昨年は鉄道開業150年ということで、日本全国でそれに纏わるイベントが行われたわけですが、やっぱり鉄道を語る上で外せないのが蒸気機関車。そして鉄道開業150年といえばやはり横浜。まぁ、新橋(汐留)や品川というのも縁があるのですが、今回は明治の文明開化の象徴でもあった横浜にスポットを当てます。

 

写っているのはC58の1号機。今は京都鉄道博物館で静かに眠っている同機は、現役引退後、京都鉄博の前身である梅小路蒸気機関車館で保存されていたのですが、昭和54年に鷹取工場に入場して本線運転を前提にした全般検査を実施し、山口線で活躍していたC57 1の予備機として同線に送られます。

そして昭和55年、横浜港開港120周年と横浜商工会議所創立100周年を記念して、東海道貨物支線(横浜臨港線)に蒸気機関車が牽引するイベント列車が運転されましたが、その牽引機にC58 1が抜擢されました。画像はその時の模様です。

 

昭和55年6月13~15日の3日間、東横浜信号場-山下埠頭間で運転されましたが、よくもまあ、梅小路(小郡?)から遠路遙々回送されました。もっとも、C58自体は無動力で電気機関車が牽引したと思われますが、C58 1の新製配置は新鶴見機関区だったこともあって、それも抜擢の理由の一つだったのかもしれません。

東横浜には明治5年開設の横浜機関区があって、そこにはターンテーブルがありましたが、山下埠頭にはターンテーブルがないため、逆向きでバックするような感じで東横浜に戻りました。

 

東横浜といってもピンとこないでしょうが、現在のみなとみらい地区にあって、昭和54年までは貨物の取り扱いがあって、東横浜駅という立派な貨物駅でした。もっともこの頃は既に国鉄の貨物輸送は衰退の一途を辿っており、昭和54年10月に横浜羽沢貨物駅が開設されると入れ替わりに東横浜駅は廃止されて信号場に降格、昭和61年には隣接する横浜機関区が廃止。桜木町から根岸線に合流する線路は残されていますが、東横浜から先の臨港線は線路が撤去されて「汽車道」という遊歩道に生まれ変わりました。

 

画像はその東横浜信号場で撮ったと思われます。背後に根岸線の線路と地上(高架)に線路があった頃の東急東横線が見えます。

この辺りはランドマークタワーやパシフィコ横浜などが次々と建ちまして、昔日の面影を残すものは皆無となっています。

 

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

鉄道ファンNo.223 (交友社 刊)

横浜を走ったC58 1を扱った各サイト

ウィキペディア(高島線)