みなさんこんにちは。前回からの続きです。
1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。
重層構造の立体交差高架化工事が進む淡路駅(大阪市東淀川区)を後に、阪急千里線で南千里駅(大阪府吹田市)を目指します。すっかり長居してしまいました(汗)
くだんの企画展が行われている最寄り駅です。
さて、淡路から乗車した千里線の普通北千里ゆき(同)は、ひとつ目の下新庄駅(同東淀川区)を出発。引き続いて、かぶりつきをみなさんと愉しむことにいたします。
淡路から地上線の真上にあった建設中の高架橋は、今度は上下線をはさんで進行方向左側(西側)に移ります。おもしろい配置の転換です。
下新庄を出てすぐに渡るのは「神崎川(かんざきがわ)」。この川のあたらしい架橋は、すでに完成している様子。グーグル地図より。
もとより高架線ですので、現在線より嵩上げされているのですが、最近ではこのような例をよく見かけます。
鉄橋が低いとおのずから増水時に不通になることもありますから、運転保安度も上がります。カーブも、高架化で直線化が図れるようです。
しばらく走りますと、左側の高架線の高度が少しずつ下がって来ます。どうやらこのあたりで連続立体交差事業、高架化はおしまいのよう。
連続する緩いカーブの真ん中当たりが、高架線と地上線との切り替え地点になるようです。
しかしここまで、高架化工事のさまざまな工法を体験することが出来ました。淡路駅から短い区間でしたが、なかなか勉強になる車窓です。
さて列車は、こまめにカーブを左右に取りながら北上します。下新庄〜吹田間。
この区間で特色あるのは、千里線開業前からすでに高架化されていた「JR京都線(東海道本線)」の高架が低くなる場所を通るため迂回し、余計にカーブが連絡するこの場所でしょうか。
頃合い良く?関空から京都へ向かう「ハローキティはるか」が颯爽と通過して行きました。

途中に、目的地の南千里駅が見えて来ました。
次回に続きます。
今日はこんなところです。