九州運転会 3 | こぴっとちぴっと

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やってみたいことをやってみた

夏場は暑さが厳しくてとても穏やかな気持ちで出来そうになかった古今東西列島縦断運転会を再開。九州に留まったまま…

なんと前回は5月…光陰矢の如し、歳月人を待たず、青年老いやすく学成りがたしです。

 

 

 

 

 

 

 

新旧の客車を中心に…中学時代、九州で乗ったDD51が牽く門司港行のレッドトレイン50系客車。

その当時、DD51前面の本来は白いナンバープレートが、九州特有の朱色だったのを見て、九州に来たのだな…と実感しました。

 

 

 

 

 

 

 

もう40年近く前の思い出ですが、こうやってボンヤリ夜更けの運転会をしていると鮮明に思い出します。

そうやって記憶を反芻して解き放つことが精神衛生に良いのかもしれぬ…と思っています。夜に見る夢も記憶情報を整理しているという説もあるので…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今は国鉄末期の一時期より逆に多くSLの牽く客車が走っている時代。なので現役のそれらを体感する機会が残されています。

中でも大井川鐡道が旧型客車なので窓が開けられてヨロシイ。

初めて大井川鐡道のSL急行に乗った時は、肌寒い冬の午後。折り返し列車では、車内に独りだけだったので、わざと走行中に窓を開けて煙の匂いを車内に入れて…大井川鐡道の石炭は燃やしても燃えかすが少ないのを使っているのだそうです。ハーモニカ吹きのベテランおばちゃんアテンドがおっしゃってました。

 

JR東の横川~高崎間にもSL旧客は走っていますが…C61が牽くのは乗ってみたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

レッドトレイン50系は、自分では播但線でのDE10が牽くのが馴染みでした。小6の頃、プチ家出で寺前まで乗ったこと…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

福知山線ではDD51の牽く旧客に乗れる時代には辛うじて間に合いましたが、満足に乗ることは叶わず、その後12系改造車になっていました。

あの当時、近郊区間大廻乗車のカラクリを知っていれば、しょっちゅう少ない小遣いで乗りに行っていたことでしょう。けれど、そうなると高校受験に失敗していたかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

こうやって模型で思い出をしがんでいますが、その時代の空気や雰囲気、匂いを模型で感じることはムリかな…とも。思い出は美化された憧憬となるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、模型では現実を超えた美化を出来ることがあります。C55が20系寝台列車を牽く場面は見たこともありませんが…20系時代の「銀河」の狭い3段寝台で寝たことを思い出します。

 

大人になったら存分に乗ってやろうと楽しみにしていたのに、その乗りたかった列車はほとんど廃止されてしまい…ブルートレインは無くなってしまいました。

 

 

 

 

最近、亡き石立鉄男主演の「鉄道公安官」を観て、往年の国鉄の雰囲気を味わいました。サーカスが謳う『ホームタウン・エクスプレス』がオープニング・クロージングの両方ともに流れるスタイルは今のドラマにはない逆の新鮮さ。

くすんだ国鉄建築物、四角四面な事務的車掌アナウンス、時代を感じさせる自家用車、子どものそばでも、どこでもかしこでも煙草を吸う昭和の猥雑雑多くザラッとした空気感…

 

 

 

 

 

 

室内灯を装備した車両は、部屋の電灯を消灯してスケールスピードでゆっくり走らせたいもの。

 

 

 

 

 

 

模型室内環境には冷暖房が無いので、寒い中、冬用寝袋に入って寝転がり、ウィスキーをストレートでやりながら運転…時々、睡魔に押し切られまどろみ夢をみる。

 

 

 

 

 

 

 

とてもこのサイズのレイアウトを造る気力も時間も場所も無いので…線路を拡げて走らせるだけ。

 

極寒になるとまた運転会はフェードアウトするので、仕掛け工作を完成させねば…EF81 134を。