元旦早々の大地震、被災された方々にお見舞い申し上げます。

 

 今年の正月は次男一家が1週間ずらして来るというので、長男夫婦だけの来訪である。幸い東海道新幹線は止まることなく予定通り夕食に間に合うようにやってきたが、暖かい日中はすることがなかった。いやいや、することはいっぱいあるが正月くらいという気分なのでブラブラする。

 

 

 そうだ、近所の初詣風景を見てくるかと歩き出した。まずは豪徳寺。ペットブームの今日招き猫のおかげで有名だが、もともと井伊家の菩提寺であり、井伊直弼の墓がある。それは知っていたのだが、今回豪徳寺は1480年に世田谷城主吉良政忠が結んだ庵が始まりであることを、そしてこの吉良氏が愛知県の吉良氏と同根であることを知った。

 

 

 お寺の初詣は人気がないだろうと思ったが、そんなことはない。長い列ができていて、いくら写真を撮るだけとはいえ横から入りにくい。仕方なく外から写真だけ撮って、その南側にある世田谷城址公園(下)に向かった。世田谷城主吉良氏は、我が愛知県の吉良さんとはどういう関係なのかと調べた。

 

 

 すると元々三河の吉良さんがある時三河吉良氏と武蔵吉良氏(奥州吉良氏ともいう)に分かれ、武蔵吉良氏が世田谷城を築いたということが分かった。なあんだ、けんじいが一時勤務した三河南部と今住んでいるところは親戚だったんだ。

 

(東急世田谷線が近くを走っている)

 

 けんちゃんの頃は大人が作った物語を信じて「吉良は悪いやつ」と思っていたが、大人になってへそ曲がりのけんじいは「浅野内匠頭こそ、浅はかな考えしかできない頭の持ち主でバカ殿。名君吉良さんはとんだ被害者」と思うようになった。

 

 

 次は世田谷八幡宮に行く。創建は1091年と伝えられるが、ここも1546年世田谷城主7代目の吉良頼康が再興したのが事実上の創建だそうだ。ということはこの辺りはみんな吉良さんである。世田谷区は大場代官屋敷で大場さんが有名だが、吉良さんこそが地主だったということを知っただけでも大収穫だった。

 

 

 ところで世田谷八幡宮、参道はもちろん、神社の周りまで人の列が伸びていた。だから寺と神社、どちらも外から手を合わせただけで賽銭箱には近づいていない。ついでの話だが、長男夫婦と語り合って、ネットを使った仕事の進め方、人とのつながり方が昔とは全く違っていることを思い知らされた。