鉄道コレクションの大糸線セットで、青22号(スカイブルー)で塗装されたクハ68017(元クロハ59)を、京阪神緩行線で昭和35年~36年頃に運用されていた当時の姿に戻す加工に着手していましたが、2022年1月で作業が中断しています。先日完成したクモハ51・クハ68に引き続き、こちらも完成を目指して、作業再開することにしました。

 

先回(→こちら)までの状況は以下の通りです。

ボディは、加工と塗装を終えています。

 

各窓の窓枠・中桟はボディではなくて窓ガラスに表現されています。製品では窓枠・中桟が青22号に塗装されていたので、プラシンナーを含ませた綿棒で塗装を除去をしてあります。

 

乗務員室扉の窓ガラスに「乗務員室」と横書きで標記されていますが、私の再現する当時は縦書きでしたので、今回消去しておくことにします。

 

窓枠・中桟をぶどう色2号で塗装するため、窓ガラス部分をマスキングテープで覆いました。各窓の中桟が前後で高さが乱れると見映えが悪くなるため、前後で出来るだけ一直線になるようにマスキングテ-プを貼りました。ドア付近もマスキングする必要がありますが未完です。

今日は天気も良かったので、午後からこの作業に着手して、2時間位で貼り終えて一気に塗装する心算でしたが、これだけの作業に夕方まで掛ってしまい、塗装には至りませんでした。

 

この作業を2年間放置していたのには訳があります。マスキングテープで丹念に蔽う作業を何とか軽減(手抜き)できないかと、模索していました。

新品の消しゴムの表面にぶどう色2号のプラ塗料を筆塗りしておいて、窓ガラスの凸状に浮き出た窓枠・中桟に押し当てて、塗料をスタンプの様に転写してみることを試みていました。

 

塗料を薄めずに原液のまま転写したのですが、ご覧の有様です。消しゴムに塗った塗料が少し乾いてから転写すれば良かったのかも知れませんが、全ての窓を同一レベルに仕上げるのは至難の業と、この方法は断念することにしました。

 

続いて、屋根板に追加作業が発生しました。

製品の屋根上には信号炎管が一体成型で表現されていますが、再現しようとしている昭和35年~36年当時には、信号炎管は屋根上には設置されていませんでした。昭和37年5月に発生した常磐線の三河島事故で課題となった対向列車防護対策を契機に、車両屋根上に設置されるようになったからです。

 

カッターナイフで信号炎管を削ぎ落しました。

 

信号炎管を撤去した周囲には、カッターナイフで付けてしまった引っ掻き傷が目立ちますので、紙ヤスリ掛けして傷を修復してから再塗装せねばならなくなりました。

 

昨秋に終わる筈だった自宅の屋内リフォーム工事が中断しており、近日中に再開される予定で、模型の加工作業が思うように出来なくなりそうです。このため、窓ガラスの窓枠・中桟、屋根板の塗装も暫く先送りになる見込みです。(続く)

 

【関連記事】

 鉄コレ 元クロハ59のクハ68を京阪神緩行線に(8/完)

 鉄コレ 元クロハ59のクハ68を京阪神緩行線に(7)

 鉄コレ 元クロハ59のクハ68を京阪神緩行線に(6)

 鉄コレ 元クロハ59のクハ68を京阪神緩行線に(5)

 鉄コレ 元クロハ59のクハ68を京阪神緩行線に(4)

 鉄コレ 元クロハ59のクハ68を京阪神緩行線に(3)

 鉄コレ 元クロハ59のクハ68を京阪神緩行線に(2)

 鉄コレ 元クロハ59のクハ68を京阪神緩行線に(1)