貴船神社 奥宮と中宮(結社)へ | まだだ、まだおわらんよ・・・
2024年01月16日

貴船神社 奥宮と中宮(結社)へ

テーマ:鉄道・京阪・嵐電・叡電

前回の続きです。

貴船といえば川床。

 

以前夏にも訪れたことがあるのですが、

同じ風景でも冬に行くと静かでまた違った表情。

 

ここで、中宮(なかみや)の入口が見えてきましたが、

 

物理的な位置としては手前から奥に向かって本宮、中宮、奥宮(おくみや)の順なのですが、

参拝の順路としては本宮の次に奥宮に参って、最後に中宮が正しいとのこと。

 

よって、そのまま進みます。

 

御神木、相生の杉を過ぎて、

 

鳥居が見えてきました。

 

鳥居のすぐ奥にある思ひ川に架かる橋、

 

もともとの意味は「御物忌み川」、身を清める禊のための川だったらしいのですが、

ここを訪れた和泉式部の願掛けによってその後は「思ひ川」と呼ばれるようになったのだそう。

 

つつみが岩、

 

奥宮の楼門まで来ました。

 

楼門をくぐると、

 

広場の奥に拝殿、

 

獰猛な獅子のような狛犬、

龍もそうですがこういう架空の神獣=クリーチャー的な造形物を見るのが好きなのでついつい見入ってしまいます。

 

その拝殿のまた奥にある、

 

本殿にお参りをします。

 

この本殿の下には巨大な龍穴があるとされ、

奈良の室生、岡山の備前とともに日本三大龍穴と言われています。

 

この奥宮と先の本宮に祀られている龍神は高龗神(たかおかみのかみ)といいます。

 

龗=雨に龍でオカミ、これは水神・龍神を表わし、山を司る龍神を高龗(たかおかみ)、谷を司る龍神を闇龗(くらおかみ)というそうです。

 

また、龍神と言うと現代の感覚からすると猛々しい男性的なイメージなのですが、二柱ともに女神様です。

 

本殿の横にある舟形岩、

神武天皇の母、玉依姫が乗ってきた黄船を人目に触れないように隠したと伝えられる石積み。

 

貴船の由来はこの黄色い船のほか貴布禰、木船、

木生根=木が生い茂った地、気生根=気が生ずる地など諸説あり、

黄、貴、木、気と様々な表記がされていたのを明治になって太政官達により現在の貴船に統一されたということです。

 

屋根には残雪が、

 

樹々に囲まれ厳粛な雰囲気。

 

観光名所なので人の往来が多いからよいのですが、閑散地であれば怖ろしげな雰囲気にも思えます。

 

怖ろし気といえば呪いの藁人形で知られる丑の刻参りもここ貴船が発祥とされています。

 

しかし、本来丑の刻はこの地に神が降り立ったとされる時間帯でその時に参ると願いがより叶うという意図だったのが、宇治の橋姫の嫉妬による呪詛から現在のネガティブなイメージが定着したのだそう。

 

先ほどの思ひ川の忌み事から想い人に転じたのと逆のパターンの意味変ですね。

 

奥宮のご神木、連理の杉。

 

奥宮を参拝のあと、

 

もと来た道を戻って。

 

先ほど通り過ぎた中宮、結社の入口に来ました。

 

中宮にお参り。

 

ここ中宮に祀られているのは磐長姫命(いわながひめのみこと)

 

岩のように永久不変を象徴する女神で、国歌の「君が代」の歌詞のモデルにもなったといわれています。

 

貴船神社は縁結びでも有名ですが、この磐長姫こそが縁結びの神、よってここ中宮が結社(ゆいのやしろ)とされています。

磐長姫が自らの縁談の破談を契機に、同じ悲しい思いをする人が無いように良縁を授けようとこの地におさまったこと、

 

また和泉式部が夫の浮気に悩みこの地を訪れ復縁を成就したというエピソードなどから良縁成就のパワースポットとされたということです。


ご神木の桂の木。

 

天の磐船、

 

石段を下りてもとの府道に戻り、

 

本宮まで戻ってきました、

 

そこからさらにもと来た道を下って、

バス停まで戻り、

 

叡山電車の貴船口駅まで帰ってきました。

 

 

貴船神社には過去にも何度か訪れているのですが、これまでは紅葉シーズンの樹々に山々や人の賑わいといったビジュアル面や個人的な祈願などに気をとられていた部分が多かったのですが、

 

今回辰年参りで季節が冬ということもあり、設置してある立札を読む進めていくうちに、

水神・龍神に龍穴、絵馬に縁結びに丑の刻参りまで、神話の時代からの数々の逸話、伝承を実景とあわせて見ていく中でこれまでになく興味深く巡ることができました。

 

 

つづく。

 

 

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