みなさんこんにちは。前回からの続きです。1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。


今回の企画展展示の主題、千里丘陵で開催された先の「大阪万博」会場に直結していた「北大阪急行電鉄(北急)〜地下鉄(現在のOsakaMetro)御堂筋線」ルートについて、会場の南千里をいったん離れて項を進めています。




会期中に約2000万人以上を運んだという、このメインルート。企画展での写真展示とともに、新大阪駅から実際にこの万博会場へのルートを辿り、引き続きあれこれと掘り下げてみようと思います。新大阪にて。



さて、ここは「山田駅(大阪府吹田市)」。
企画展会場の南千里から、ひとつ北にある駅。


今回の企画展で特に注目されていた「北急会場線」と「阪急千里線」との万博期間中、半年だけ存在していた、立体交差が繰り広げられていた印象に残る場所を、前回は訪れました。

しかと、半世紀以上経過した現在の定点観測を果たせました。感動さえ覚えた瞬間でした。


さて、新大阪→江坂→千里中央と辿って来た、くだんの万博輸送メインルート。いよいよ佳境に入って参りました。グーグル地図より。



ここからは、万博当時にはなかった「大阪モノレール」に乗り込み「万博記念公園駅(同)」へ向かいます。


千里中央から「中国自動車道(中国道)上り線」を借用して「万国博中央口駅」へ向かっていた北急。モノレールはそのすぐ南側の上空を走る配線。ほぼ、当時をトレースする形です。グーグル地図より。


プラットフォームに上がって来ました。

不定期に定点観測記を上げておりますが、おらが街、中河内に向けて建設たけなわのモノレール。現在は、淀川を越えたばかりの「門真市駅(同門真市)」が始発駅ですので、さすがにまだ乗る機会はそうありません。


高さがあるなあといつもながら感心しますが、線路には一本だけレール。単一のレールだけだから「モノ・レール」。なるほどと感じます。


乗車した日は、秋のとある休日。万博記念公園でイベントごとも行われているということで、「南茨木ゆき(同茨木市)」という珍しい臨時列車が次にはやって来ます。運が良い。


ホーム東端から、遠景を望む。


緑溢れる向こうは、もう万博記念公園です。

そして、主の「太陽の塔」がその勇姿を見せていました。小さい頃から幾度も眺めたものですが、この企画ゆえ、えらくわくわくします。


モノレールのアップダウン具合も印象的ですがその真下には、クルマが引きも切らぬ「中国道」と「府道大阪中央環状線(中環)」。いずれも万博を契機に建設されたもの。

本題の「北急会場線」が借用していた「中国道上り線」は順向きの、左から2つ目の車線。


それでは、やって来た臨時の「南茨木ゆき」に乗り込みます。動画でどうぞ。


高度が下がるとともに、徐々にスピードを落として行くモノレール。



太陽光パネルの向こうに緑が豊かですが、万博当時には、色や形もさまざまなパビリオン、展示館が幾つも見られたところ。開催から半世紀以上という長い時間を感じます。展示より。




わすか3分ほどで「万博記念公園駅(同)」に到着。

約2000万人以上を運んだ、メインルートを辿ってやって来た大阪万博会場(じゃない)。


思わず感慨に耽ってしまうのですが、このモノレール駅に対し、会期中に存在した「万国博中央口駅」を今度は探ってみることにします。




次回に続きます。

今日はこんなところです。