小豆島の旅(後編) | 鉄道で行く旅

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二十四の瞳映画村を後にして、今度は、本物の「岬の分教場」を見学しました。

壺井栄の小説「二十四の瞳」の舞台になった岬の分教場です。明治43年(1910年)から苗羽(のうま)小学校田浦分校として実際に使用されていましたが、昭和46年(1971年)に閉鎖されました。教室には当時のままの机やオルガン、子どもたちの作品などが残っています。

 

二十四の瞳館です。

 

「道の駅 小豆島オリーブ公園」のギリシャ風車です。

エーゲ海を思わせる瀬戸内海の青とのコントラストがひときわ美しい「白い風車」は、小豆島と姉妹島提携を結ぶギリシャ・ミロス島との友好の証として平成4年(1992年)に建設されました。

 

「道の駅 小豆島オリーブ公園」の地図です。

 

白いギリシャ風車は、魔女の宅急便のロケ地でもあるため、無料で貸し出された箒にまたがり、記念写真を撮影をする人が何人もいました。

 

 

昼食は土庄(とのしょう)観光センターで牛丼を食べました。

土庄港ターミナルです。

 

土庄港から国際両備フェリーの「おりんぴあ どりーむ せと」に乗船しました。

 

この船は、両備グループの中核会社である岡山電気軌道の路面電車「MOMO」のデザインで知られる水戸岡鋭治氏がトータルデザインを担当しています。(画像出典:国際両備フェリーの公式サイト)

 

水戸岡鋭治氏がデザインした岡山電気軌道の9200形「MOMO」です。(2002年9月撮影)

また、和歌山電鐵株式会社は、この岡山電気軌道の完全子会社です。

 

 

 

両備グループの船であるため、展望デッキに「チャギントン」のキャラクターである「ウィルソン」のミニトレインが置かれていました。この展望デッキは、風が強くて寒かったです。

 

2018年10月にドイツ・ライン川のクルーズ船の展望デッキが真冬の寒さであったことを思い出しました。

10月末でしたが真冬並みの寒さでした。展望デッキに出ていた観光客は、ほぼ皆無でした。(2018年10月)

 

黄金伝説の地名である「ローレライ」の文字がなければ、ただの川のようでした。(2018年10月)

↓ハイネの詩である「ローレライ」の一部です。

Die Luft ist kühl und es dunkelt,
Und ruhig fließt der Rhein;
Der Gipfel des Berges funkelt
Im Abendsonnenschein.

空気も冷たくて、暗くなってきて、
そしてライン川は穏やかに流れます。
山の頂上が輝いています
夕方の日差しの中で。

 

Loreley (ローレライ) F. Silcher / H. Heine / S. Kondo (日本語歌詞) バリトン:富田千種
(gp83175)

 

ライン川から見たローレライです。(2018年10月)

 

また、2020年(令和2年)5月31日~6月6日に、今回の旅行メンバーで、ライン川リバークルーズ船(船中4泊を含む)の旅を計画していたことを思い出しました。それは、例の病気蔓延で中止になったのですが、今、思い出しても残念なことでした。(2018年10月)

 

たまたまローレライの場所の対岸をドイツ鉄道のIC(インターシティ)が通過していきました。(2018年10月)

 

再び、国際両備フェリーの「おりんぴあ どりーむ せと」の展望デッキに戻ります。

国際両備フェリーの「おりんぴあ どりーむ せと」の船上も岡山経済圏であることを実感しました。

 

2020年7月に撮影した岡山電気軌道の「おかでんチャギントン電車」です。

 

「おりんぴあ どりーむ せと」の船内です。ここにも「チャギントン」のキャラクターのイラストが展示されていました。

 

 

新岡山港に到着しました。国際両備フェリーの乗船時間は1時間10分でした。前方の橋は児島湾大橋でしょうか。

 

新岡山港付近の地図です。

 

メンバーの1人の希望により、新岡山港の近くにある「三蟠(さんばん)鉄道資料館」を見に行くことにしました。

大正4年(1915年)に開業した三蟠鉄道の開通100周年を記念してオープンした三蟠鉄道資料館が岡山市中区江並にあります。当時の三蟠駅舎跡の建物に併設されています。

この施設は、100周年記念式典が行われた翌年の平成28年(2016年)3月5日にオープンした資料館です。本業は釣具屋(平田釣具店)のようでした。

 

残念ながら、この日は休館でしたので、外から見学しました。

幻の軽便といわれた三蟠鉄道で使用されたドイツのコッペル社製蒸気機関車「C13」の復元模型は実物の約3分の1の大きさでした。

 

昭和5年(1930年)発行の定期券は、宮道~国清寺駅の区間でした。下は普通切符の表裏です。三蟠鉄道は昭和6年(1931年)に廃止になっています。いわゆる「幻の軽便鉄道(営業期間は約16年間)」でした。

 

 

この後、「吹田山口線/山陽自動車道」経由で大阪まで帰りました。

(おわり)