JTBの1966年10月号になかなか面白い記事が掲載されていました。
ちなみにダイヤは、
名古屋駅9時発、大社駅20時29分着と所要時間は11時間29分←お尻が痛くなりそう…
出雲は遠かったのですね…。
記事によるとキハ58系4両編成ですが、敦賀ー米子は上りも下りも急行「あさしお」と、さらに上りは敦賀ー名古屋は急行「しろがね1号」に併結されていました。
だから、オリジナルの4両で走っていたのは大社ー米子と下りの名古屋ー敦賀だけなんですね。
また、敦賀と豊岡で進行方向が変わってましたが、一度反対を向いてまた元に戻るとは、立野や出雲坂根などのスイッチバックのような感じですね。
ところで、先頃、JR西日本が敦賀ー城崎温泉に団体臨時列車を走らせました。
冒頭の急行「大社」のルートと見事に一致していますね。
恐らくこの団体臨時列車は、北陸新幹線の敦賀延長以降の観光列車の設定に向けだ実証実験ではないかと思えるのです。
JR西日本のプレスでは「この区間に直通列車を設定するのは、今回が初めて」とありますので、JR西日本にとってはまったく新しいルートということになります。
でも、東舞鶴から舞鶴線を経由して綾部に抜けそこから山陰本線に入れば、JR西日本の路線だけで城崎温泉へ行けるのに、わざわざ京都丹後鉄道を通るルートにしたのは、もしかしたら前身の国鉄時代のこの急行「大社」を参考にしたのかもしれません。
もしこの観光列車が実現すれば、この列車も急行「大社」のように、「まったく新しいルート」をゆく「風光明媚な三方五湖や天の橋立が車窓の新しい友」となる列車になるのでしょうか?