗ったり見たりする車両とは違う車両に出会うとついつい興奮してしまう習性は、今もあまり変わっていない気がします。