1997年、一畑電鉄訪問の前日に立ち寄った餘部鉄橋の写真となります。
この写真の10年後の2007年に架け替え工事が開始され、2010年に架け替えが終了、鋼製トレッスル橋から現在のエクストラドーズドPC橋へとなりました。

 この頃は“餘部鉄橋”ですが、現在は鉄ではないことら、“餘部橋梁”と言われています。
 今でこそ、空の駅餘部となり旧鉄橋部分の一部や線路部分が残され展望台や観光スポットとなり、エレベーターや遊歩道が作られていますが、この頃は山道なようなところをひたすら登りまして、餘部駅へと到達する感じでした。バリアフリーなんか程遠い駅でありましたアセアセ
この頃は若かったから登れましたが、今では・・・もやもや
 キハ47のリニューアル山陰色がちょうどやって来ましたおねがい
所謂“末期色”と揶揄される様な、JR 西日本独特の単色ではなく、この頃は脱国鉄、イメージアップのために、地域独自のカラーリングに塗り替えられている時代でした。
今は今で、気動車に関しては朱色一色で、国鉄時代の“たらこ”を彷彿させるものとなり、それはそれで良い感じではあります。
 餘部鉄橋をエーデル北近畿が通過中。
駅はこの写真のちょうど左手の山肌に取り付けられたようにありまして、あの高さのところまで登った訳で・・・

城崎までの電化区間は485系改造の183系で運転されていた特急北近畿ですが、非電化区間まで乗り換えなしで運転するために誕生したのがこの列車。この頃はキハ65を改造、両端に展望車両を連結したエーデル丹後から始まり、エーデル鳥取、エーデル北近畿とエーデルシリーズが多数運用されていました。実際に乗ってみましたが、展望はすこぶる良いのですが、如何せんキハ65の改造と言うことで、最高速度95km/hと言うことで、特急型キハ181とは力強さと運転時分が段違いでした・・・鉄道ファンでありながら、城崎まで行くのに途中で飽きて来ていた記憶があります魂
 この時は減車されているのか、鳥取側の展望車両を含む2両だけで運転されていたようです。
 懐かしい風景。
現在の橋梁の下は道の駅などが作られ、橋梁の形も含め景色が変わってしまいました。
 今度はキハ58が来ましたルンルン
もう時代が経過したとは言え、こんな景色はもう戻って来ることがないと思うと感傷的な気持ちになってしまいます。

これはそこから10年後の夏に訪問したときの写真。
2007年架け替え工事が始まる前のときのものだと。
鋼製で、リベット留めの武骨な姿。
今のスマートな感じとは違い、この時代のこの姿に格好良さを感じます。
ちなみに現在は・・・
文中にもありました通り、観光スポットとして活用されていまして、営業路線は山側に移動しております。
コンクリート橋梁
旧線路部分も立ち入れまして、元鉄橋の部分は展望台となっています。
展望台も駅も含めてエレベーターが設置され、バリアフリー対策も出来ていますびっくり
訪問した時、ちょうど列車が到着しました。
旧鉄橋の足が一部残され、架橋部分は記念撮影スポットとなっていました。