企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」千里ニュータウンを訪れる〜その10 | ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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趣味の鉄道の話題を中心に、お出かけ記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。

1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。




ただいま、阪急淡路駅(大阪市東淀川区)。
企画展が催されている最寄りの南千里駅(大阪府吹田市)に向かう道すがらです。


2路線が平面交差し、終日にわたり多数の列車が輻輳するこの駅。行き交う列車を眺めているだけでも愉しいもので、すっかり?長居しています。



では、ぼちぼち先に進むことにいたします。

3号線に普通北千里ゆき(大阪府吹田市)が到着。「OsakaMetro堺筋線」からやって来た、相互乗り入れしているOsakaMetro車両。これに乗るのですが、しばらく停車。


ほどなく、隣の2号線に普通高槻市ゆき(同高槻市)が到着。大阪梅田からの列車ですが、これらが相互に接続。

ここまで観察していますと、2路線4方向にわたって、実にうまく接続が取られています。



後に入って来た、普通高槻市ゆきが先に出発。

これから向かう千里線(左側)上下線を平面交差して行きました。つまり、どちらかを先に発車させないとならないことがわかります。


おそらくは、このように上下線を塞いでしまうことがダイヤ上、大変なネックになっている様子。高架化は、このようなことの解消にもつながるものです。



さて、ここからは千里線に入ります。
起点は、この淡路駅から淀川を渡ったところの「天神橋筋六丁目(大阪市北区)」。その先は「OsakaMetro堺筋線 天下茶屋駅(同西成区)」まで阪急は相互乗り入れをしています。

淡路駅が京都線とのジャンクションとなっていて、ここ以北は沿線に千里丘陵が広がる「千里ニュータウン」のど真ん中を貫くという路線。終着駅はニュータウンの北端、北千里駅(大阪府吹田市)です。グーグル地図より。



企画展会場の最寄り、南千里駅はそのニュータウン玄関口のひとつ。「北大阪急行電鉄(OsakaMetro御堂筋線と相互乗り入れ)」とは数キロ離れて並走しており、対になるのは「桃山台駅(同)」。豊中市との境にも近いところです。


整然と並んだ街並みから、ニュータウンという計画的な、近代都市という印象を受けます。果たして、どのような街なのでしょうか。



幸いにも?運転席の真後ろに陣取れましたので、かぶりつきで車窓を観察してみることにします。


先日の記事から触れておりますが、連続立体交差事業が進行中の区間。次の下新庄駅(大阪市東淀川区)へと向かいます。




淡路駅をゆっくりと発車。
複雑なポイントを過ぎて、高架橋に潜り込むように、右手に京都線が別れて行きました。



ここで「JRおおさか東線」の高架をくぐる。

JRがすでに高架化されているために、阪急は千里・京都線ともに、さらに高いレベルでの高架でこれを越すことになります。


余談ですが「おおさか東線」は「城東貨物線」として開業したのが戦前のこと。高架線を建設する技術力がまだ低かった時代ゆえに、その高さは、全線にわたって割合に低いものです。





くだんの「JRおおさか東線」をくぐると、いよいよ千里線も「直上高架方式」の工事区間に差し掛かります。わくわくします。



千里線はそんなに乗車する訳ではありませんがやはり、これまでとまったく景色は異なりますね。真上から覆われているというので、陽のあたり方から違いますし、別世界を走っているよう。



そろそろと走り、頭上を「東海道新幹線」の高架が横切るところ。「新大阪駅(同淀川区)」は向かって左側に当たります。

新幹線の車中からですとあっと言う間に通過しますが、この交差は見覚えがあります。



3分ほどで「下新庄駅(同)」に到着。上りホームの真上にずらり支柱が並ぶのも、壮観です。



おもしろいのは、カーブにかかった上下線の先で左右を入れ替えて、高架橋が建設されていること。
急カーブ、勾配が多い千里線だと聞きますが、高架化はその改良にもなるようです。

次回に続きます。
今日はこんなところです。