1997年8月に横川駅を訪問しています。 
この頃、毎年このくらいの次期になると、よくブログの文中に登場する高校からの友人と青春18きっぷで5日くらいかけ、日本全国を鉄道旅行するのが恒例となっていました。
しかしながら、きっと今みたいにデジカメがあればもっと無駄に写真を撮っていたのかも知れませんが。当時はまだまだフィルムカメラの時代。フィルム代も掛かれば、現像代も掛かると言うことで、36枚撮り1本~2本で納めていた感じで、思うように写真が残っておらず非常に悔しいだけでなく、記憶も曖昧にもやもや

今回もどう言うルートで横川まで行ったのか・・・途中高崎で乗り替えて、だるま弁当を購入した記憶があったり、横川~軽井沢の横軽区間を1.5往復した記憶があったりと細切れでの記憶しかありません・・・ガーン

 北陸新幹線が開業し、横軽間には碓氷峠が立ちはだかり、66.7‰と言う勾配区間もネックとなったことから廃止が決定され、信越本線横川から軽井沢まで鉄道が分断される格好となり、群馬県内の信越本線は高崎から横川までの30km弱の路線となりました。その他長野県や新潟県でも北陸新幹線開業にともない、しなの鉄道やえちごトキめき鉄道などの第三セクターに移管されたりしたため、JR東日本としての信越本線は3つの区間に分断されました。
この年の10月に北陸新幹線の長野までの区間が先行開業、横軽は廃止が決定していたためか、多くの人で賑わっていました。
 駅前には横川駅で販売されていた“峠の釜飯”で有名なおぎのやさんの店舗。
この時以降、横川駅や駅前のおぎのやさんを訪問していませんが、上信越自動車道の横川サービスエリアに立ち寄った際に店舗を出されており盛況だったのを見て、何となく安心したのを覚えていますニヤリ

ちなみにそれがこちら

サービスエリアの中にキハ58の一部が置かれており、イートインコーナーとして機能。
釜飯をボックスシートに座りながら味わうことが出来ますキラキラ
と言っても、これを体験したのは7年ほど前なので、もしかするともうないかも知れませんので、悪しからずてへぺろ

1997年に戻ります。
 もちろん私たちも購入しまして、駅のベンチで頂きましたキラキラ
 駅構内の雰囲気。
 横軽間では急勾配のため、通常の運転方法では碓氷峠を往来することが困難と言うことで、この区間専用のEF62の重連による推進・牽引を伴う協調運転がなされていました。
国鉄型の武骨な感じが格好良いですねおねがい
 
 ちょうど189系と連結したところ。
この時も凄い人集りでしたが、まだ廃止まで2ヶ月あるからか、パニックのような感じではありませんでひたアセアセ
 
 
 こちらは115系との連結部分。双頭式連結機で連結されています。
 JRとなり機関車による運用がほとんどなくなり、こんな感じで日常的にそれもホームで機関車の連結、解結が行われることも殆どなくなり、見ることも出来なくなりました。
 私たちは、169系臨時快速“碓氷峠号”に乗車し軽井沢に向かったのですが、当初の予定ではこの列車の運転を知らず早くに軽井沢へ進めるため、軽井沢から横川へ再び戻っても予定の列車に乗れることがわかり、それならお名残乗車と言うことでと言った感じで1.5往復したのではないかと思われます・・・が往復した記憶はあるもののその辺りが曖昧でダッシュ
 ケーブルで見えにくいのですが、遠くに旧信越本線のめがね橋みたいなのが見えましたおねがい
この当時、シャッターを1回だけ押したのですか、出来上がりがこんな感じであり、残念な写真となってしまいましたえーん
今回は以上となります。