京阪神間といえば、戦前から省線(→国鉄→JR)と私鉄が熾烈な乗客の争奪戦を繰り広げていたというのは歴史の授業とかで教わったことがあろうかと思います。京都-大阪間は省線と京阪、新京阪(後の阪急京都線)が、大阪-神戸間は省線と阪神急行(後の阪急神戸線)、そして阪神が各々、独自のサービスを展開して乗客の獲得に奔走していました。スピードが売りの省線急行(いわゆる関西急電)に私鉄がどう対抗するかが焦点なんですが、京阪は京阪本線とは別に、淀川の右岸にカーブが少ない新線を建設するなどして、「スピードにはスピードで」で勝負を挑み、阪神は駅を多く設置したり、列車本数を増やしたりして乗客が利用しやすい環境整備をするなど、京阪神間の鉄道競争は戦後になっても熾烈を極めました。

 

1905年に開業した阪神は、大阪と神戸という二大都市を結ぶ目的で建設された日本初のインターアーバン(郊外都市間輸送)になります。阪神というと常にこの「インターアーバン」という文字がちらつきます。その頃に導入した車両も当時こそ大型高出力車として本領を発揮しますが、戦後になって人口が右肩上がりになると従来の車両では捌き切れなくなり、国鉄を含む各社では20mクラスの大型車を次々に投入します。しかし、阪神は「保守本流」と言わんばかりに、他社のような大型車両の導入は静観し、小型車で頑張っていました。今回はそんなお話です。

 

 

うわっ! もうお伽話の世界ですね。

でも、これが阪神のフラッグシップだったんです。

戦後しばらくまで阪神の車両は車体長14m、車体幅2.36mというのが標準でした。創業時に活躍した1形の車体寸法を標準としていたためで、前述の「保守本流」たる所以がここにあります。現在の阪神車両は長さ19m、幅2.8mということを考えると、如何に小さいかが解ろうもの。

 

1934年7月、省電の吹田-須磨間が電化されて電車運転に切り替えると、同改正で大阪-神戸間を28分で結ぶ急行電車の運転を開始、競争で一歩リードします。これに負けじと1936年に阪神も急行用車両として851形を新造します。阪神は1921年から既に速達運転を始めていますが、851形の登場は関西急電に対抗するための車両です。でも、20m級のモハ43系電車とではスマートさが全然違いますし、キャパも雲泥の差です。

851形から乗降用ドアが2ヶ所になり、側窓は従来の700mmから1mに拡大され、幕板に明かり取り窓がが取り付けられました。そして何と言ってもこの車両のイメージを決定づけたのは正面の貫通扉。画像でも判りますが、貫通扉が折戸になっていることと、縦長のガラスが組み込まれました。この形状から「喫茶店」「床屋」というニックネームが付きましたが、流行していた生活様式の最先端にあった「阪神間モダニズム」の影響を多分に受けていると言われました。またこの思想は併用軌道線用の車両にも受け継がれ、「金魚鉢」と言われた70形はその代表格です。

 

戦時色が濃くなり、沿線に軍需工場が次々に出来ると、その工場への従業員を輸送するために車両が必要になり、改良型の861形が1937年に登場します。その後も輸送人員は増え、梅田地下駅も開業したことによって更なる車両の増備が求められ、1941年に登場したのが画像の881形になります。

881形は当初、武庫川線用として製造されましたが、資材不足のために一部の車両は阪神初のモーターを搭載しない付随車両になりました(戦後に電装化)。

 

851、861、881形は戦災や火災でまともに動ける車両が僅少になりましたが、終戦後は残存した車両をかき集めて急行運転も復活させ、空襲等で被災した車両もレストアをしたえいして復興に尽力します。

このように戦後しばらくは阪神の主力として活躍を続けるのですが、1950年代後半になると、優等列車用の3000系列や普通用の5000系列といった大型車が登場すると、輸送力の差は歴然。その後、新型車との組織率が逆転し、本線での運用が激減します。それでも本線での急行運転は続き、さらに武庫川線や伝法寺線(後の阪神なんば線)での運用に就いたりして晩年を迎えます。

 

851、861、881形の淘汰は1964年から始まり、1965年11月に定期運用から撤退、予備車として残るものの、1967年3月に武庫川線の運用から離脱し、同年9月に最後の残党が廃車され、阪神の大型化が完了しました。

 

画像の881号車は最後まで残った1両で、最前列まで客で溢れかえっています。ということは、朝のラッシュ時でしょうか? 駅名標から判るように、野田駅での撮影になります。

半室運転台なため、アイデンティティである前面の貫通扉からの眺望は最高だったでしょうね。

851形は全車解体処分を受けていますが、861、881形は地方の私鉄に譲渡されています。

 

    867、875、877=京福電気鉄道

869、870、871、874=野上電気鉄道

881、882、890、892、

893、894、895、899、

900、901、902、903、

906、907、909、910=高松琴平電鉄

 

京福も野上も琴電も活躍は長くなく、最終的に琴電が最後まで残り、琴電が1500Vに昇圧された1977年に廃車されました。保存も含めて現存は1両もないようです。

 

小型車が多数占めていた1960年代までの阪神ですが、同じ時期から始まった急激な近代化に伴ってひっそりと消えていきました。

 

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアル臨時増刊号No.940 (電気車研究会社 刊)

キャンブックス「阪神電車」 「関西新快速物語」

(いずれもJTBパブリッシング社 刊)

ウィキペディア(阪神電鉄851形電車、高松琴平電鉄30形電車など)