高速道路網の発達とそれを利用する高速路線バスの大台頭によってジリ貧状態なのが房総半島のJR特急。しかも総武本線内は「成田エクスプレス」を優先している関係で内房線の「さざなみ」と外房線の「わかしお」は京葉線に追いやられてしまう有様で、さらにさらに「さざなみ」に至っては朝夕しか設定されない通勤特急に成り下がってしまう体たらく。ここまで来るとため息しか出ません。

 

そこへいくと、昭和国鉄の時代は道路網が整備されていなかったため、房総半島へのアクセスは鉄道に限られまして、数多くの優等列車が設定されてた・・・んですけど、昭和40年代後半までの千葉県の国鉄線は千葉駅から先、どの路線も非電化で、「東京から至近なのに行程は東北並み」と、アクセスの悪さは折り紙付きでした。

この状態を憂いた国鉄本社と千葉鉄道管理局は、千葉県内の国鉄線を近代化させようと重い腰を上げ、複線化と電化に着手することになりました。

 

昭和35年7月の房総東線本千葉-蘇我間の複線化を皮切りに、複線化と電化を小刻みながら進捗させていき、特に房総東線と房総西線は夏季シーズンになると海水浴客やら小学生の臨海学校やらと需要が増え、利用の増加が見込まれることから、優先的に複線化と電化が進められまして、昭和44年7月には房総西線が千倉まで電化が完成し、気動車で運転されていた急行「うち房」が165系で電車化されました(房総西線の全線電化完成は昭和46年7月)。そして昭和47年7月15日、房総東線も全線で電化が完成したのと、総武本線の東京ルートが開通したことで大規模なダイヤ改正を実施、房総西線は内房線に、房総東線は外房線に改称され、両線に特急電車が走るようになりました。

 

それまで房総西線には「うち房」、房総東線には「そと房」という急行列車が走っており、両線のフラッグシップだったんですが、件の昭和47年7月のダイヤ改正でこれを一本化、房総半島を一周してスタート地点に戻る循環急行を設定し、これに「みさき」「なぎさ」と愛称が与えられました。

その前から房総半島を一周する循環急行があり、「うちうみ」と「そとうみ」という列車がありましたが、短命に終わっています。

 

 

「なぎさ」は “内回り” の列車で、新宿・両国をスタートして内房線から外房線に入って新宿と両国に戻る列車です。4往復が設定されて、2往復(1号、4号)は新宿発両国行き、残りの2往復(2号、3号)は両国発新宿行きでした。

 

 

一方の「みさき」は、「なぎさ」とは逆に “外回り” の列車で、外房線→内房線を経由します。当然ながら、「みさき」も4往復が設定されて、1号と3号が新宿発両国行き、2号と4号が両国発新宿行きで、館山-勝浦間は全列車が普通列車になります。

説明するまでもなく、165系は地下ルートを通る際の「A-A基準」に適合する装備が無いため、東京地下駅には乗り入れません。因みに「うち房」用に増備したのを最後に165系は新製がストップします。

 

次に千葉県内の国鉄に大きな革命が訪れるのは昭和50年3月のダイヤ改正。

内房線、外房線に続いて、総武本線と成田線の全線電化が完成し、「しおさい」と「あやめ」という特急電車が走るようになります。一時期「気動車王国」と言われた千葉県内の国鉄線は木原線(現、いすみ鉄道)と久留里線を除いて電車化が完了し、一つのプロジェクトが一応の完成を見ます。

この改正で「なぎさ」と「みさき」はそれぞれ「内房」「外房」と改称され、循環運転を中止します。この他に「犬吠」「水郷」が電車化され、「あやめ」のフォロワーとして「鹿島」が運転開始されます。急行の特急格上げ等々で炙れた165系を転配させた他に、山陽急行で活躍した153系のうち、比較的状態の良い車両を房総に持って来て需要に対応しました。

 

似たような列車名で「みささ」というのがありました。

最初にそれを知った時、「「みさき」でしょっ!?」って憤慨したのを思い出しますが、「みささ」は大阪と倉吉を結ぶディーゼル急行で、沿線の三朝温泉が列車名の由来です。

 

この急行群も昭和57年11月の改正で一斉に廃止され、特急に格上げされました。

「百花繚乱」という意味で言えば、千葉県の国鉄が華やかだったのは57.11改正までですかね。

中学の頃、よく総武本線の荒川中川橋梁に電車を見に行ったものですが、183系を筆頭に、終焉間近い153系と165系、快速用の113系(1000番代と1500番代)、緩行用の101系とカナリア色に統一された編成とカナリアとオレンジの混色編成が混じっていた103系、そして新製間もない201系が走り回っていて、これに偶にではありますが小名木川や越中島に向かう貨物列車が加わり、見てて飽きませんでした。ただ、急行列車に関しては、サロ抜きの6両に減車されていて、ちょっとだけ面白味が欠けましたが、「総武線、やるじゃん」って思ったものです。新小岩操車場が健在だった頃の小松橋から見れば、さらに興奮したと思いますけどね。

 

 

【画像提供】

2枚ともタ様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアルNo.989 (電気車研究会社 刊)

日本鉄道旅行歴史地図帳第3号「関東」 (新潮社 刊)

JR時刻表2023年3月号 (交通新聞社 刊)

ウィキペディア(わかしお、スーパーはくと)