くの一が2人に! 近鉄・三重制覇への旅24 | 駅が大好き!misakitty

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日本中の駅と空港を旅するmisakittyの空鉄の記録です。
国内の鉄道はほぼ完乗済み、航空は、JGC・SFC取得済み2024年はJGCプレミア資格。

この時間は,私鉄乗り潰し旅をお送りします。

今回、近鉄の全路線完乗と三重県の鉄道路線完乗をめざします。

本日は、伊賀鉄道の伊賀神戸駅から依那古駅までを旅します。

 

当ブログをご利用される際は、必ずこちらの記事「免責事項について」をお読みの上、ご覧くださいね。

では,ごゆっくり!

 

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伊賀鉄道の旅、「くの一」に連れられて出発です。

最初の駅は比土駅、えっ、ここは待合室というわけではなく集札のためのもの?なんだろう?

駅名標の副駅名はなんだろう?会社の名前?直訳すると「竹岩登り」ってことはないか?
周りはのどかですねえ。
伊賀鉄道が、こんな沿線風景だとは思わなかったです。

というのも、私がイメージしていた伊賀鉄道沿線風景はこうです(なお、今回まで、このあたりを訪問したのは、関西本線で伊賀上野駅を通過したことがあるだけ)。

関西本線伊賀上野駅と近鉄伊賀神戸駅が伊賀市(以前の上野市)の市街地で、中心地は近鉄の開業によって発展した伊賀神戸駅周辺、途中の上野市駅あたりは旧市街、関西本線の伊賀上野駅は昔の鉄道忌避伝説によってわざと何もないところに開業した駅。
ってとこかな。

実際は全然違うんですね、おそらく近鉄の伊賀神戸駅の方が関西本線の伊賀上野駅より寂しいところにある。
この先、どのような車窓風景が展開されるのかまだわかりませんが、どうやら、私の勝手な先入観とは全く違う車窓風景になりそうです。

比土駅を発車した後に撮影した同駅の構内です。
1面1線なのですが、よく見ると左右に側線又は交換設備の跡、貨物ホームもあったようです。
やはり、近鉄の路線とはちょっと生い立ちが違う気がします。

それもそのはずで、この路線、大正時代に最初の区間が開業して以来、所属会社は変わっているものの、やはり伊賀上野経由で国鉄と貨物輸送を行なってようです。
そして、近鉄の伊賀神戸駅で大阪線と接続していただけでなく、その先名張市まで路線を持っていた、つまり、伊賀神戸駅は終起点ではなく、ただの近鉄との接続駅でそこから名張市内までは近鉄大阪線とは競合関係にあった路線だったそうです。
ただ、その頃にはすでに両路線の経営主体は同一だったので、伊賀鉄道の区間が廃止されることになったようです。
所属会社の合併や変更などで現在の形になるまでは長い変動の歴史がある路線だったんですね。

そんなことは今の子供達は全く知らない遠い昔の話なんでしょう?
このような絵が掲示された車内は、なんとなく微笑ましいですね。

さて列車は次の上林駅に到着です。
この待合室古そうですねえ、支柱は古レールかな?

あれ、横には別に簡易待合室が、これが駅舎がわりって感じで駅看板が掲示されています。
駅看板はなんとなく近鉄の面影がありますね。

構内は1面1線、開業は大正15年なんだそうですが、とてもそんな歴史があるとは思えないような簡素な駅です。
次の丸山駅は、後で折り返して訪問するのでパス…

…その次の依那古駅にやってきました。
こちらの駅で下車します。

あれ「くの一」が増えてる???
伊賀鉄道は基本的にはワンマン運行なんですが、区間の一部をこのように社員の方が乗務してアテンダント業務をしていらっしゃいました。
途中の交換駅で反対側の列車に移動したりしていらっしゃいましたので、結果的に、私のようにジグザク走行をしていると、同じ方に何回か逢うことになり、ちょっと恥ずかしかったです。

さて、依那古駅を下車駅に選んだのは、そう木造駅舎が残っているからです。
ただ原型はあまりとどめてないですが、やはり古い駅舎が残っていると選択肢に選んでしまいます。

駅内部は、駐輪場?
ちょっと悲しいですが、利用者がそれだけいるということなので、誰も乗らない駅よりはマシです。

この駅も構内はもうちょっと広かったみたいですね。
「伊賀鉄道の駅舎を考える会」ってなんだろう?

現在は1面1線の棒線駅です。
ここから、さっき通り過ぎた丸山駅に戻ります。

連載記事は、これが本年最後の記事になります。
今年も、現実社会には追いつけず、ほぼ2年遅れのアップのままでした。
近鉄・三重制覇への旅は来年も続きます、よろしくお願いします。


 

(令和4年2月撮影)
 
 
全国私鉄乗り潰し率
 
伊賀線の乗り潰し旅開始です!

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