当時、有田鉄道の主力車両は富士急行から来たキハ58003の単行でした。

国鉄キハ58と同一設計の両運転台車で、急行「アルプス」に併結されて新宿までやって来た名物車両でした。

(富士急線内では、自社の運転士に内燃車の運転免許を取得させていました)

富士急での活躍は僅か13年、有田鉄道は良い出物を見つけたものです。

ただ、入線後はいつ見ても錆だらけの前面で、整備の疎かさが窺われますね。

最晩年は1日2往復、しかも週末は運休と日本一の閑散ダイヤで騒がれること無く消えました。