北斗星が走り出した1988年から10年くらいが一番意識が鉄道に向いていたように思う。それ以前や以後も鉄道は気になる方で、周りから見れば〝鉄道好き〟には違いない。でも自分の中では、関心ごとの第1位から陥落していた。
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1989年夏。敦賀駅?を通過する〝スーパー雷鳥〟敦賀を通過する特急は少数派だった。
パノラマグリーン車にサシ改造のラウンジカー、加えて新塗装は、脱国鉄の素晴らしいサービスに思えた。ただ〝雷鳥〟はその前から〝だんらん〟に〝ユートピア和倉〟が走っていた。
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1989年夏。山陰本線二条~花園特急〝あさしお〟京都駅は混んでいたし自転車すら停めにくかったので、二条駅に指定券を取りに行くことが多かった。まだ旧駅舎だった頃。
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1989年夏。ほんの少し前に走り始めた〝トワイライトエクスプレス〟運行日が不定期で正午前に出て行き、昼過ぎに帰って来るダイヤは思いのほか撮影に不向きだった。
最後尾のスイートルームや窓を広くとった展望車は〝北斗星〟にはない。毎日運行し基本は都市間輸送の〝北斗星〟とは違う列車サービスの始まりと感じるには十分なインパクトがあった。