ゆく路線、くる路線、ゆく路線版青森県、岩手県編です。 

国鉄滅亡時の1987年からなくなった路線、そして新しく出来た路線を紹介していきます。

まずは消滅した路線。

No.1 下北交通大畑線(国鉄大畑線)

まずは下北交通大畑線です。

大湊線下北駅から陸奥半島を横断し大畑まで向かう路線でした。

1985年までは国鉄大畑線でしたが、国鉄排除対象の次赤字路線に認定され三セク化されました。

まぁ経営がうまくいくわけねぇだろなと。

2001年に廃線になりました。

いやそこまでよく持ったな…

No.2 弘南鉄道黒石線(国鉄黒石線)

川部から黒石を結ぶ弘南鉄道黒石線。

元々は国鉄黒石線でしたが、1984年の例の国鉄赤字路線大粛清により切り離され弘南鉄道になりました。

しかし弘南鉄道はこの黒石線のライバル路線だったのです。

なんとこの黒石線とほとんど同じところを走る弘南鉄道弘南線というものがありまして。

つまりこの弘南鉄道はライバル路線もろとも乗っ取ってしまったんですよ。

経営がうまくいくわけもなく4年後の1988年に呆気なく廃線になりました。

いやだからさ、もうちょっと考えようよと。

本当にあの頃の国鉄は冷静さが全く無かったなと。

この路線に関してはこのまま廃線にするのが一番良かったのではないかなと思いますが、自治体との兼ね合いもあり色々と揉めたんでしょうねぇ。

No.3 南部循環鉄道

知ってる方、少ないんじゃないですか?

東北本線(当時)、大湊線の野辺地駅から東北本線(当時)の七戸駅を結ぶ路線でした。

1962年に開業、1997年に休止、2002年に廃線になりました。

レールバス路線として有名で、とんでもなく揺れる路線だったと言われております。

なお現在も旧七戸駅構内にてレールバスが動態保存されており、イベントなどで運行する際は盛り上がりを見せています。

よく整備していますねぇ。

相当な努力がないと動態保存はできませんよ。

No.4 十和田観光電鉄

比較的最近廃線になった路線ですね。

1923年に開業した青い森鉄道三沢駅から十和田市駅まで向かう路線でした。

十和田に向かう唯一の鉄道路線として重宝されていましたが、2012年に廃線になりました。

東日本大震災の影響を間接的に受けた路線として有名ですね。

周りの観光需要が皆無になってしまいましたから。

現在も廃線遺構がかなり残っていますので、バスで巡ってみるのも面白いと思いますよ。

No.5 久慈線

八戸線の久慈駅から普代駅を結んでいた久慈線。

沿岸部には当時久慈線の他に宮古線、山田線、盛線などがありましたが、すべて中途半端に途切れていたんですよ。

とにかく不便だったと思います。

久慈線も例の件で廃線になりましたが、三陸鉄道が貰ったため廃線は事なきを得ました。 

No.6 宮古線

宮古駅から田老駅までを結んでいた宮古線。

路線自体はかなり短い路線でした。

ここも1984年に例の件で消されましたが三陸鉄道が貰いこちらも事なきを得ました。

というかこのときの三鉄神すぎますね。

何が神かは次の路線を見ればわかることでしょう…

No.7 盛線

大船渡線盛駅から吉浜駅を結んでいた盛線。

こちらも1984年に例の件で消れかけましたがまたまた三陸鉄道が貰い事なきを得ました。

これでおわかりですよね…

なんと三陸鉄道は途切れ途切れだったリアス海岸の路線を綺麗に繋げたのです。

久慈線の久慈〜普代、そして新規路線で普代〜田老、宮古線の田老〜宮古、そして次ご紹介する旧山田線の宮古〜釜石、新規路線で釜石〜吉浜、盛線の吉浜〜盛。

なんということでしょう~

国鉄山田線も含み盛から久慈までを綺麗に直通させました。

実際リアス海岸を全てたどれば前谷地から八戸まで使えるようになりましたからね。

No.8 岩泉線

はい出た岩手県の赤字伝説路線。

この路線は国鉄滅亡時の三セク化を耐えJR路線として運行されていましたが、赤字で言えば日本一レベル。

輸送密度44とかいう悲惨な数字を招いていました。

本数は1日3本。

途中の押角駅というところは本当に山の中にある駅で、日本最強レベルの秘境駅で有名になりました。

そんな岩泉線も2010年に発生した土砂崩れ事故以降運転見合わせが続き自治体の費用負担の話が出ることもなく2014年に廃線。

現在押角駅跡は国道からの橋も崩れ川を渡らないとたどり着けない秘境駅跡と化しています。 


青森県、岩手県の路線はご紹介できました。

作る気がまたできましたらまずは来る路線青森県、岩手県編、そして秋田県、山形県、宮城県、福島県あたりもやっていこうと思います。

それでは。