みなさんこんにちは。前回からの続きです。

1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。




ただいま「JRおおさか東線 JR淡路駅(大阪市東淀川区)」。新大阪にもほど近い、古くからの住宅地の中の、真新しい駅に降り立ちました。「JR西日本ホームページ」より。



駅ホームの北側でJR高架をくぐるのは、阪急京都・千里線。これとの連続立体交差化事業が進められている工事の様子を眺めて来たところ。

前回記事でも触れましたが、平面交差する2路線を合流させ、なおかつ、JRよりさらに高く高架化するというので、とかくその規模の大きさを、ここからだけでも感じた次第です。


では、改札を出ます。


早朝深夜帯は20分おき、それ以外は15分おきに列車がやって来るというこの駅。大阪近郊では貴重な南北軸方向の鉄道路線ということに加え、先ほどの阪急電車との乗り換えで、乗降客数は「おおさか東線」単独駅ではトップクラス(約16,000人)。

やはり「阪急電車各駅⇔JR新大阪駅(新幹線乗り換え)」の需要の高さもあるようです。


それゆえ、今春からは奈良方面への直通快速もこの駅にはすべて停車するようになり、大阪市内北東部のあらたな交通の要衝となりました。


さて、企画展が行われている目的地の南千里(大阪府吹田市)は、ちょうどこの淡路で乗り換えた先の、阪急千里線の途中駅。

阪急電車に乗るのにも「東線」が出来る前は、いちいち梅田まで出ないといけませんでしたから、これは本当に助かるなあなどと、またも感慨に耽るのですが。


駐輪場の向こうに足を運びますと、JRの高架ホームの先では、阪急の高々架がまさに建設中。先ほど眺めていたJRホームからは見えなかった、阪急淡路駅方向の様子がこれです。


前回も登場したグーグル地図より。
現在地はですが、真ん前にそびえ立つのは京都線になる本線路だとわかります。

撮影当時は、JR線路の真上にはなにもなし。
以降に二層構造の橋梁が架橋されたようです。




ありがたいことに?公道に面したバリケードの隙間から、建設中の現場を覗くことが出来ました。失礼いたします🙇





繰り返しになりますが、ただの高架化、立体交差化事業ではなく、列車本数の多く、2路線にまたがる列車も終日にわたって行き交う地点。

見上げるような、高い柱や鉄橋が複雑に入り組むあたり、本当に大変な工事だと感じます。



それでは、乗り換えの阪急淡路駅に向かうことにしましょう。


地図では、だいたい300mくらい離れているでしょうか。阪急の駅は大正半ばの開業と、100年以上の歴史がありますが、JRの方はわずか4年半ほどです。

もともとは「城東貨物線」という、貨物専用線を旅客化した上でこの区間と駅が開業したのは、わずか4年前の2019(平成31)年3月のことなのでした。


そういったことで、乗り換え駅らしい感じがあまりしません。

案内されている道筋は、JR駅前のこの通り。




ごくごく、一般的な住宅地。乗り換え客が立ち寄りそうなお店もなく、という感じがするのですが、しばらく進むと商店街のアーケードが見えて来ますので、思わず安心します。



この合間からも、高架化進む阪急淡路駅の様子はよく見て取れます。このあたりからは、駅構内になる駆体が建設中。




4階部分に、不自然にぽっかり穴が空けられているのですが、どうやらここに、京都線下り(大阪梅田方面)の列車が発着するようです。


アーケードの中へ。撮れなかったのですが、昔ながらの喫茶店やうどんそば屋さん、パン屋さんなどが並ぶ、商店街独特の、なんだか暖かい雰囲気のする店構えでした。いいもんですね。


この「東淡路商店街」は、駐輪場で二分される形になっていまして…




二層構造の高架駅がもう真横に。さらに、駆体のみならず、ホーム用地の壁面など、駅設備の一部も出来上がっているではないですか。


これは大きい箱型駆体!見たところ2階部分ですので、コンコース階になるものでしょうか。



その駆体の真下にあるのが、仮駅舎の阪急淡路駅。あまりのこじんまりさに驚きます。


ところでこの駅、古くからの名物があります。それがこの、駅の南北をつないでいる地下道。



レトロな雰囲気もさることながら、桁下の低さに、注意を喚起する但し書き。昭和に戻ったかのようですが、最近では、このようなガードはすっかり見なくなりました。

次回に続きます。
今日はこんなところです。