前回記事で全て紹介できなかった12月26~27日のキハ40形中心の乗り鉄記事ですが、後半として2日目・27日の旅行記を紹介します。それでは、続きをどうぞ。

 

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その⑤:緑 6:52→網走 8:14 釧網本線4724D

網走 8:44→北見 9:48 石北本線4656D

アサ キハ40 1761+キハ40 1723→北見

 

何故知床斜里で泊まったかというと、翌朝に緑駅から出る釧網本線唯一のキハ40形の上り列車・4724Dに乗るためであるのだが、緑駅周辺に宿泊施設がなく、始発駅から乗るためにはどうするかいろいろと検討を重ねた結果、知床斜里駅前からタクシーで緑駅に行くという選択をした。レンタカーを借りて緑駅に置いていくというテもあったが、冬季は除雪作業の支障になるなどリスクがあり、また戻ってくるにも日中の列車がない事から断念…。かつては朝に知床斜里→緑の普通列車があったのだが、結局利用客がない事から2016年3月ダイヤ改正以降は回送列車になってしまった。

 

地元のタクシー会社・斜里ハイヤーは営業時間が7:00からと、本来ならば間に合わないのだが、事前予約の際に無理を言って6:00に来てもらうようにお願いした。私も寝坊しないように頑張って早起きし、身支度を整え駅前に出てみたら、一般のタクシー車のプリウスではなく行燈のないハイヤー仕様のクラウン(但し20年以上前の170系)が停まっていた。しかし20年以上落ちとはいえ、流石クラウン、気品と高級感があり乗り心地も良い。セダン好きの私にしてみれば現行のクロスオーバー化にはどうしてもついていけない。

斜里から清里へ向かう道道は前夜の吹雪で所々吹き溜まりが…。ドライバー氏の慎重な運転で結局40分で緑駅に到着。残念ながらタッチの差で回送列車の到着には間に合わなかった。深々とお礼をしてハイヤーを降りたが、記念に車の写真を撮るのを忘れてしまった。

 

 

 

緑の駅舎内。比較的キレイに保たれている。

 

 

 

今回乗車する6:52発の北見行…緑駅を発着する唯一の旅客列車なのだ。コレに乗るためにハイヤー代約¥9000(夜間冬季それぞれ割増料金)も掛けてここまで来たのである。もう乗り鉄バカというべきか…(汗)。

 

 

 

緑駅も廃駅対象42駅のリストアップに入っている。いわゆる『限界集落』に存在しており、日常的に利用する客がいないのだろうか。

 

 

 

4724Dのキハ40形2連。前夜に北見からの4673D~4735Dで知床斜里に到着後、夜間滞泊した後回送列車で到着。先頭車となるキハ40 1723は元釧路車で、ヘッドマーク枠が貫通扉に付いている。

 

 

 

先に述べた通り、前日石北本線で乗車したキハ40 1761は網走到着後北見まで折返し、その後別のキハ40を増結して知床斜里へと向かう。そして4724Dの運用に入るワケだ。

4724Dは普段、斜里や網走の高校へ通学する高校生を運ぶ重要な役目を持っている。サボはこの列車のみにしか使われないレア仕様…。いずれJREモールのオークションに出品されるんだろうな…。

 

 

 

今回はキハ40 1723のほうに乗車。当然というべきか、乗客は私たった1人だけ。車内放送の案内もなく緑駅を出発した。

 

 

 

緑駅からの整理券と、使用した青春18きっぷ。まだ2回目のスタンプは押していないが、後で網走到着後に押してもらったので念のため。

 

 

 

次駅の札弦から少しずつ乗客が乗ってくる。乗客の中心は斜里や網走の高校の部活に向かう学生たちだ。

 

 

 

札弦から先は知床連山が見えてくるが、写真の斜里岳は残念ながら厚い雲に覆われておりその麗姿を眺める事はできなかった。

 

 

 

斜里岳と、その北側にそびえる海別岳の間から朝日が昇る…。

 

 

 

海別岳もご覧の通り完全に雲に隠れてしまっている…。

 

 

 

知床斜里駅で、網走からの始発列車釧路行4725Dと交換。

 

 

 

知床斜里駅発車後、オホーツク海に注ぐ斜里川を渡る。

 

 

 

そしていよいよオホーツク海が見えてくる。

 

 

 

オホーツク海に最も近い駅・北浜駅。

 

 

 

網走の市街地が遠くに見えてきた…。

 

 

 

網走の港が見えてくると網走トンネルに入り、抜けると桂台駅に到着する。網走南ヶ丘高校の学生は皆ここで降りていった。

 

 

 

網走の市街地を高架で行く。

 

 

 

高架から降りると、網走駅に到着。

残りの乗客のほとんどはここで降りてしまったが、北見方面へ乗り通す客も若干いた。

 

 

 

網走駅では30分もの『バカ停』。列車番号も石北本線に合わせて4656Dに変わる。

 

 

 

車庫の横の給油線には、この後10:19発の遠軽行4658Dのキハ40形2連が停車中。網走方には『道東 森の恵み』ことキハ40 1779が連結されていた。

一方、4656Dの改札が始まり、北見方面へ向かうであろう乗客がボチボチ乗ってくる。

 

 

 

30分の停車を終えて網走駅を発車後、網走川沿いに進む。

 

 

 

そして凍り付いた網走湖沿いを行く。

 

 

 

呼人駅で遠軽からの4653Dと交換する。

 

 

 

美幌川を渡ると美幌駅に到着。ここから北見方面の高校の部活へ向かう高校生などの乗客が増え始める。

 

 

 

美幌駅を渡ると網走川を渡るが、川面は凍結して雪が積もっていた。

 

 

 

美野峠を越えて緋牛内駅に到着する。

 

 

 

緋牛内から先は北見盆地のタマネギ畑ぞいを行き、常呂川を渡る。

 

 

 

北見の市街地に入り、緑駅から3時間弱の旅を終え、終着・北見駅に到着。

車両は北見運転所でしばしの休息の後、北見→東相内→網走の4662D~4665Dの運用に就く。

 

 

 

北見駅のコンコースには2024年の干支である龍が描かれたジャンボ絵馬が。

 

 

 

その⑥:北見 10:19→美幌 10:50 石北本線 4659D

アサ キハ40 1725(単行)

 

北見から本来は特快きたみで旭川へ…と行きたい処だが、今回はキハ40形中心の乗り鉄なのでパスし、時間潰しとして網走行の4659Dで一旦美幌へ戻り、そこから遠軽行の4658Dに乗る…というプランにした。

 

 

 

その⑦:美幌 10:51→遠軽 12:52 石北本線 4658D

アサ キハ40 1779+キハ40 1715→遠軽

 

4659Dは緋牛内駅で降りようとも思ったのだが、なんと同業者が3人も降りていったのでパス。4658Dと交換する美幌駅まで乗る事にした。そして降りてすぐ向かいに停車中の4658Dに乗り移る。危うく乗り遅れる処だった(汗)。

私は『道東 森の恵み』キハ40 1779のほうに席を確保した。この車両は根室本線(花咲線含む)新得~根室、釧網本線全線と『花たび そうや』で宗谷本線で乗った事があったが、石北本線で乗るのは今回が初めてなのだった。もしかすると今回で最初で最後になるかもしれない…。

 

 

 

11:23、再び北見駅へ。当駅では14分停車する。

 

 

 

その間に札幌からの71D特急オホーツク1号と交換する。

 

 

 

停車中の間、北見運転所の車庫からH100形2連の試運転列車が出てきた。一旦引き上げ線に入り、試運転に入るのだろうか(詳細は不明)。前回にも述べた通り、H100形は『ざんねんな鉄道車両』の烙印を押されるべき車両で、スピードアップと冷房付きは評価できるがソレ以外何も良い点はなく、ただ座席数が少なく、その座席も座り心地が悪く乗る立場にとってはツラい。

 

 

 

いきなり飛ぶがご了承を。

北見から1時間15分、終着の遠軽駅2番ホームに到着。18キッパー御用達のこの列車は北見・網走方面で運用されたキハ40形を旭川運転所へ戻す役割を持っているため、遠軽からは4622Dとして旭川へ直通するが、送り込みの4623Dと同様、乗客は一旦降ろされる。

 

 

 

1番線には既に旭川からの4623Dが到着。4663Dとして網走へと向かう。

 

 

 

道内の主要駅では北海道クリーン・システムの作業員がサボ交換するが、遠軽駅では駅員がサボを交換する。

 

 

 

1番線の4663Dは13時ちょうどに網走へ向けて出発していった。

 

 

 

その⑧:遠軽 13:27→旭川 17:13 石北本線 4622D

(車両は4658Dからの継続)

 

遠軽駅構内にはかつて名寄本線や湧網線などで活躍する車両が配置されていた遠軽機関区があり、SL時代からの扇形庫が建っていたが、JR化後に解体撤去され、今は転車台が残るのみだ。

 

 

 

名寄本線があった頃の名残を残す『のりば案内』。下段には「紋別・名寄方面は0番線へ」の表示が残っている。

 

 

 

この4622Dは遠軽→上川→旭川で唯一キハ40で運用される列車。1番ホームに廻って編成写真を撮ったが、ちょうど激しい雪が降り出してしまった。

 

 

 

雪降りしきる中、遠軽駅を発車。

 

 

 

遠軽からの乗客はほとんど18キッパーの乗り鉄ばかりだが、私が乗車した『道東 森の恵み』のほうは人気がなく、オリジナルの車内を保ったキハ40 1715のほうに集中していた。

 

 

 

『瀬戸瀬から志布志ゆきの旅』のスタート地点となった瀬戸瀬駅。当駅が廃駅になる前に、今度は『志布志から瀬戸瀬ゆきの旅』を実行したいと思っているのだが…叶うだろうか。

 

 

 

下白滝(信)までは湧別川沿いに進む。

 

 

 

北見峠を越え、上川駅に到着。46分もの『バカ停』となる。

線路は雪に完全に覆われていた。

 

 

 

バカ停の間、網走からの6084D特急大雪4号が追い抜いていく。

本来は3番線に旭川からの特快きたみが到着する予定だったが、雪害の影響で運休との事…。なんかイヤな予感が!?

この後、旭川を13:48に出発した4527Dが約1時間10分遅れで到着する。それでも4622Dは16:06に定刻で発車。流石にこの列車を運休にしてしまうと旭川運転所にキハ40を戻す事ができなくなるため、何が何でも走らせなければならないのだった。

 

 

 

2024年3月ダイヤ改正で廃駅になる事が決定した愛山駅に停車。同時には函館本線の中ノ沢、石勝線の滝の上、宗谷本線の初野・恩根内の各駅が廃駅となってしまう。

10年後、北海道の駅はどれだけ残っているのだろうか…。

 

 

 

冬至は過ぎたものの、夜はまだ長い。

ここで残念なお知らせが…。東旭川駅に着いた時点で、新旭川駅でポイントが切り替わらない事象が発生したとの事で抑止されてしまった。次に乗る旭川17:37発の岩見沢行2336Mに間に合うだろうか!?

 

 

 

かなり長い事抑止されていたが、ポイントが復旧したとの事。しかし、6083D特急大雪3号を行き違いさせるため、それと交換してからの東旭川駅発車となった。

そして約35分遅れで終着・旭川駅に到着。

 

 

 

降りる時に私はホームで足を滑らせて列車とホームの間に片脚を落っことすというハプニングが!このハプニングでスネを擦りむいてしまったが、靴を線路内に落とさなくてヨカッタ(汗)。

 

 

 

その⑨:旭川 17:37→岩見沢 19:15 函館本線 2336M

サウ 721系F-13編成

 

本来ならば旭川から乗り継ぐ2336Mの発車時刻はとっくに過ぎているのだが、この列車の送り込みである岩見沢からの2331Mの到着が雪の影響で遅れた影響か、まだ出発していなかった。

 

 

 

前頭部に雪をビッシリこびりつけた721系。同系は岩見沢~旭川の運用から撤退し、新型737系ワンマン電車に置き換えられる予定なので、あと何回乗れるだろうか…。

 

 

 

旭川駅を19分延発した2336Mは激しい雪を突いて快走、約10分程遅れで終着・岩見沢駅に到着。

 

 

 

その⑩:岩見沢 19:38→札幌 20:23 函館本線268M

サウ 733系B-108+731系G-115→小樽

 

岩見沢からは小樽行の268Mで札幌への帰途に就く。既に車両は入線しており、私は721系を期待していたが、残念ながら6両ともロングシート車の編成だった。

 

 

 

札幌駅2番線に到着、2023年乗り鉄おさめ2日間の旅が終わった。本来ならば学園都市線までの乗換も載せるべきだが、ここまでにしておく。

 

…というワケで、2回に分けて2023年の乗り鉄おさめの旅を紹介させて頂きました。本年も読者の皆様には本年も大変お世話になりました。拙いブログではございましたが、最後までお読み頂きまして誠にありがとうございます。今後乗り鉄の頻度は少なくなりそうですが、来年も時間のある限り過去の乗り鉄も含めて記事を執筆していきますので、今後ともご愛顧の程宜しくお願い申し上げます。

それでは皆様、良いお年を!!

おわり