1983年の写真~夏合宿の帰りに。 | ERWのブログ/ERWの鉄道ブログ

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Photo Diary by the Eternal Railroad Watcher

再び8月です。

大旅行の後は・・・音楽団体の夏合宿が待っていました(場所は志賀高原)。

この時の合宿は特に厳しかったなー。

 

漸く合宿が終わり、現地解散。

束の間の鉄行動最大の目的は「中央本線の新線に乗車すること」。

何しろこの年の7月に岡谷-みどり湖-塩尻間が開業してせっかく完乗していた長野県で未乗線区が出来てしまっていたのですから。

 

「Challenge 20,000km」証明写真 (1983-08-26 長野)

※志賀高原から湯田中経由長野電鉄を通ってこの駅に達したと思われるが、記憶無し。

※背景の165系電車の車番は「モハ164-846」・・・ということは、パンタ部が低屋根構造で、中央本線御用達ですね。

 

で、ここから塩尻に向かった篠ノ井線列車は、途中姨捨で長時間停車。

 

381系特急「しなの10号」(1983-08-26 姨捨)

※スイッチバック上段のホームから追い抜く特急列車を捉えたが・・・凡庸な構図。

 

列車をズームアップし過ぎず、構図を工夫してみましょう。

 

165系急行「赤倉」(1983-08-26 姨捨)

※自身が乗車している列車も絡めて撮影し、「姨捨スイッチバック」らしい作品になった。退避する列車・追い抜く列車共に165系の「Good Old Days」。

※「赤倉」は名古屋と新潟を約8時間かけて結んでいた急行。

 

再び移動し、

 

「Challenge 20,000km」証明写真 (1983-08-26 塩尻)

※塩尻着。既乗の篠ノ井線の証明写真をゲット。

 

(1983-08-26 塩尻)

※線路が尻の様に割れている??この写真の意味するものは・・・そう、中央東線と西線が分かれて行く姿です。左は東京、右は名古屋へ。

※で左の中央東線がこの先さらに岡谷へ短絡する新線と辰野へ向かう旧線に分かれることになります。中央東線旧線が辰野へ大きく迂回していたのは・・・政治路線です。

 

で何故か、ネガはこの後松本に逆戻りしています!!

 

115系 モハ114-1182[長キマ] (1983-08-26 松本)

※サボは「松本-南小谷」と表示されており、専用ホームで発車を待つ大糸線の列車か。

※嘗て旧型電車の配属線区だった大糸線も、この頃には115系に置き換えられていた様だ。また長キマは1985年に廃止されている。

 

381系特急「しなの」(1983-08-26 松本)

 

183(1000)or189系特急「あずさ」後打ち(1983-08-26 松本)

※これはこの駅始発で新宿へ向かう上りか?・・・塩尻から一旦松本まで戻ったのはこの列車が塩尻に停車しなかったから?・・・だとしたら新線はこの特急列車に乗ってあっさり通過したと思われるが。

当時の(新線開業後の)時刻表が無いので、いつか検証してみたいと思います。

 

特急列車に乗車した証拠?として、この時の撮影はここで終わっています。

 

以上、「束の間の鉄タイム」でした。

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