仮乗降場といえば北海道に多いイメージがあるかと思いますが、歴史的には北海道以外の国鉄路線にも数多く存在しました。

ただ、北海道のように1路線に何か所も設置されるような密度で存在したようなことはさすがにありませんでした。

また、早い時期に正駅に昇格したものが多く、国鉄末期まで仮乗降場のままだった例となるとかなり限られてしまいます。


特定地方交通線に指定されて国鉄末期に廃止された路線で廃線まで残っていた仮乗降場および、国鉄民営化まで残っていて民営化時に正駅に昇格した仮乗降場について、少しまとめてみます。


・磐越東線

  江田(えだ)仮乗降場(昭和59(1984)年まで信号場)

・羽越本線

  女鹿(めが)信号場

  折渡(おりわたり)信号場

  桂根(かつらね)信号場

・赤谷線

  東中学校前(ひがしちゅうがっこうまえ)仮乗降場

・田沢湖線

  大地沢(おおちざわ)信号場

  志度内(しどない)信号場

・仙山線

  面白山(おもしろやま)仮乗降場

  八ツ森(やつもり)仮乗降場

・会津線

  舟子(ふなこ)仮乗降場

・能登線

  立戸の浜(たっとのはま)仮乗降場

  恋路(こいじ)仮乗降場

・伯備線

  布原(ぬのはら)信号場

・三江線

  長谷(ながたに)仮乗降場

・山口線

  仁保津(にほづ)仮乗降場

  本俣賀(ほんまたが)仮乗降場

・岩日線

  行波(ゆかば)仮乗降場

・小松島線

  小松島港(こまつしまこう)仮乗降場


現存するものは青字で示しました。



なお、赤谷線、小松島線は特定地方交通線に指定され、国鉄時代に廃線となっています。


会津線も特定地方交通線に指定されましたが、民営化後に第三セクターの会津鉄道に継承され現存します。

舟子仮乗降場に関しては、ダム建設のため線路付け替えが行われて昭和55(1980)年に現在地に移転し、民営化によって昭和62(1987)年4月1日にJR舟子駅となった後、同年7月16日に会津鉄道舟子駅となり、昭和63年に大川ダム公園駅に改称されて現在に至ります。


仙山線の面白山仮乗降場はJR面白山駅を経て、現在は面白山高原駅となっています。


能登線は特定地方交通線に指定されて第三セクターののと鉄道となり、立戸の浜仮乗降場は国鉄時代には海水浴シーズンのみの営業だったものが、沖波駅に改称されて通年営業となっています。

現在はのと鉄道能登線自体が廃線となっており現存しません。


岩日線も特定地方交通線に指定後、第三セクターの錦川鉄道錦川清流線となり、行波駅という正駅として現存します。

同線には臨時駅扱いの「清流みはらし駅」という、仮乗降場ばりに簡易な駅が新設されていますが、成り立ちとしては国鉄時代の季節営業の仮乗降場と似ており、好対照の存在と言えましょう。


田沢湖線の2か所については情報が少なくはっきりしませんが、JTB刊「停車場変遷大辞典」によると、少なくとも昭和50年代の一時期はホームと駅名標が設置されていたそうで、特に大地沢の方は実際に乗り降りできたという証言が記載されています。

両者とも、田沢湖線が秋田新幹線の区間の一部となった現在も、信号場としては現存しており、とりわけ駅間の長い赤渕駅〜田沢湖駅間における交換設備として重用されていますが、かつて仮乗降場としても扱われたというのが事実であれば、とても興味深いところです。


羽越本線の3駅や、伯備線布原駅のように、停車列車がごく限られているなど、かつて仮乗降場であった要素を現在にも残す駅もあれば、他の正駅同様に扱われて路線に溶け込んでいるものもあります。

桂根駅などは県庁所在地の秋田市内で、秋田駅から僅か3駅目にも関わらず、停車列車が極端に少ないことがファン心理をくすぐります(令和5年現在、下り3本・上り4本のみ、それ以外の普通列車は通過)。

特に秘境駅といえるほどの秘境でもなく、なかなか不思議な駅ですが、駅設備を見るといかにも信号場由来の駅という雰囲気が残り、昔日の信号場兼仮乗降場の趣を今に伝えます。

また仙山線の面白山高原駅と八ツ森駅は明暗が分かれたと言え、面白山高原駅は普通の無人駅という印象の一途中駅になっていますが、八ツ森駅はJR八ツ森駅となってからは臨時駅扱いとなり、晩年は通年列車通過となり、自然消滅に近い形で廃止となっています。



こういったように、北海道以外の仮乗降場もなかなか厳しい環境に置かれている状況ですが、場所によっては仮乗降場時代、信号場時代の雰囲気を色濃く残すものもあります。

次回は久々に現地調査のレポートを予定しておりますので、そちらもご覧頂ければと思います。


今回もここまでお付き合い頂き、ありがとうございます。