企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」千里ニュータウンを訪れる〜その11 | ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。

1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。



重層構造の立体交差高架化工事が進む淡路駅(大阪市東淀川区)を後に、阪急千里線で南千里駅(大阪府吹田市)を目指します。すっかり長居してしまいました(汗)


くだんの企画展が行われている最寄り駅です。




さて、淡路から乗車した千里線の普通北千里ゆき(同)は、ひとつ目の下新庄駅(同東淀川区)を出発。引き続いて、かぶりつきをみなさんと愉しむことにいたします。



淡路から地上線の真上にあった建設中の高架橋は、今度は上下線をはさんで進行方向左側(西側)に移ります。おもしろい配置の転換です。


下新庄を出てすぐに渡るのは「神崎川(かんざきがわ)」。この川のあたらしい架橋は、すでに完成している様子。グーグル地図より。



もとより高架線ですので、現在線より嵩上げされているのですが、最近ではこのような例をよく見かけます。

鉄橋が低いとおのずから増水時に不通になることもありますから、運転保安度も上がります。カーブも、高架化で直線化が図れるようです。



このあたりの工法は、現在線の横に高架線を建設するという「別線施工方式」でしょうか。

幸いに、用地確保が可能だったのですね。



しばらく走りますと、左側の高架線の高度が少しずつ下がって来ます。どうやらこのあたりで連続立体交差事業、高架化はおしまいのよう。


連続する緩いカーブの真ん中当たりが、高架線と地上線との切り替え地点になるようです。


しかしここまで、高架化工事のさまざまな工法を体験することが出来ました。淡路駅から短い区間でしたが、なかなか勉強になる車窓です。



さて列車は、こまめにカーブを左右に取りながら北上します。下新庄〜吹田間。



この区間で特色あるのは、千里線開業前からすでに高架化されていた「JR京都線(東海道本線)」の高架が低くなる場所を通るため迂回し、余計にカーブが連絡するこの場所でしょうか。


頃合い良く?関空から京都へ向かう「ハローキティはるか」が颯爽と通過して行きました。





かぶりついていますと、カーブに加えてこまかなアップダウンが連続しはじめているのがわかります。千里山の南端に差し掛かりました。

車輪を軋ませながらスピードもゆっくりとしたもので、都市鉄道ではなかなかないようなもの。千里線が建設された大正年間の路線規格のままゆえだと言います。吹田〜豊津間。



坂を登ったところで、豊津駅(大阪府吹田市)に到着。もう吹田市に入っています。

この駅も、かなりのカーブにかかっているのがわかります。さらに、各駅停車でひと駅ごとに多数の乗降があるのも印象的。車内に活気があるというのは気持ちの良いこと。



車窓には、急に緑が増えて来ました。
整然と林立する竹林が美しいもの。千里丘陵に入って来たことを感じます。豊津〜千里山間。



竹林を抜けたところで、ようやく直線区間に。再び、マンションや戸建て住宅が広がって来た
途中に、目的地の南千里駅が見えて来ました。

次回に続きます。
今日はこんなところです。