今年は早々と、1月から『バスブラ』をおおくりしようと思います。
大晦日の総集編でも少し書きましたが、昨今大きな問題となってきているのが、"路線バス運転士の大幅不足"。
かなり以前から叫ばれてはいましたが、時間外労働規制の"2024年問題"が決定打となり、対策を先送りしてきたツケがついに回ってきた感じです。
全国各地、特に大都市近郊のバス路線で、需要があるにも拘らず、運転士不足による減便や路線廃止/短縮が近年相次ぎ、日常生活に大きな影響が出ている地域も現れ始めています。
こんな事態に陥った一義的な原因は、時間外や休日出勤を前提とした賃金体系に基づく、運転士の長時間労働に頼ってきたバス会社にありますが、こんな切羽詰まった状況になるまで放置してきた行政にも大きな責任があると言わざるを得ません(※勿論、原因は他にも種々あります)
そんな中ついに、会社ごと廃業し、所有路線全線の廃止を決めた所まで現れました。
大阪府・南河内地域で営業していた、金剛バスです。
富田林市を中心に15路線を運営していましたが、人口希薄という地域ではなく、大阪市から近鉄で1時間圏内の、住宅地が広がる郊外です。昨春、同社から発表があった時は大きな衝撃をもって伝えられましたが、僕も最初知った時は耳を疑いました。
事態をうけた沿線自治体は大慌てで協議を開始。同社にも翻意を促しましたが、金剛バスは「もはや補助金の増額で解決出来る段階ではない」と、廃業の意思は変わらず、9月には正式に廃業告知を出すに至りました。
同社15路線のうち、主要な5路線は同地域で営業している近鉄バス/南海バスへ継承、その他の路線は沿線4自治体(※後述)によるコミュニティバス等でカバーする事が、自治体の懸命な調整で何とか決まりました(※全線で減便となるほか、一部路線は廃止/短縮)
当別荘では昨年末、廃止数日前の金剛バスに乗り、大阪府唯一の"村"である千早赤阪村と、南河内の歴史を伝える『近つ飛鳥博物館』を訪ねてきました。どんな地域/沿線だったのか?ではスタートします
近鉄長野線・富田林駅で下車します
阿部野橋駅から出ている南大阪線の支線(※古市駅で分岐)ですが、あべの橋からの直通電車も多く、大阪市への通勤に便利な駅です
改札から駅前に出ると・
目の前にバスロータリー
そこに停まっているバスは~
今作は↑に乗るために来ました、金剛バスです
緑の濃淡、落ち着いた感じの塗色です^
車体に大きく書かれた、↑ローマ風(?)フォント『Kongo Bus』の文字がアクセントです^
この後乗って、たっぷり金剛バスを書いてゆきますが、
その前に・
ここ富田林市は、駅前すぐに江戸期からの古い街並が残る、寺内町(じないまち)で知られる歴史の街でもあります。
バスに乗る前に、少し寺内町を歩いてみます^
駅前には、↑楠木正成公の碑も建ってますが、楠公についてはこの後バスで行く、大阪府唯一の村・千早赤阪村ゆかりの人物なので、そこで書きます
バスロータリー向かいには、↑同市の観光案内所『とんだばやし きらめきファクトリー』があるので、ここで現地情報を仕入れて寺内町ブラへ出掛けるのがいいと思います(※トイレあり)
案内所から少し入っただけで、もう古い街並になってきます。
ホント駅近の古街なんです^
そして、南側の空へ目をやると、なにか独特の形のタワーが見えます。
これは・
当地に本部がある、PL教団の↑『大平和祈念塔』です。
大阪では通称"PLタワー"として知られ、この塔周辺で毎夏に行われていた"PL花火大会"の時は富田林は大変な人で溢れましたが、コロナ禍がきっかけで中止となって以降、復活の見込みはたっていないとの事。
又、かつて高校野球で有名だった同教団附属のPL高校硬式野球部は、現在休部中だそうです
街中へすすむにつれ、街並が古くなってきます(※国重伝建造物群保存地区)
国重文に指定されている建物もあります。↑杉山家住宅、酒造業で財をなし、敷地内には蔵等十数棟が並んでいるとの事(※見学可能)
今作はバスブラなので時間をとってなく、急ぎ足で廻ったんですが、又ゆっくり歩いてみたい街です
お寺もありました。興正寺別院です(※真宗興正派)
"富田林御坊"とも呼ばれます。
この興正寺別院が、寺内町発祥の寺とも言われます。
というのは、元々この町は興正寺を中心とした自治都市として歩んできた歴史を持ち(※なので『寺内町』)、同寺から広がる町割や畑屋敷を整備していって形成された街だからです(※現地解説板による)
ホントに端折り街ブラですみませんが、大阪の歴史は今後とも、当別荘永遠のテーマとしてやっていきます^
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駅前に戻ってきました。
本題の金剛バスに戻ります
金剛バス、この富田林駅のほか、隣の喜志駅、南大阪線の上ノ太子駅の3駅から路線を延ばしています。
沿線は、富田林市/河南町/太子町/千早赤阪村の1市2町1村に跨ります(※以降、"沿線4自治体"と略します)
富田林駅からは主に4系統出ていますが、これから乗るのは前述の通り、大阪府唯一の村・千早赤阪村へ向かう路線です
行った日は廃業10日前位だったんですが、各乗場には廃業を知らせる各種掲示が貼られていました。
↑正式な廃業発表をした際の文。
運転士不足と運収低迷のため、大手社の系列に入ってなかった金剛バスは統合等の対応も出来ず、止むをえず苦渋の決断に至った経過が記されています。
昨年(2023)、12/20で廃業しました(※引継状況については後述)
↑千早線・千早ロープウェイ行が入ってきました
同駅からの各路線は概ね30~1時間毎の運行でした。
乗車が始まりました!
後乗/前降、整理券方式です。ここもそうでしたが、関西の整理券方式で多いのは"0"や"1"からでなく、まず"整理券無し"から始まります(※途中から発行)
ちなみに同社のバス、現在は無い西日本車体工業製が多く、"西工ボデーが走る社"としてバスファンに人気が高かったそうです
日中毎時1本だった千早線、始発出発時はほぼシート満席
富田林駅前を離れてゆきます
沿線でよく見かける↑地域スーパー"Sunplaza"
駅を出て数分で、市街の東側を流れる川を渡ります。
↑石川です。
下流で大和川と合流し、大阪湾に注ぎます
石川を渡ると、一部狭隘な道も走ります。大型バスでは少し大変そうです
途中バス停はこまめに配置され、住宅もなかなか途切れません。潜在的需要は充分感じられる路線です。
とはいえ、次第に緑も増え、山並みが見えてきます
奈良県と境を接する、金剛山地です
金剛山地の北は生駒山地、南は和泉山脈へと続き、奈良/和歌山両県との境を分けています(※金剛生駒紀泉国定公園)
やがて少しづつ坂道となり、標高が上がっていくのが乗っていてわかります
森屋バス停あたりから、千早赤阪村に入っています。
千早赤阪役場前で下車します
バス停の前には、その名の通り~
千早赤阪村役場が建っています。
近年建替えられたみたいで、新しげな庁舎です
↑文字のフォントが、事前に見ていた同村HPのと同じかわいい字体^
同村は、昭和の大合併で旧千早村/赤阪村が併合して発足。
平成大合併ではどことも合併せず、今や大阪府で唯一の"村"となっています
役場前で降りたのは、この近くの名所を訪ねるためです
千早川を渡って、坂道を登ると・
ここにある『道の駅ちはやあかさか』の敷地に、富田林駅前に碑があった楠木正成公の生誕地&同村の郷土資料館があるんです
入口には、↑アノ笹川良一氏揮毫の碑
駐車場は、ごくふつ~の道の駅仕様でしたが・
ここ、"日本一かわいい道の駅"がキャッチフレーズなんです
↑の小さな一軒家みたいな建物が、道の駅です。
たしかにかわいいサイズ^
まさに、小さな村の小さな売店^
↑イートインコーナーも手作り感満点^
そして、道の駅駐車場の一角にあるのが、↑楠公の生誕地と伝わる場所
ここで、楠木正成公について簡単に^
楠木正成(伝1294-1336)
当地で出生したと伝わりますが、幼少期の記録には乏しく、現在も諸説あります。
鎌倉末期、建武の新政下で後醍醐天皇を輔弼し、鎌倉倒幕の立役者の一人でもありました。特にこの千早赤阪村での"赤阪城の戦い"(※後程城跡へ行きます)で戦功をあげましたが、後年には足利尊氏と対立、そして神戸・湊川の戦いで敗れて自刀。正成はその湊川神社の祭神となって祀られ、現在も湊川神社は"楠公さん"の通称です。この事から、大阪/兵庫の両府県で特に知名度が高い人物です
楠公生誕地の横には、↑村立の郷土資料館
残念ながら展示室は撮影禁止だったんですが、同村の歴史や民俗を、現地ならではの史料で学べます。かつて同村が、高野豆腐の名産地だった事をここで初めて知りました
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続いて、さらに楠公の足跡を辿るため、赤阪城跡へ
バス停2つ分ですが、坂道を歩いていきます
そして、赤阪城跡付近は、棚田の風景が見られる名所でもあります
バス道の両側にはもう、棚田が現れてきました
消防分署前バス停まで来ました。
ここには勿論・
名の通り、消防分署があります(※消防は、富田林市が沿線4自治体を管轄)
棚田見学に車で来た場合、ここに置きます
棚田/城跡へはこのバス停から徒歩です
お~
歩き始めてすぐ、棚田になってきます。大阪府にこんな光景があったとは・
ちょうど1本前のバスが通る時間なので、撮っていきます
バスが来ました!
緑の棚田を走る、緑の金剛バス
この光景も、今作がupされる頃はもう見られません。
というのは、この千早線は12/20の廃業以降、駅からの便は役場前~消防分署前の中間にある『赤阪中学校』止(※南海バスへ引継)となり、それ以遠は赤阪中学校で村のコミュバスへ乗継となります。
そして末端部の金剛登山口~千早ロープウェイ間は廃止され、この系統は分断されてしまう事が決まっています
ちなみに終点の"千早ロープウェイ"ですが、全国唯一の"村営ロープウェイ"として、金剛山観光の目玉でしたが、2019年に施設老朽化のため廃止されています。美しい風景とうらはらの寂しい話ばかりで、胸塞ぐ思いです。
バスを見送ってから、赤阪城跡へ
標高185mに位置する山城です。この地で楠公が籠城した事で世相の混乱を惹起し、鎌倉幕府滅亡の一因にもなったと言われます(※国史跡)
この赤阪城跡に、棚田の展望スペースもあります
昨秋の日田彦山線の作でも、福岡県東峰村の竹棚田を訪ねましたが、あれから半年経たず又、美しい棚田を眺める機会に恵まれました。
大阪府千早赤阪村・下赤阪棚田です(※日本の棚田百選指定)
バス道に戻ってきました。この府道は金剛山の麓、奈良県境まで通じています。
戻りのバスが来ました。千早赤阪村をあとにします
再び石川を渡る頃、夕陽が沈む河内野
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後半です。
大阪市で1泊した翌日・
冒頭の富田林駅の隣、喜志駅で下車
昨日と打って変わり、あいにくの空模様です
駅前には小さなバスロータリーがあり、この駅からも金剛バスが数系統出ていました。
これから乗るのは、近つ飛鳥博物館行です。
終点では、この博物館も見学します
前半の千早線より少し閑散とした感じで出発
とはいえ、この線も住宅地が続き、途中には大阪芸大もあるため、朝夕は混雑していたそうです(※但し、芸大は独自にスクールバスも運行)
約25分程で、終点・近つ飛鳥博物館前に到着。この周辺も住宅地です。ここは千早赤阪村の北隣、南河内郡河南町です。
バスは、博物館への入口附近が広くなっている所でグルっと転回、折返していきます
博物館は↑『近つ飛鳥風土記の丘』内にあり、バス停から徒歩15分位かかります
しかし丘に入った瞬間から、もう歴史見学は始まっているんです。
というのは~
風土記の丘内そのものが史跡で、6世紀頃の墳墓跡を多数擁し、古の姿そのままに保存されています(※国史跡)
墳墓数は総数250基以上とされ、我が国有数の古墳群です
そんな中に・
近つ飛鳥博物館があります。
景観に配慮した低い建物、設計はアノ安藤忠雄氏で、上空から見ると前方後円墳の形に見えるそうです
1994年オープン、府立の考古博物館です
この『近つ飛鳥』という特徴的な名ですが、
同館パネルによると、この名は古事記に典拠し、古代首都だった難波宮から見て、"遠いほうの飛鳥"が大和の飛鳥(※現奈良県明日香村付近)、"近いほうの飛鳥"が、ここ南河内だった、という意です。
実はここも、飛鳥の地でした
昨年upした堺市の作でも、この地域に古墳が集中している事を書きましたが、その古墳群を縫うように近鉄や道路が走る南河内は、まさに日本文化の源流を辿るに欠かせない地です
展示は前述の通りの立地なので、古墳時代~飛鳥時代に主軸を置いています。聖徳太子についても詳説していて、河南町の北隣・太子町にある聖徳太子墓の複製も展示していました。関西各地に聖徳太子ゆかりの地はありますが、ここ南河内は"別格"です。
又同館では、"文字"が国家発展にもたらした重要性も強調していました。
(※同館は、一部の展示を除き撮影可)
多数出土している木簡や、墳墓で見られる被葬者についての墓標から解き明かされる古代の実態。そして貨幣が流通するに従い、そこに文字で書かれた単位を人間は支配し/支配され、経済活動を始めていった、古代文明に資した文字の役割を考えさせる展示です。
そして、館の中央には~
大きな、仁徳天皇陵の模型。1/150で再現しています
昨年の堺の作で"実物"も訪れましたが、やはり模型の方がよくわかります
夥しい数の埴輪も展示
人物型は勿論、家型や鳥型等、至近距離で見る本物の埴輪に圧倒されます
出土した石棺も多数展示。
被葬者の状態を再現したコーナーもあり、古代からの声を来館者が感じ取る工夫も
行った時やっていた↑"知られざる南河内"企画展。
全国に向け、というよりむしろ、普段これだけ深い歴史を秘めているとは意識せず暮らしている府民をターゲットに開催されているという狙いも感じる展示でした
4つに分けてあったコーナーは、まさに金剛バスが走る『沿線4自治体』、富田林市/河南町/太子町/千早赤阪村の史跡や出土品を丁寧に紹介していました。
↑この修復ぶりに、考古に傾ける情熱を感じます。
中には、↑何を象ったのか未だに不明な文様もあり、古代の謎はまだまだ深いです^
先程乗って来た喜志駅近くにも遺跡があります。
たっぷりと、古代ロマンに浸った一時でした
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バス停に戻ってきました。静かな住宅地に雨が降り出しました
戻りのバスが来ました。この便が僕にとってラスト金剛バスです
この近つ飛鳥博物館への線は、金剛バス廃業後、沿線4自治体によるコミュニティバスへ運行移管されます。朝夕の便数はほぼ従前通りの予定ですが、日中は2時間毎に半減されます。なお使用車の一部は旧金剛バスの車も利用し、ナンバーを自家用有償使用のものに付け替えて走るとの事です。
前半(昨日)、千早赤阪からの戻りには美しい夕陽が見られた石川、この日は師走の涙雨が、金剛バス最後の活躍を濡らしていました
喜志駅に戻ってきました。
駅前に建つ、聖徳太子碑の隣に・
喜志駅前にあった↑金剛バスの定期券/回数券売場。
既に新規発売は終了済でしたが、払戻等に対応。この行った日の3日後に閉業しました。
なお、事業者継承後の運賃は、当面金剛バス時の額で据え置くとの事です(※将来的に見直しあり)
金剛バスは、発表通り昨年(2023)12/20に廃業となり、前述の通り主要路線は近鉄/南海バス・沿線4自治体のコミュバスへ一部引継がれましたが、約1/3の路線は代替されないまま廃業しました。
運行最終日の夜、富田林/喜志両駅のターミナルや、甘南備終点等には地元の人々が集まり、最終便をねぎらいの声や拍手で見送ったそうです。
時代の激しい変化に抗えず、地域の表舞台から消えていった金剛バス。この歴史深い地・南河内に一つの歴史を加え、旅立っていきました
当地、近鉄狭軌エリア各線については、今後とも訪ねていきたいと思っています
☆近傍関連作リンク
vol.419 中世の日本に "自由都市" 交易、歴史、文化薫る街【堺】チン電に乗って^(前) | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
vol.420 中世の日本に"自由都市" 太古から近代まで 歴史と文化重ねる街【堺】(後編) | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)